【小説】アライグマくんのため息 第9話おバカ犬の雄叫び
ついに、待ちに待ったリカの受験校からの試験結果が届いた。B5サイズより、ほんの少し小さめの、薄っぺらな茶色い封筒。それは、郵便局の兄ちゃんの、
「こんにちはー。速達でーす。」
という、威勢の良い声とともに届いた。最初にそれを受け取ったのは、「ちび」だった。郵便物を受け取るや否や、「ちび」は、わずか2メートルほどの廊下をバタバタと音を立てて走った。
「リカちゃん!リカちゃん!大学からの手紙だよ!」
息せき切って、興奮している。「ちび」とは対照的に、台所で計算をしていたリカは、
「あ、そこ、置いといて。」
と、「ちび」の顔も見ずに、黙々と計算に取り組んでいた。リカのこの冷たい反応が、面白くなかったのか、「ちび」は、唇を突き出して、
「あ、そ!じゃあ、あたし、先に見ちゃおうっかなー。」
と言って、封筒を破ろうとした。すると、
「ちょちょちょちょちょ!止めてよね、あたしの手紙なのよ!「
リカは怒鳴って、「ちび」の手から手紙を奪い取った。「ちび」は、ニヤリとして、
「ほらぁ。やっぱり、気になってたんじゃない。素直じゃないんだなぁ~。」
と言った。
「だって、計算の途中だったのよ!途中でやめたらわかんなくなっちゃうじゃん!…あー!ほらあー。わかんなくなっちゃったじゃん、どうしてくれんのよぅ!」
リカは大きな声を出して、「ちび」に掴みかかった。すると、
「後で計算すればいいじゃない。そんなことより、ほら!早くみたら?」
やけにこの時は、お姉さんくさいトーンで話す「ちび」。リカは、ほんの少し「ちび」を横目でにらみ、1つゆっくりと大きく深呼吸をして、封を切った。中には白い少し厚手の紙と、少し薄いピンクの色の紙が入っていた。リカは、しばらく白い紙を食い入るように眺めると、顔を上げてこう言った。
「やったあ!!!受かった、受かったよ、まみちゃん!」
「わー!!!よかったねぇ、リカちゃん。ママとパパに電話しなきゃ!」
その後、「ちび」は、これでもかというほど、自分の留学時代の苦労話や楽しい思い出をとうとうを語った。リカがどこまで聞いているのかは、はなはだ疑問だけど…。その時、初めてオレは、「自分はこれからどうなるのだろう。」と、急に不安な気持ちに駆られた。
リカのこの留学決定の話は、武討家の和解をもたらした。一番反対していたママりんも、ちょっと寂しそうに、鼻をぐずぐずとさせながら、
「まったくもう、仕方がないわね。あんた達は。まみちゃんといい、リカちゃんといい、二人ともどうしてこうなのかしらね…。でも、まあ、とにかくおめでとう。」
と、しぶしぶとリカの留学を認めた。
ところで話が変わるが、リカが学びたいと思っていた大学の教授が、アメリカの大学からイギリスに移った、と言うこともあり、急遽、留学先がイギリスに変わったのだった。いやはや、住む国も変わるとは…である。
一見誰もがリカの留学を認め、平和になったかのように見えたが、若干1名、いや、正確に言うと1匹、猛反対する奴がいた。そう、あの、「おバカなハスキー」である。今まで、さんざんリカが留学に向けて頑張っている姿を見ておきながら、奴にはそれが、どういう意味を持つのか、ちっともわかっていなかったらしい。だからリカが、
「ごめんね、ハスキーちゃん。あたし、しばらくイギリスに行くことになったの。一緒に行けなくて、ごめんね。」
と、優しく奴の頭を撫でながら言ったとたん、
「うわぁーん、うわぁーん。なんで、なんで?うわぁーん。嫌だよぅ。ぼく、嫌だよぅ。うわぁーん、小口くんは、どうするの?小口くんも悲しむよぅ。うわぁーん、嫌だよぅ。ぼく、ぼ、ぼく、小口君と、リカちゃんとまた一緒にお外へ出たいよぅ。うわぁーん。」
「おバカハスキー」が泣き出したのだ。奴の言葉が通じたのか通じていないのか、リカは、本当にさみしそうな顔をして、
「ごめんね、小口君からせっかく買ってもらったのに、たいして可愛がれなくて…。」
と、ハスキーのぬいぐるみを抱きかかえて泣き始めた。おバカハスキーは、
「リカちゃんなんて、大っ嫌いだぁー!嫌いだよぅ。うわぁーん、うわぁーん。」
と、泣き続けるのだった。
この「おバカ野郎」、よっぽど悲しかったらしく、その日は一日中泣き続け、さらには数日間にわたって、ほとんど泣き続けていた。リカの部屋は、奴の涙でぐっちょぐちょになった。最初はおおらかな気持ちでいられたが、さすがに奴の涙がオレの腰あたりまで届いたあたりから、「これはやばい!」と危機感を感じ始めた。
ところで、人間は、ぬいぐるみは泣かないものだと思っているらしいが、実はそんなことはないのだ。このプリティなオレ様でさえ、リカと見た悲しい映画(もちろんビデオだが)に、思わず心揺らされ、泣いてしまったのだ。
まぁ、泣くといっても、人間に見えるというものではない。それは、例えば、
「あらっ?子のぬいぐるみ、ちょっと、カビが生えてるじゃない。なんでだろう???」とか、「このぬいぐるみ、なんだか湿っぽいわ。」なんて言うとき、それは、そのぬいぐるみが泣いたか、泣いているときなのである。
ぬいぐるみが流す涙の量は、そのぬいぐるみの身体の大きさに正比例する。だから、小柄なオレ様が泣くのと、どでかい「おバカなハスキー犬のぬいぐるみ」が泣くのとでは、「小雨」と「大雨洪水警報の時の雨量」くらいの差なのだ。
そこで、オレは、この「おバカ野郎」が泣くのをやめさせようと、色々な方法を考えた。奴の好物の「わさび漬け」(こんなものを食べているから、ますます頭がパーの方向へ向かっていくような気もするが…)をいつもより少し多めに与えたり、奴の好きな歌を歌ってやったり、夜中にこっそりテレビをつけて(もちろん無音だが)、ちょっと大人の人が見るような番組を見せてやったり…。それはもう、いろんなことをしてやった。
が、奴はもらえるものはしっかりもらうくせに、一向に泣き止もうとしなかった。さすがのオレも閉口してしまい、とうとう怒ってしまった。
「あー。お前なぁ~。いい加減にしろよ。しょうがねぇじゃないか。」
すると奴は、
「だって、だって、ぼ、ぼく、悲しいんだもん。うわぁーん、うわぁーん。」
と言って、また泣くのであった。しびれが切れて、つい、オレは、
「じゃあ、何かよお前。一緒にリカとイギリスに行くのかよ。え?できるわけねぇじゃん。お前、5㎏もあるし、超でかいんだぜ。リカが運べるわけないじゃんか。バカ野郎!」
と言ってしまった。
「アライグマくんにはわからないよ。だって、アライグマくんは、おチビちゃんだから、リカちゃんと一緒に行けるじゃないか!それに、リカちゃんが本当にぼくを連れていきたいなら、郵送で送ってくれたって、いいじゃないか!なのにどうして?どうしてなんだよぅ。うわぁーん、うわぁーん。僕だけ、僕だけ、なんで独りぼっちなんだよ。うわぁーん。」
と泣くのだった。
(やれやれ…。知らねぇよぅ。)
結局オレには、奴の涙を止めることができなかった。が、以外にも「ちび」の言葉で、ピタッと奴の涙が簡単に止まってしまった。それは、
「今度、うちに、アメリカからキャッシーが来るのよ。リカちゃん覚えているでしょ?ほら、あたしが留学していた時、同じルームメイトの。すっごい美人の。」
なのだ。この言葉を聞いて、奴はしっぽ振りだした。
「ねぇ、アライグマくん。キャッシーって、金髪なのかな、それとも、黒髪なのかなぁ?」
と、ニコニコしながら言うのであった。
数日後、リカは留学が決まったことを小口の野郎に告げた。小口の野郎は少しも驚くことなく、淡々と言った。
「そうか…。やったじゃん…。おめでとう。」
オレは、その言葉が、小口の野郎の本心でないことをすぐに察知した。なんだか小口が気の毒になった。
リカが、ちょっとトイレにいなくなった時、オレは小口に向かって、
「よう、本当にいいのかよ、これで。お前、嫌なんじゃないのか?」
と聞くと、
「んなこと言ったって、しょうがねぇじゃんか。もう行くって、決めてるんだし。俺にはそんな資格、ねぇんだよ。」
とぶっきらぼうに小口は答えた。確かにそうだな、と、オレも思ったが、なんだか割り切れない気がした。オレが小口に何か言おうと思って口を開いた瞬間、小口のほうから、
「なぁ、お前。一緒にアメリカ行くんだろ?」
と、たずねてきた。
「まぁ、たぶん、そうなると思うぜ。なんせリカは、オレがないと、寂しくて、眠れねえみたいだし。」
と答えると、小口はオレの身体を両手で持って、目をじっと見つめた。
「じゃあ、俺の代わりに、ご主人さまをしっかり守ってくれよな。約束だぞ!な!」
小口は、そう言って、オレに手を差し出した。オレ達は、互いに目を見つめあいながら、握手をした。
だが、この二人の約束は、意外な結末を迎えることになったのである。
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