見出し画像

ダイエットで自分は変わる(21)貧乏の進化論

人類史を24時間とすると、炭水化物を耕作して食用にするようになったのは深夜11時58分からである。日本における稲作文化という形で限定すれば1日の終わるぎりぎり30秒前に始まったにすぎない。僕らが生きているのはまさに日付が変わる間際の刹那であることは確かだが、時間軸の相対的な位置関係をイメージすることなしに「日本人は米だろ」みたいな物言いを僕は好まない。

稲作は日本で2500年しか歴史がない。それまでの10万年くらいの間、日本近辺に生活していた人々がいた模様であるが、彼らはただひたすらに拾い捕まえることで食いつないでいただけであり、まあそれなりに楽しくやっていたのであろう。しかし、相当に貧乏くさい生き方であったらしく、僕たちには脂質を蓄積しやすい、核酸代謝物を再吸収しやすいといった倹約的な遺伝子変化が生じている。僕が抱えていた高脂血症や痛風はまさにその貧乏の産物である。

最近になって、ヨーロッパ系民族の乳糖への適応は「貧乏くさい生き方」に適った遺伝子変化であるらしいことが指摘された(乳糖不耐性の多い漢民族は、他の動物が赤ん坊に与えるはずの乳を収奪する必要のないほど豊かだったのだ)。僕はヨーロッパに縁もゆかりもないが、彼らの貧乏の恩恵をチーズやヨーグルトという洗練された食品として享受している。

野生はあまりリッチな感じでないのが本来の姿なのかもしれない。今日のランチもいつもの肉野菜炒めであったが、食べ終わった器に残った少しのスープまで(人に見られぬように)残らず飲み干した。以前だったらここまでしなかったような気がする。野生で生きるのはけっこう楽しい。

いいなと思ったら応援しよう!