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35歳にもなって、それでも「優等生でいたい」という呪縛

自分でいうのもアレなんですが、小さな頃から優等生でした。
そうなるように産んで育てて教育をしてくれた親に感謝するばかりだけど、運動も勉強も、図画工作も音楽も、なんでも特に苦労せず良くできた、と思う。(高校でだいぶ落ちぶれたけど…)

そして褒められたらとても嬉しくて、いつのまにか「褒められたい」「いい子と言われたい」という気持ちが大きくなって、そのまま、大人になってしまった気がする。

新卒で入った会社はエンタメ業界ということもあり、今では考えられないけど24時前に帰れたらハッピー!的な仕事で、仕事の内容も本当に楽しくて。
もちろん楽しいことばかりじゃないけど、仕事が好きだから一生懸命に必死に、文字通り朝から早朝まで(笑) 仕事に没頭していたら、いつの間にか、ありがたいことに「頼りになる子」になれていたのだと思う。元が真面目だからちゃんと働くし、人の期待に答えたかったんだと思う。
2年目に異動した部署が、色々な人や組織や部署と関わるプロモーションだったということも相まって、本当に会社中のあらゆる人に顔を覚えて頂いて、ものすごく良くしていただいた。

けど、いつの間にか「一生懸命」や「忍耐」「頑張る!」だけでは超えられない壁が立ちはだかるんですよね。発信力だったり、企画提案力、実行力、アイディア、コミュニケーション、そもそもの能力、だったり。
私にはそのあたりのものが不足していた、とは思いたくないけど、ある意味その壁を乗り越えられなくて、環境を変えることに逃げて転職をしたような気もする。もちろん、仕事的には「キャリアアップ」と言ってくれた先輩もいたし、条件的には決してダウンではないけれど。

でも環境を自分で打開するに至る、いろんな意味での力が私にはなかった。

にも関わらず、まがいなりにもこれまで色々な仕事を任せてもらってきたんだ、やり遂げてきたんだという自負とプライドの高さを引っさげたままに転職してしまい、今の環境に文句を良い、ちょっとしたことがきっかけで、この数日の精神的危機に陥ってしまったんだと思う。

問題は、タイトル通り。
そしてここにある問題は常に誰かの目や評価を気にしていること。

誰かの評価じゃなくて、自分がどう思うのか、何をしたいのか、どんなことをやっていくのか本気で考えて、それで行動をしていくしかない。
と、頭では分かっていたことを、身を持って実感している。
優等生と評されたい!なんて… 仕事や物事とちゃんと向き合ってなくて、向いているのは自分へのベクトルのみ。そんなんで、うまくやっていけるわけがない。


呪縛から逃れる方法は分かっている。
仕事にちゃんと向き合って
組織や社会、お客さんやファンに何を還元できるのか?考える。
働く中では、自分のだめなところも認めて
できないときには人に助けを求めて、オープンマインドで。
「あ~!良い仕事したー!明日も頑張ろう!」と言って、1日を締めくくれるようにしたい。




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