個性から自分らしさへ
最近、欅坂やいろいろな本やメディアを見て、個性的であることから「自分らしさ」にマインドが変わっていっている気がしています。いろいろ書いてみると、全体的にかなり感覚的な話しになっているのですが、まずは推測ベースでなぜそのような変容をしているのか考えてみました。
これは誰かと言うより、自分向けのメッセージに近いです。
多数派から、個性へ
むかしのマジョリティ至上主義というか、流行に右習えする多いものが勝ちだった時代は日本人ならではの統一意識の世界にいたというか、エヴァでいうLCLの海の中に漂っているような感じで、同じ日本人なんだから言わずとも理解してよという心地よく繋がっている世界。個性よりも団体の中で力を持っている方が有利で、理解できないような個性や少数派のコンテンツは、どちらかというと排除されてしまう感じだった。「〜であるべき」論がみんなを支配していて、実際それで幸せになれる確率も高かった。
ネットの登場ぐらいが転機になっていると思うのですが、教育でも個性を伸ばすといったことが言われるようになってきて、右習えの思想から個性が重視されるようになってきたような気がします。ネットのおかげで簡単に発掘できるようになり、与えられた情報を受け取るだけじゃなくて普通の人でも能動的に好きなものを深堀りするようになった。
それによりオタク文化が花開いたというのもありますが、自分に#アニメ好き、#ゲーム好きというハッシュタグをつけるかのように、これまで団体から阻害される要因だったものが、手っ取り早く個性を得るための手段になったのには少なからず驚きました。
いままでと違って今度は個性を獲得しようという段になると、その言葉を「ほかの人と大きく外れた才能のようなもの」と捉えてしまうと、自分はそうじゃない、そうなれないと自己否定に陥ってしまう気がします。
漫画『僕のヒーローアカデミア』で個性=能力と表されますが、そういった状態で個性を競い合うってしまうとけっこうキツイ。
個性から自分らしさへ
映画『ファイトクラブ』で、「俺たちは映画スターにも、サッカー選手にも成れないことに気づいてしまった。」というセリフがありますが、それも20世紀になる前の話です。その何者にも成れないというやるせなさからここ数年で、Youtuberやインスタグラマーなどの活躍で、自分とあまり差が見られないようなすごい個性や才能がない人でもタレントのように活動できるという希望が見えるようになりました。
またSNSをやっていると、ちょっとした言葉の食い違いで気軽に炎上してしまうので、個性とは真逆な言葉のような気がする「空気を読む」ことが求められ、「この写真アップしても大丈夫だろうか?」というような周りを気にするスキルが必要以上に身につきました。こういったことは投稿する度にストレスになるので、その風潮からの脱したいという反発が起こりはじめているのではないでしょうか。
「自分らしさ」という言葉は前述したような個性と違って、自分がなにも持っていなくても肯定して受け入れていくというある種開き直りともいえるポジティブさを感じることができて、すごく良い考えだなと思っています。(らしくあれば、困難や努力は必要ないではなく、受け入れる部分をしっかり受け入れようという考え)
人に合わせるじゃなくて、自分がどうあるべきか?をまず決めるとすると「誰かと比較して、どう?」という不毛な争いから早めに降りることができたり、周りの目を気にして思った行動ができないという抑圧から解放されやすいのかもしれません。
こういった自分探しの変化が、最近の「自己肯定を高める」とか「嫌われる勇気」が脚甲される要因なのではないでしょうか。
バカリズムのマジ歌「ありのままで」はそういった自分らしくあればいいという変容を皮肉った歌ですが、面白いのはこれは比較的多数派の人に向けた歌だと言うことだと思います。
元祖「ありのままで」は特殊能力を持ったお姫様の歌ですが、このようにいままではオタクと言われた人や、個性的とされていた人たちが抑圧に反発して、このように変化する傾向があったように思うのですが、いまや多数派だった普通の人も「自分らしくありたい」と思い始めているんじゃないでしょうか。
自分らしく生きるためには
欅坂の女性ファンは美人が多いとか言われてたりしますが、美人であるほど「〜でしょ」「〜であるべき」といったレッテルやよくわからん期待を貼られやすく、共感を感じやすいのかもしれません。
世間から先入観という目でめっちゃ縛られてる気がするわけです。
いままでは空気を読んでイメージを守ろうとしていたけど、周りだけじゃなく下手するとまったくしらない他人から悪意が投げつけられるようになってしまったので、自分を守るためには建設的な撤退が必要になってきました。
みんなが期待するような人に、絶対になれなくてごめんなさい。
−「角を曲がる」/欅坂46
モデルさんとたまに接することがあると、ヤンキーみたいだなと思うことがよくありました。外部には攻撃的なのでめちゃくちゃ印象悪いのですが自分のコミュニティでは真逆の良い人になり、小さい世界の仲間をすごく大切にするんですよね。
いろいろな識者が語っていますが、もう友達100人はいらない世の中です。そう考えると孤独であるということも受け入れつつ、関わらない人たちの目や言葉がノイズになったとしても、素のまま生きられる小さなコミュニティが大事になっていきます。
そういった自分らしく生きられる拠り所をまずひとつ見つけることができると、すごく生きやすくなるのかもしれません。
個性だろうが自分らしさだろうが、「それって何?」という問いからは逃れられないのだけど、ありのままそのままではなく結局は自分がなにを行動したかで結果、個性的と判断されているのかもしれません。
自分が戦わなければいけないのは実は周りにどう思われるかではなく、チャレンジしたり失敗することへの不安とどう向き合うかということだったりする気がします。ある種、エルザのようにそこを割り切ってしまった美人は強し!ですね。
・好きなものを知っている、それを実際にやっている
・独自ルールを持ち、自分の心に従う
・コミュニティを持って大事にする
このようなことを実践できている人が自ずと個性を発揮し、結果自分らしく生きていると考えると、自分がどう考え・行動すべきかのヒントになるかもしれません。
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