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「学校に行かなくてもいい」という言葉の向こう側。
第三者の「学校に行かなくてもいい」というリアクション
不登校の親「うちの子学校に行ってなくて・・・」
友人「今の時代無理に学校に行かなくてもいいんじゃない?」
という会話はあるあるかもしれない。
学校に行けないのが問題なんじゃない。
学校に行けなくなった理由や背景がある。
理由が分かったとしても、解決できず学校に行けない無念さ。
逆に理由が分からないのも、もどかしさがあるし。
学校に行けないこと自体よりも、それに付随する悩みが沢山あるわけで、
第三者のこの言葉に傷つく人もいるかもしれない。
先生は言う「学校に行かなくてもいいと言う親が増えてる」と
けっこうこれ言っちゃう先生が存在します。
親が行かせようとしないから。
親しか家から送り出せないから。
甘やかしているのではないか。
ゲームを与えているせいではないか。
生活習慣をきちんと身につけさせられない親が悪い。
あーあ。
そして、
「学校に連れてきてもらわないことには何もできません。」
と。
親の「学校に行かなくてもいい」と思う気持ち
直接子どもにはその言葉を言う機会はない。
だってなんだか、親がジャッジすることじゃないから。
あくまで子どもの自己決定を尊重しなくては。
死ぬくらいなら学校に行かなくていい。
生きてればそれでいい。
色々あって、そういう境地に至るから、学校の先生や、第三者の「学校に行かなくていい」という言葉などは、浅い感じがするのです。
「学校に行けないならフリースクールとかあるしね」は誤解
フリースクールが増え、不登校のことで議論されることが増えました。
学校がダメなら別の居場所を、と多くの人は思うかもしれませんが、
実際は不登校者数の人数に対応できる居場所があるわけではなく、通えるのはほんの一部の子です。
通える元気があること。
通える経済力があること。
近くに通える場があること。
子どもに合っていること。
ほとんどの子が通える元気がないのが現状です。
では、ICT教育があるじゃないかと思われるかもしれませんが、そんな元気もなかったりする訳です。
子どもにとって「学校に行かなくてもいい」の安心感と絶望感
「学校にいかなくてもいい」は時に子どもを苦しめる。
安心感と絶望感が混在しているから。
「学校休んでゲームができる、わーい♪」
という気持ちで休んでいる子は多分少ないんじゃないかと想像します。
学校を休むことは、楽なこととは限らない。
学校に行きたいけど行けない子にとっては、毎日が葛藤になるかもしれない。
親たちは、子どもの命を守るための行動になります。
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左から小・中・高・合計
https://www.mext.go.jp/content/20231004-mxt_jidou01-100002753_1.pdf
令和4年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について 令和5年10月4日(水) 文部科学省初等中等教育局児童生徒課
2022年は小学生の自殺が倍増しています。
このことが意味するところを考えなくてはいけない。
「不登校対策を」「子どもの居場所を」もいいんだけど、
子どもが死なないようにするにはどうしたらいいか
その視点で考えられるような学校・行政が増えることを願っています。
もはや、学校に行くか行かないかの段階ではないのです。