苦手なことばかり担当してきた私のキャリア戦略
こんにちは。mayaです。
なんと!初回投稿から2年半近くも経ってしまいました。その間になんだかんだ紆余曲折がありました。
前半は、2度目の転籍が決まってそわそわばたばた。コロナ禍も本業もある程度落ち着いた2022年は、人との繋がりを少しでも広げるべく大学で科目履修生としてスクーリングに参加したり、ミートキャリアさんのキャリアサポーターアカデミーを受講したりと自分を見つめ直しながら少しずつ活動を再開しております。
昨年お世話になったミートキャリアさんで#私のキャリア戦略なんて面白そうな企画をしているのを目にして、この投稿でnoteを再開することにしました。
なんせ社会人生活も30年を超えたので、少し長いですが、お時間が許せばご一読ください。
これまでの私の歩み
新卒で某製造業を営む純日本企業(twitterでいうところのJTC)に入社。
特に希望していた訳でなくちょっとした運命の悪戯で入社に至った経緯はまた別の機会に。
何を作っているのか、どんな社風なのか、そもそも製造業ってどんな仕事があるのかも全く知らずに入社し、配属された先はとある工場の資材調達部門。
当時の口癖が「血反吐が出るくらい働きたい(今はまっぴらごめんです!)」だった私に最初に与えられた職務は「おしぼり作り」でした。
日がな一日、ただひたすらお茶を汲み、月曜の朝には託された花束を花器に活ける日々。
父のクレイジーな「嫁に出さない戦略」のもとで家事や当時の女性的嗜みから遠ざけられていた当時の私には、何一つまともにこなせることがありませんでした。
何より、お茶くみでは血反吐を吐けなかった。
(そこだけは、むしろよかったですが‥)
その数年後、第一子育休を経て就いた仕事は、海外会社で製造した製品を輸入する仕事。
入社4年にして、ようやく仕事らしい仕事にありつきましたが、当時の私の英語力はTOEIC400点台。
なのに「大学出てるんだから、英語できるでしょ!」と工場に掛かる英語の電話は全て私に取り次がれるという新たな修羅に突入しました。
それでも「私の担当業務がある」という喜びでいっぱい、若さもあってか楽しく充実した毎日。
そんな日々に慣れ、そこで身につく知識やスキルは自社でしか活かせないのではないかという不安を感じるようになった頃、情報システム職への職種転換の公募を目にしました。
当時は、部署に一台しかPCがなく、ブルースクリーンが出ただけで情シスに電話する程度のリテラシーレベルな私でしたが、「情シスなら他社でも通用するスキルが身につくし、将来在宅勤務もできるかも!研修付きだしなんとかなるでしょ!」と応募・合格し、情報システム職に異動しました。
この時、私27歳、第一子2歳。
夫は平日出張、親の助けもないワンオペ。
今考えると無謀にもほどがありますが、当時の私にはワクワクしかありませんでした。
ただ女子校育ち・数学受験だけど文系の私は、今でいう基本情報技術者試験への合格を命じられるも、2進数って何?からのスタート。ここでも「苦手」と闘う毎日でした。
ひとつひとつクリアして開発業務もこなせるようになった頃、第二子の育休をきっかけにアプリ開発部門からインフラ運営部門に異動した時は、さすがの私もかなり戸惑いました。時短勤務にしたこともあり、経験的にも流石にいきなりインフラ構築や運用の業務を担当するのは無理なので、まずは勉強がてら部内の各種プロジェクトの事務局を担当。
議事録を取るにも知らないことが多すぎて、いろんな人に聞いて回ってました。
事務局仕事って大切だし案外大変な仕事ではありますが、それしか仕事がないとなると全く評価してもらえず、数年最低評価が続く羽目に。
そこで新たに託された仕事が、ITにまつわるセキュリティルールを企画・実装する業務。
またも新たな「苦手」の扉を開くことになり、そのまま17年。
10年前に外資系IT企業に転籍し、現在に至ります。
苦手なことばかり担当してきた私の特性って?
入社から今までを振り返ると、どういう訳だか一貫して「苦手なこと」を担当し続けています。
時には、苦手なだけではなく、どちらかといえばしたくないことを担当したことも多かったように思います。
20代の頃よりは英語力アップしたものの、今も海外との週次の会議でうまく話せず聞けず悪戦苦闘中です。(日本語でも言葉が出ないことがあるお年頃、英語ならさもありなんで…苦笑)
苦手ながらも、最終的にはそれなりに克服し、実績に繋げることができたのは自分でも頑張ったなと思えることです。
新たな「苦手なこと」にアサインされる度、私がまず考えるのは「何故私に任されたのか?」です。
そこそこ社員数の多い会社に身を置いているので、他にも人はいるはずなのに、わざわざ私が担当するには多少何かしら期待することがあるはずで、それは何なのかを考えるようにしていました。
会社だって上司だって、箸にも棒にも掛からず絶対に無理と思えば任さないはずだと信じることで、心折らないように自分を守ってきたという面もあります。
そうしていろんなことを乗り越えてきたのが功を奏したのか、よほどのことがない限り投げ出さない、大抵のことはなんとかなるというマインドが身についたのは大きな副産物だと思っています。
その「投げ出さない」特性が、次の無理難題を引き寄せているのかも?とも思わないでもないですが、それでできることが増えるなら誰も損はしないのかな。
苦手なこと、わからないことを担当するからこそ、自分なりの理解をするために上司やお客様の要望が肚落ちするまで聞き、十分に理解を深めた上で相手の立場に立って業務を遂行する習慣も身につきました。
そして、苦手だと思っているからこそ、相手の要望+αのアウトプットを心掛けています。
苦手なことの習熟度の証と自分自身の安心のために、資格を取って目に見える形にすることも心掛けてきました。
私の得意なことは?
そんなこんなで苦手なことばかり30年以上担当していると、自分の得意なことってなんだっけ?と思ってきましたが、こうして改めて振り返ってみると、私の得意なことは、「苦手なことでも気負わず逃げずに取り組めること」かもしれませんね。
逃げずにいれば、可能性は無限大!
そろそろ「好きなこと」を仕事にしたいので、今年はカウンセリング/キャリアカウンセリングのお仕事も充実させるべく、また新たな扉を開きたいと思います。