「学校に行かなくてもいい」という言葉の向こう側。
第三者の「学校に行かなくてもいい」というリアクション
という会話はあるあるかもしれない。
学校に行けないこと自体よりも、それに付随する悩みが沢山あるわけで、
第三者のこの言葉に傷つく人もいるかもしれない。
先生は言う「学校に行かなくてもいいと言う親が増えてる」と
けっこうこれ言っちゃう先生が存在します。
あーあ。
そして、
と。
親の「学校に行かなくてもいい」と思う気持ち
直接子どもにはその言葉を言う機会はない。
だってなんだか、親がジャッジすることじゃないから。
あくまで子どもの自己決定を尊重しなくては。
色々あって、そういう境地に至るから、学校の先生や、第三者の「学校に行かなくていい」という言葉などは、浅い感じがするのです。
「学校に行けないならフリースクールとかあるしね」は誤解
フリースクールが増え、不登校のことで議論されることが増えました。
学校がダメなら別の居場所を、と多くの人は思うかもしれませんが、
実際は不登校者数の人数に対応できる居場所があるわけではなく、通えるのはほんの一部の子です。
ほとんどの子が通える元気がないのが現状です。
では、ICT教育があるじゃないかと思われるかもしれませんが、そんな元気もなかったりする訳です。
子どもにとって「学校に行かなくてもいい」の安心感と絶望感
「学校にいかなくてもいい」は時に子どもを苦しめる。
学校を休むことは、楽なこととは限らない。
学校に行きたいけど行けない子にとっては、毎日が葛藤になるかもしれない。
親たちは、子どもの命を守るための行動になります。
2022年は小学生の自殺が倍増しています。
このことが意味するところを考えなくてはいけない。
「不登校対策を」「子どもの居場所を」もいいんだけど、
その視点で考えられるような学校・行政が増えることを願っています。
もはや、学校に行くか行かないかの段階ではないのです。
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