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宿題が出せなくて(小学生編1)
宿題を提出する習慣がつかないまま中学校卒業を迎えようとしている2月末の今です。義務教育9年間の殆どを宿題が出せないまま旅立ちかけているコウですが、宿題が出せていた時期もあります。小学1年生と2年生の頭、4年生、中学3年生の1学期です。
小学1年生は何の問題もなく宿題を出していました。小学生定番の『帰宅→おやつ→宿題→ゲーム』のルーティンを回していましたし、全く問題はないように見えました。が、2年の途中から宿題をサボるようになっていったのです。
最初は「今日は宿題ない」「学校でやった」と言っていたので怪しいな~と思っていたのですが、先生からお電話をいただきコウの状況を把握していくと、
宿題をやっていない
途中までしかやっていない
違うノートにやっている
やった宿題を提出していない
宿題を失くす
…などの理由が混在していることが分かってきました。物・記憶・行動の管理がしっちゃかめっちゃかです。これには中学生になってからも悩まされました。それに加えて『書字が不得手なため宿題の負担が大きく避けたがっている』という理由もあることが分かりました。宿題に凄く時間がかかるのです。
『やった宿題を提出していない』に関しては、高学年では先生が「出していない人~」と促してくださったことでかなり減りましたが、自分に出ている宿題が把握できていないこと、必ずやらなくてはいけないと認識して頑張ることは中学生の今も解決していません。
小学生の間は『漢字書き取りノートを学校に忘れる→家で違うノートにやる→それを学校に持って行って失くしたので提出したのかどうかも分からない→新しいノートにやる→使いかけのノートだらけでもう訳が分からない→学校からの電話により時差で宿題の状況が分かる』のようなパターンが頻発していました。
当然筆箱も空っぽ。プリントは畳まれ丸まり、ランドセルの中はくしゃくしゃ。しまいには教科書も失くす始末です(ということをこれまた『一か月前から〇〇の教科書がない状態です』という学校からの電話で知りました)。
これらのゴタゴタに加えてASDで毎日何かしら小さなことでパニックを起こすコウから状況を詳しく把握することも難しく、親子共々夜には気力体力も乏しく……
という何が何だか分からない状態で小2~小3までが過ぎて行きました。そこに光明が差したのが小学4年生です。担任の先生が一週間の予定表をプリントしてクラス全員に毎週配布してくださったのです。
そのプリントには習字道具や彫刻刀などの特別な持ち物と宿題が載っており、そのプリントをもとに宿題や持ち物を管理すればよかったため、その一年間の宿題提出状況は劇的に改善されました。職員室で「丸山君も4年生になってしっかりしたね」と話題になったそうです。
ところが、5年生になってからは再び忘れ物で名を馳せる丸山コウ君と化してしまいました。担任の先生が変わり、一週間の予定プリントが無くなったからです。
「なるほど、支援が上手くハマるかどうかで、こうも違うものか」と思いました。
4年生の間も『書字に時間がかかるので宿題が長時間化する問題』は続いていましたが、励ましごまかし何とかやってきていました。
4年生は、コウにとって学校生活の負担が少なかったことも宿題をやる余力に繋がっていたのかもしれません。学校でからかわれるなどのトラブルがあった際、担任の先生はコウの気持ちに寄り添ってくださったそうで、コウは先生をかなり信頼していました。(からかった子も注意しつつ、一方的に悪者扱いすることはなかったそうで、そこもまたコウにとって信頼できると感じられたようでした)
5年生では予定プリントが無くなった他、漢字書き取りノートのマスが小さくなったことによる書き取り量の増加、漢字の画数の増加により、宿題の負担も大きくなっていきました。
そうして就寝時間まで宿題が食い込んでも終わらなくなってきたため、ついに担任の先生と話し合うことになりました。
この話し合いが小さな転機になるのですが、長くなってきたため一旦ここで切ります。次は、現在のコウが「あの話し合い、僕がぶち壊しちゃったんだよね~(笑)」と振り返る『先生との宿題の話し合い』を書いていきます。
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