『アメリカン・スナイパー』と『フルメタル・ジャケット』
アメリカ海軍映画のこの2つは象徴的な映画だ。
時代もベトナム戦争とイラク戦争のものであり、当時の軍人としての在り方が全く異なる事が分かる。
「海軍、今昔物語」として、2作品を続けて見るのは良い。
軍人として背負う重みと受け止め方。
そして心情の機敏。
『フルメタルジャケット』
言わずと知れた名作と言われて久しい映画。
しかしその内容は暗く、また映画の本質を知るには一回だけでは分からず、別途解説を要する映画でもある。
しかしそれだけ深い映画である事も確かだ。
フルメタルジャケットとは完全被甲弾という意味であり、戦場で使用可能な弾丸の事だ。
この映画はアメリカとイギリスの合作映画になっている。
ベトナム戦争のさなかに志願した主人公や訓練生たちは、鬼教官の下で軍人として訓練される。罵倒や体罰は勿論、徹底的に自分を殺され、赤ん坊の様な扱いを受ける。そして、訓練生たちは自我を失った赤ん坊に矯正されるのだ。
そして心を失った訓練生を従順な赤ん坊として再教育するのだ。
しかしその中には自我、欲求を持ったままの訓練生もいた。
それが落ちこぼれのレナードだった。
レナードは最初こそ落ちこぼれで、教官からは特別厳しく指導され、同じ訓練生からは激しいいじめを受けたが、その怒りが原動力となり、また同期生のサポートもあり、最後には高い評価を得る。
しかし怒りを原動力にしていた彼は卒業前日にその怒りを開放してしまう。
鬼教官を射殺し、自分も愛銃で自殺してしまう。
これが前半の物語だ。
後半はベトナム戦争を取材する報道軍として主人公が派遣される話になっている。
報道軍として派遣されたは良いものの、あまり上官のお気に召す記事が書けず、目を付けられ、戦地の最前線に派遣されることになる。
そこには同期生の訓練生であったカウボーイが下士官として小隊に入っていた。そしてその同じ小隊で取材をする事になる。
『アメリカンスナイパー』
アメリカンスナイパーは実際にイラク戦争に4度従軍した自伝を元に作られた。
それにより、とてもリアリティーのある映画になっている。
アメリカ大使館爆破事件、そして同時多発テロ事件、そしてイラク戦争へ。
これはまだ歴史にも新しいと思う。
主人公はアメリカを守る為に海軍へ志願する。
そして特殊部隊に配属され、イラク戦争に従軍する事となる。
狙撃手としてあまりにも優秀だった彼は伝説としてアメリカで語り継がれる。
しかし常に命の駆け引きが行われる戦場で、同僚や弟が傷つけられ、失われていくこと、そして、目の前の民間人が自分の弾で命を失っていく事。
自らもまた、父になり、守りたい命があること。
その葛藤からPTSDになり、退役軍人の施設で余生を過ごす。
そしてその施設の射撃訓練で射殺される。
比較して見える『心』の時代変化
フルメタルジャケットでは徹底的に人間性を否定され、新たな人格を作る事で、徹底された従属を求められた。
一方で、アメリカンスナイパーでは戦場に赴くことさえ任意だった。
人格を失う、心を失う事の大きさの扱いが余りにも違いすぎるのだ。
これは心理学、精神医学の大変な功績である。
しかしながら、それが本当に全て良かったのだろうか?
現代の軍人の育て方は本当にそれで良かったのだろうか?
アメリカンスナイパーでの海軍人を作る方法は、ほとんど肉体的に支配されているようだった。
勿論、精神的な訓練もあったろうが。
しかし、そのお陰で日常と非日常、つまり、日常と戦場を常に行き来してしまう人間にならざるを得なかったのではないかと考えられないか。
実際に兵役に就くのは期間が決まっていた。
つまり、自分の日常が背後に存在する。
それは統合失調症患者を作るために完璧に用意されたような場面構成だと言えるだろう。
実はこの記事を書き始めたのは随分と前なのだけど、今になって書き始めた理由がある。
この記事を書き始めてからその後、就職活動をして、海外に移住して仕事をする事が決まったのだ。
そこで私がまだ日本にいる間に考えた事は、『想い残しを作りたくない』だった。
好きな人や親しくなった、また、これから仲良くなろうとするような人が日本にいれば、絶対に後ろ髪を引かれるだろうと。
以前から海外の移住は考えていたが、その度に大切な人や大切なものや、新しい目標が出来て、毎度後ろ髪を引かれてきた。
だからこそ、今回はそれを分かって挑戦するのだから、惹かれないように一人で居ようと。
それだけ遠くに離れてしまう、そしていつ故郷に帰れるか分からない、それでも行こうとするのは相応の覚悟のいる事だと思っている。
そして、自分の安心できる場所、自分の居場所を失っても良い事だと思っている。
実際に今の自分に東京の居場所はないし、結局これからも同じようにネットで友達に繋がれるのだから、日本にいたって海外にいたって、何も変わらないのだ。
詰まる所、正直普通の人間なら決心出来ないという事だ。
コロナで長期的に封鎖されている渡航、相も変わらずコロナで死人が出ているのに、しかもこんな情勢不安の中で海外に移住しようとしている。
それは自分の状況がどこに行ったって何も変わらないから。
だからどうでもいいのだ、そんなことは。
変わらないからこそ決心出来たけども、自分の家族を作ってしまったら到底出来る事ではないと思った。
その家族に自分の居場所が無くなれば話は別だが。
それだけアメリカンスナイパーの主人公は狂気であったと思う。
だからこそ、狂気が軍人には必要だったのではないかと思うのだ。
フルメタルジャケットの教育は感じる心を失わせることで、痛みを感じないから痛くない、よって、自分の命を守っているのではないか。
痛くないから命のやり取りも痛くないのだ。
突然うずくまってしまう心の痛みが一番その軍人の命取りになると。
心を麻痺させることで、命を守っている。
感情を失ってしまった人間の命に何の価値があるのかという言論はあるが、命があることが先に大切だという意見もある。
『虐殺器官』のススメ
SF戦争小説に虐殺器官という小説がある。
アニメ映画化されており、それはとても洗練されているので是非こちらも見て欲しい。
この映画で描写されているのは、戦争の残虐さと、言葉と、心だ。
近未来的武装で身を固めた己に対して、
痛みを鈍感させる事も出来るのに、
心を未だに防御出来ない無防備さ。
何故言葉だけで自分を殺してしまうのか、そして人を殺してしまうのか。
『心は防御出来ない。』