私の中の一貫していた事。
私はある理由で人生の出来事を纏めていた。
その中で気付いた事を忘れない内に書き留めたい。
幼少期というよりもずっと昔、歩ける程成長した段階から多動が過ぎるので、何度も転んでは怪我をしていた。
走れる様になるまでの成長は普通よりだいぶ早かったと保育士の母が言うので、相当走りたかったのだろう。
勿論、文字通り怪我が絶えなかった。
当時の一番の大怪我は父が何気なく机の上に置いた刃がむき出しのカッターナイフを、刃の部分を強く握りしめた。
勿論手から血が滴り落ちている状態で「お母さん痛いよお!」と泣きながらも、絶対に刃を離さなかったというとんでもない事が起こったらしい。
ちなみにそれで何針も縫う事態となった。
そしてそれは歳を重ねる内に擦り傷、切り傷では済まない、捻挫、骨折、突き指、たん瘤などなど数え切れなさすぎる。
ちなみに両手両足は全て骨折経験済みで、突き指も5、6本しているが、今でも影響が特に残るのは右手の小指だ。
驚くほど関節が変形しているからすぐに分かる。
中学以降は事故に巻き込まれたり、階段から落ちたりして、何針か縫うレベルの怪我を毎年していた。
つまり怪我のレベルが加速していった。
でも高校生を境に怪我がなくなった。ちょっとした怪我なら普通にあったが。
でももう骨折や何針も縫って治療するレベルの外傷がなくなった事が、
初めて自分を自傷したきっかけだったのだと気付いた。
「痛みは自分の身体の生きたいを感じる、息を止めた鼓動よりずっと」
「でも手首は目立つから太ももにしよう」
だから普通の人の自傷と違う、目的が違う。
そもそも治癒する過程も安堵の要因だから、深すぎない傷なのだ。
だから今は綺麗な太ももである。安心して欲しい。
でもまぁ自傷には変わりない。
でも手首を自傷する人と決定的に違うのは、彼ら、特に彼女ら、つまり女性が手首を傷付けるのは何故か。
心配して欲しいからだ。
承認欲求がある。
「大丈夫?」と言われたい。心配されたい。そして誰か助けて欲しいという欲求があるから、目立つ場所に傷をわざわざ付けるのだ。
だけど私はそうではない。誰も助けてくれない。誰も頼れない。だからとにかく何とか正気を保たなければ。とか、自分の生命力を感じて少しでも満たされたい。とか。
だから性質は男性の鬱病に近い。誰かに甘えられる、助けて貰える存在ではないと。
岡山の大学の寮時代では大浴場しかなかったし、そもそも看護科も検査技師科もあるようなガチガチの医療大学だ。
「流石に自傷傷は止めておくか…」
と言って、当時、岡山県立図書館には絶版されたものも含め、兎に角ものすごい量の魔術本が”寄贈”されていた。それを大分読み漁っていたから、
「良い機会だから、この護符を身体に書こう」
という発想になった。
勿論油性ペンであるから、普通の自傷傷より他の人は恐怖を感じただろう。
その後、寮母に占いと魔術道具や神棚について、
「いかがわしいものを置くな!」と怒られた。
ちなみにそれが引き金になって鬱病とADHD特性は急速に悪化した。
まぁそのお陰で良い心療内科に辿り着けたから、
或る意味タリスマンは効果的であったとかいう、謎の証明になった。
その病院との出会いで衝動性はかなり良くなっていった。
まぁストレスフルになる事はあったが、それとこれとはまた話が違う。
そして上京後のある日、二重整形をしたくなった。
確か、当時は大学の学費を稼いでは、勉強する為に辞め、を繰り返していた時だ。
つまり勉強に精を出していて暇だったのだ。
それに会社で人と顔を突き合わせないし、やるなら今だと思った。
勿論他の理由もある。
自分の顔は元々嫌いだが、特に一番嫌いな重たすぎる一重を解消する事。
そしてその傷は若いうちが一番治りやすいという年齢的問題。
それなら人生で一番見目の関わりが深く、そして彼氏も、そもそも異性との関わりすらなく、当たり前に結婚の予定も全くない今が最適解であると。
人生という長い目で見れば、どうやったって歳を取れば遺伝子の方が優位になる。
美容整形は効果が長いとは云え、一時的なのはそれが理由だ。
どうやったって遺伝子と生活習慣と年齢には抗えない。
だから今なのだ。
勿論、顔相についても勉強していたので、全切開の割には大分控えめに見えるだろう。ただ、自分ではかなり満足している。
その時の閾値を超える痛み。
瞼の神経という、身体でも一番繊細な部分に容赦なく入ってくる強い針。
痛みの閾値を超えるのだ。
閾値を超える感覚というのは、骨折によく似ている。場合によっては骨折より痛い。
痛みに対して、神経が痛みを感じれる以上の痛みを受けた時、カクンカクンという感覚になる。感じきれないのだ。痛すぎて。
久々に自分の生命を感じた私は、大変に痛かったけど、精神的にとても満足度は高かった。
あの時の痛みの興奮で「あの痛みのアトラクションをまた感じたいなぁ…」と思った程だ。
勿論、治療中の痛みも大変に私を満足させた。
それから広島に帰って暇になった私がしたのは、顔の脂肪吸引だ。
一部なんかじゃない。全部。
そして大小何本もの糸を入れるのも喜んで了承した。
余りに侵襲性が高すぎる為、普通の人は躊躇するのだろう。
余りに喜んで了承するもんだから、相手の方が困惑していた。
そして術後、恐怖映像並みの状態となっていた。
黒い服と黒いマスクと術後が夜だったから良かったものの、
よく職質されなかったなと思うくらいには、
顔面から丸首の黒い服にかけて、その首は血で真っ赤に染まっていた。
早めのハロウィンである。
(語感が良くて気に入っている。状況はヤバいが。)
そして突然そんな状態になった娘を見た母は絶句した。
何故なら突然その日に思い付いてやったのだから。
私は笑っていた。
そしてその治す過程で誤ってコルセットで首を絞め過ぎてしまい、
突然自殺しそうになった。
睡眠薬と痛み止めがよく効いて気絶していたのだった。
危なかったな…と思ったけど、悪くなかった。
そしてつい先日、突然ほくろを取った。
最早痛みが小さすぎてなんか物足りなささえ感じるのは内緒だ。
まぁそもそも顔の脂肪吸引という、身体で一番敏感な顔面神経に直にどれ程麻酔を入れようと、とんでもない太さの針というより、最早鋭利な筒を口腔内や顎下やら様々な場所から何度も出し入れして、しかも糸を顔面の中に縫い付け、それを任意の場所に強く引っ張り、縛り付けるのだから。
(何故こんなに詳しいのかというと、体験しただけではなく、その手術の動画を見たからだ。そこでは流石に一部位だけだったが。)
あの痛みはもの凄い。
実際、看護師さんに全然大丈夫そうでしたね。と言われた。
自分以外の人なら錯乱状態になって暴れたり、混乱状態で正気を失う、気絶するかもしれない。
実際にすぐ横の施術室で泣き叫びながら暴れる女性の声と音が、私が部分麻酔に「この針太くて、結構グイグイ来るなぁ」と思っている時に聞こえていた。
何故なら全身麻酔という概念はない、部分麻酔のみだからだ。
そして二重切開しかした事の無い、ほぼ初心者同然で、
何だったら「二重切開術がそうでもなかったから大丈夫だろう」という理由でこんな無茶な手術を受けるのだろうと見くびられていたかもしれない。
それを少し泣いて小さく唸っただけで済ませたのだから、大変なレアケースだったのだろう。
まぁでもそんな大改造の術後の痛みの凄さは桁違いであった。
その回復までの期間の長さも相まって、いつまでも血塗れであったし、口は全く開けられないため、ゼリー飲料で生きていた。
でもやっぱり幸せだった。
自分の生命力を感じて。
私が云う、「私の体を気が済むまで抉ればいいよ」は比喩だけじゃない。
相手が私に対して、二度と消えない傷を与えたい程の執着を感じてくれているのかと喜ぶ。
でもそれが無暗やたらに痛みを入れたいだけなら話は別だ。
それなら自分で自分の好きな時に、自分に痛みを入れるから必要ない。
「変わっている」なら分かるが、
「狂気」は違う。
何故ならちゃんと目的があるから。
自分の生命を感じたいのだ。
結果論として言える事は、それだけ無自覚な程に追い詰められているのだ。
しかも性質が悪い事に、他の人に救いを求めようとか、甘えたいとか、そういう考えが生まれてこの方ずっと存在しないのだ。
実際助けて欲しいと言った事はない。
どんな大怪我を負っても、とにかく自分で正気を保とうと無意識に自分で自分を慰めようとする言葉を呪文の様に繰り返す。
「大丈夫。大丈夫。痛かったね。大丈夫。」
と、自分で自分に向かって言うのだ。
誰かに甘えて助けて欲しい。という考えはない。
幼稚園時代から他の子に邪険にされ続けて、無干渉の父親と、ヒステリック教育ママの母親から妹を守る為に生きて来た。
だから「帰りたい安全な場所」というものをずっと探し続けた。
そして誰も頼れないから、甘えられないから、自力で生きる為にとにかく努力し続けた。
だからこんな変な経歴になっている。
マズローの安全欲求は未だに満たされていない。
そしてその前段階の生理的欲求も勿論満たされていない。
だから何で生きていられるのか分からない。
ほんの少しの事でも、誰かの為になれたからそれがとても幸せ過ぎると思うのは、
自分の命を犠牲にしたら誰かが幸せになれるのなら、なんて幸運なんだろうと思うのは、
帰る場所もないし、食べたい欲求も寝たい欲求も満たされないからなのか。
あまりに壊れてしまっているから、自分の生命を感じると安心するのか。
それは他人の鼓動が聞こえて安心する、つまり、一番初めのまだ胎内にいた頃の母の鼓動を感じるからなのか。
なるほどな。
自分にとっての痛みはそんなに大切だったんだな。
やたらに精神力が強いなぁと思っていたけど、そういう意味ではなさそうだ。
自傷にもいろんなニュアンスがあると思った事と、
顔の全部位の脂肪吸引と糸を一度に全てやった人の精神力の強さは凄い。
と思いました。
こんな場所で出会えたご縁に感謝します。貴方に幸せの雨が降り注ぎますように。