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どうして人は私に話したくなるんだろう

初めまして。なぜだか不思議と打ち明けたくなるMayaです。
普段は普通の会社員、夜とお休みの日にキャリアコンサルティングやカウンセリングをしています。
社会人生活28年中通算25年ほど子育てと会社員との二足のわらじで、ある時に全力疾走、ある時は匍匐前進、ある時は逆走したりと生きてきましたが、ようやく次女が高校生活最後の年を迎え、私の子育てもほぼゴール。
そろそろ2足目のわらじを子育てから本格的にカウンセリングに履き替えようかと実名顔出しでnoteなど始めてみることにしました。
誰か読んでくれるんだろうか??という疑問100%ですが、まずはやってみよう!
そう、始めないと何にも変わらないから。

プロフィールにもある通り、どういう訳だか子どもの頃から突然何の脈略もなく悩み事を受け止めたり、「え?それ私に話して大丈夫なの?」という秘密を共有することになるという人生を生きてきました。
無二の親友とか後輩とかならともかく、なぜだか先生や親の知人といった目上の方からだったり、いつも遊んでいると訳ではないくらいの距離感の友人だったり。
別に根掘り葉掘り聴いてる訳ではなく、むしろ根掘り葉掘り聴くのはダメかなと思って質問なんぞは全くしないのに、スルスルとお話が出てきちゃう。。
目上の方に関しては特に、アドバイスなんぞできるはずもないので、ただただ聴いているだけなのに、お話することで色々自己解決しちゃって謎に感謝されるという。
中学受験の塾も授業が終わってからたくさんお話を聞いて帰りが遅くなったり、ピアノに至っては、レッスンそっちのけで先生のお話を聴いてたという変な子でした。どういう経緯でお話を聴くことになったのかは全くわからないけれど、いつもそんな感じ。
大人になった今でも、そう。
目上の方のお話を聴くことは減ったけれど、微妙な距離感の知人・友人からお話を引き出してしまう場面は今だに健在で。
何でそうなってしまうのかは全くわからないけれど、一つ言えるのは、そうやって心のうちを吐き出すことで表情が和らいでいく人の顔を見るのはこの上なく幸せな気持ちになるということ。
力とかスキルとか言えるようなものなのかどうかは定かではないけれど、今のこの不安が蔓延したような世の中で少しでも多くの方の心の消えそうになっているともし火に再び灯りを灯すお手伝いができたらいいのにな。
カウンセラーになりたくて産業カウンセラーを、仕事をする女性の力になりたくて国家資格キャリアコンサルタントの資格を取り、これまでも細々と活動してきましたが、もう少し本格的に活動してみようと思ってます。
さて、何を足がかりに進めたものか。。
noteに綴りながら考えていこうと思います。
いいアイデアがあれば、コメントください。

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