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【※ネタバレ注意】なぜいま『幸せを運ぶ男たち』なのか(前編)

この記事はアナログスイッチ 20th situation「幸せを運ぶ男たち」に関する重大なネタバレを含みます。もし前情報なしで観劇したいお客様は、是非観劇後にお読みください!!


2024年3月13日に下北沢OFF・OFFシアターにて開幕する『幸せを運ぶ男たち』。
2014年1月に高田馬場RABINESTで初演し、2015年9月に小劇場 楽園で再演された劇団初期の人気作品を、なぜいま上演するのか。
アナログスイッチの主宰・脚本・演出の佐藤慎哉に「いま『幸せを運ぶ男たち』を上演する意味」を聞いてみた。

座敷童が現代のワンルームにぎゅうぎゅうにいたら面白いな、というアイデアから始まって


まずは、どうやってこの『幸せを運ぶ男たち』が生まれたのかを掘り下げていけたらなと思います。この作品のアイデアってどこから来たんですかね。着想というか。

佐藤:もともと妖怪の類が好きで。まあ、座敷童は妖怪ではないんだけど、そういった存在を気に入ってはいたんだよね。
その座敷童が現代のワンルームにぎゅうぎゅうにいたら面白いな、というアイデアから始まって。たくさんの座敷童がいる理由として人より5倍不幸な男がいて、そこに座敷童が派遣される設定が面白いじゃないかって思ったところからかな。

その設定って初演の稽古前から固まってましたっけ。

佐藤:当時のメモを掘り起こしてきたんだけど。

ありがとうございます(笑)。

佐藤:メモの最初には「座敷童の住む家、野口、渡辺、木幡、秋本、廣野(初演時に座敷童を演じたメンバー)、不幸な男」「同棲を決めた女、そこにくる男、そこに来る女」と書かれていて。だから、早々に座敷童5人と不幸な男のアイデアは考えてたってことだね。

じゃあ、同棲するかどうかの話になる可能性もあったってことだ。

佐藤:そうだね。「自分が不幸で貧乏暮らしをしていることを隠して同棲を決めたんだけど、ついに彼女が家にきちゃう」っていう始まりだった。

それも面白そうですけどね。

佐藤:まあでも、その設定だと書けなかったんだろうね(笑)。展開が思いつかなかった。

この頃って、稽古と執筆を同時に進めていく過程で、根幹の設定が変わることもありましたもんね。執筆が行き詰ったら設定を変えて、それを繰り返しながら脚本を書いていた印象があります。

作品を作る時に「笑い」と「テーマ」という2つの大きい要素が自分の中にあって。今もまだ、その理想のバランスはとれてない。すごく難しい


佐藤:メモに「座敷童が『人は人を幸せにできるのですか?』と聞く」と書いてあって。たぶんテーマを掘り下げたかったんだろうね。
もともとの設定だと、メモには「唐沢が幸せになるために足りないのは、自分自身が幸せを望むこと」みたいなことが書かれてるんだよ。ボタンの設定もまだできていないころで、座敷童が5人いるのに幸せにならないのは、唐沢自身が幸せを望まないからだ、っていう少し複雑な話だった。……これ書こうとすると「まじめ」な話になりそうだ(笑)。

初演の『幸せを運ぶ男たち』のひとつ前の公演『火を吹くのはやめた』も、序盤の作品にしては割と「まじめ」に振ってる作品だったと思います。当時の執筆のモチベーション的に、完全に「おもしろ」に振り切るよりは、もう一つテーマを掘り下げたい気持ちがあったんですかね。

佐藤:当時はあったのかもしれない。

最近の作品で言うと『白片つぐつぐ』。少し前だけど『みんなの捨てる家。』『愛でもないし、youでもなくて、ジェイ。』は、笑いの中にテーマがある作品ですよね。

佐藤:作品を作る時に「笑い」と「テーマ」という2つの大きい要素が自分の中にあって。今もまだ、その理想のバランスはとれてない。すごく難しい。
今のところ、『白片つぐつぐ』が、テーマを一番うまく表現できた作品で、逆に、笑いの極地が『信長の野暮』なんだよね。だから、信長の野暮を上演するときには、テーマ性の奥深さが足りなくて、物足りないんじゃないかという懸念はあった。

逆に、白片つぐつぐを上演するときには笑いが足りない懸念はあった?

佐藤:当時はどうだったか覚えてないけど、今は「もうちょっと笑いどころ欲しいよな」って思うよ。
真正面からテーマに向き合った作品が好きかと聞かれると、自分はそうでもないと思うんだよね。なんか芸がないじゃん(笑)。ユーモアの中に奥深さがある作品を、やっぱり作りたい。
でも、最近ちょっと考えてるのは、「自分が見せたいテーマ」が本当に必要なのかってこと。見終わった後の爽快感とかワクワク感とか、そういうものを生み出せるだけでも、いいんじゃないかと思っちゃってる部分はあるんだよね。
テーマって、良い意味でも悪い意味でも足かせで、「ここは、こういう展開だったら笑えるんだけど……」と思っても、テーマに適していないと難しい。やっぱりどっちを大事にするかは、すごく大事な選択。

見終わったあとに、わざわざ「おもしろかったです」って言いに来てくれる人が多かったイメージがある


「幸せを運ぶ男たち」も稽古しながら脚本を書いていたと思うのですが、完本(台本の完成)って結構早かったんでしたっけ?

佐藤:当時にしては早かったんじゃないかな。

でも、永遠と1場を稽古してた記憶があるけど(笑)

佐藤:展開が思いついてなかったんだろうね。座敷童のなかに疫病神がいるってのも、書き始める段階では決まってなかったんじゃないかな。

佐藤慎哉の初期作品あるあるで、作品の根幹の設定が決まらないまま台本を書き始めるっていう。

佐藤:まあ、ワンアイデアから書き始めてるからね。

僕のイメージですが、設定を決めるひとつのアイデアはあるんだけど、それと対になる「展開させるためのアイデア」が決まっていないですよね。「みんなの捨てる家。」でも、付喪神のアイデアが出たのは稽古が進んでからでした。

佐藤:まさに(笑)。
やっぱりこの作品も途中まで書いたんだけど行き詰ってしまって、でも、最後にバタバタっと完成に持って行った印象だな。

そのわりにすごく綺麗な伏線の回収の仕方ですよね。

佐藤:それはあるね。見終わったあとに、わざわざ「おもしろかったです」って言いに来てくれる人が多かったイメージがあるな。

うちの母親のイチオシですもんやっぱり(笑)。
さっきの話に戻りますけど、見終わったあとの爽快感やワクワク感はあったんじゃないですかね。アナログスイッチ初期の作品では群を抜いて評判が良い作品ですもんね。

演技を見て「こういう人間なんだな」「こういうことを言わせたら面白い人なんだな」っていうのを捕まえて、そのイメージから展開を想像して書いてる


「幸せを運ぶ男たち」の脚本は稽古しながら執筆が進んでいったのもあって、当時の俳優のイメージから作品が立ち上がってきた印象があります。実際に初演のメンバーの当て書き(その役を演じる俳優のイメージから脚本を書くこと)だったりするんでしょうか。

佐藤:エチュード(即興劇)から出てきた小ネタを採用することはあるけど、俳優がその場でやったものをストーリーに組み込むわけではなくて。演技を見て「こういう人間なんだな」「こういうことを言わせたら面白い人なんだな」っていうのを捕まえて、そのイメージから展開を想像して書いてるかな。

実際に俳優の演技を文字に起こしているというよりかは、佐藤慎哉のなかで俳優をキャラクター化して、そのキャラクターが喋ったら面白いものを脚本にしているイメージですかね。

佐藤:そうだね。

でも、野口さん(初演でユキノシタ役を演じた野口裕樹)のアドリブは結構台本になってますよね(笑)。携帯電話の音をマネし始めるとこも勝手にやってましたもんね。わりと勝手にやってることをちゃんと台本化してくれるとこありますよね。

佐藤:面白かったらすぐに採用するからね。見せたいものの根幹が崩れなければ何やってもいいっていうのはあるから。それってコメディに許される特権みたいなものだと思っていて。そのキャパの広さが、コメディを作ってる面白さでもあるよね。

元々座敷童は、子供が増えすぎてしまった貧しい地方で、口減らしのために殺された子供だっていう設定があって


座敷童の名前がボタン(牡丹)とかハギ(萩)とか花の名前になっていると思うんだけど、その由来ってあるんでしょうか。

佐藤:元々座敷童は、子供が増えすぎてしまった貧しい地方で、口減らしのために殺された子供だっていう説があって。俳優の誕生日が近い日なのか、花の語呂の良さで決めたのか記憶が定かではないんだけど、それぞれの誕生花を決めて、その日を座敷童(子供)の命日としたんだよね。
あと、それぞれの花言葉も関係してて。例えばアケビの花言葉は「ひたむきな愛」だから、ボタンに対しての強い気持ちを表してるんだよね。それぞれの役柄に沿った花言葉があるので、もし時間がある人は調べてみるといいかも。

舞台上ではわいわいやってる座敷童も、口減らしのために殺された悲しい気持ちを持っていることは初演から言ってたよね。なんかそういう記憶が、仲間想いで本当に仲の良い5人の関係性につながっているのかもしれないですね。

助成:公益財団法人東京都歴史文化財団アーツカウンシル東京
【東京ライブ・ステージ応援助成】

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