【小説】アライグマくんのため息 第8話嵐の夜②
例によって、一週間に一度の福岡のママりんからの電話がかかってきたときである。いつものように、「ちび」のなっがーい電話の後、リカが電話に出た。
「あ、もしもし?うん、あたし。元気だよ。え?変わったこと?あぁ、そうだ。話そうと思ってたんだけど、あたし、来月付で会社辞めるから。」
リカが言い終えないうちに、耳かきに専念していた「ちび」が突然、
「えぇー!!!うっそー!あたし聞いてないよ!どうして、どうして、リカちゃん、なんかあった?」
と大声を上げた。おそらく電話の向こうにいるママりんも、同じようなことを言ったに違いない。オレ自身もリカのいきなりの告白に、おめめを大きくしてしまった。オレが聞こうとしたのとほぼ同時に、「ちび」がすかさず、
「えー、だって。やめてどうすんの?今やめるの、まずいよ。景気悪いし。」
と、リカが電話で話をしているにもかかわらず、平気で会話に割り込むのだった。リカはケロっとして、
「えっ?ああ、あたし、留学することにしたんだ。」
とあっさり。「ちび」は、さらに何か言おうとしたが、リカは、
「今、電話中だから、黙っててよ、まみちゃん、うるさいよ。」
とぴしゃりと言い放った。すると、「ちび」は、
「人が心配しているのに、『うるさい』はないでしょ!何考えてんのよ!」
と怒鳴ったが、リカは完全に「ちび」を無視して、ママりんと話をつづけた。
「ごめん、隠していたわけじゃないけど、本当、この話、つい最近決めたのよ。確かにあたし、前から会社に不満持ってて、何度か転職しようとは思っていたけど、具体的に何がやりたいっていう、こう、はっきりした考えがあったわけじゃなかったし。でも、この数か月、沖縄旅行に行ってから、いろんな人に会ったり、いろんな本とか読んでいるうちに、これっていう、やりたいことが見えてきたのよ。やっぱり、大学時代から勉強していた、心理学に関係した仕事に就くのが一番かなと思って。でも、いきなりって言っても難しいから、専門の勉強をし直すべきかなと。」
リカの言うことを一通り我慢強く聞いた後、今度はママりんの反撃が開始した。
「リカちゃん、転職するのは、パパもママも前から言っているように、別に反対じゃないのよ。確かにリカちゃんの話を聞いていると、だいぶん身体に無理をしなきゃならない職場みたいだし、身体を壊して会社を辞める人がとても多いっていうしね。そんなに無理するんだったら、転職したほうがいいって思うし。そうね、確かによくわからないけれど、大学の専攻分野を役立てて就職するのもいいかもしれないわね。だけどね、リカちゃん、どうしてそれで留学しなきゃならないの?別に日本でだって、心理学を勉強できるでしょう?」
期待通りの質問が来たらしく、リカは得意げに説明を始めた。
「あたしね、カウンセリングの勉強をしたいの。大学で勉強した程度じゃ、就職するにはまだ不十分なのよ。日本じゃ最近でこそ注目され始めたけれど、やっぱり、本格的に勉強するんだったら、本場のアメリカでやらないと。できれば、修士をとりたいし。」
ママりんは、納得いかないらしく、何かを言いかけようとしたが、リカはそれを遮るように、
「あっ、もう電話長くなったから、切るね。」
と、さっさと電話を切ってしまった。リカが電話を切るや否や、今度はすかさず「ちび」の攻撃(口撃?)が始まった。
「あのね、リカちゃん。留学、留学って、簡単に言うけどね、あんたね、そんなに甘いもんじゃないのよ。知ってるでしょう?あたしがどれだけ苦労したか。」
アメリカに留学経験のある「ちび」は、それはもう、得意げに、話をつづけた。
「それにね、今もう1月でしょ?どうすんの?普通だったら、もう行く大学を絞って、願書出すくらいのタイミングでしょ?大体あんた英語だって、ろくすっぽ話せないでしょ。無理よ、絶対!英語の試験も受けないとなんないのよ。英語の試験の申込み、何か月も前にやらないとダメなんだし…。今から受けるにしたって、最速で3月よ。願書を送るタイミングを送らして、4月にしたって、英語の試験、もう2回しか受けられないわよ。大学院っていったら、すっごく英語で高得点取らないと、願書を出す資格すらないのよ。それに大体今から大学探して、願書請求してって、間に合うはずないじゃない!無理ね、絶対!」
「ちび」のこの「絶対」という言葉に、リカはカチンと来たらしく、眉間に皺を思いっきり寄せて、
「絶対無理とか言って、自分だって、あの時ヒーヒー言いながら、直前になって、おしりに火がついてやっていたくせに!」
この後、またまたリカと「ちび」の、血を血で洗うような、壮絶な喧嘩が始まった。二人は延々2時間以上怒鳴りあった後、各々の部屋に戻っていった。
その日の後も、「ちび」の「口撃」や度重なるママりんやパパりんの電話攻撃が毎日のように続いた。けれど、リカは全くガンとして折れることはなく、着々と計画を進めていった。
毎日会社から家に帰り、夕飯を済ませると、すぐに受験に必要とされる、英語の勉強や、願書の準備を始めた。その勉強に対してのリカの取り組みは、まさにねじりハチマキものだった。リカがあんまり真剣に取り組んでいるので、オレはなんだかリカをからかいたくなったくらいだ。そこで、よくリカが勉強しているとき、部屋にある物を動かしたり、わざと物音を立てたり、「だるまさんが転んだ」をやったりした。だが、リカの集中力は恐ろしく高く、ちっとも気が付かないようだった。ただひたすらに、黙々と勉強していた。休憩時間には、大学から取り寄せた、パンフレットを真剣に何度も読んでいた。
オレは、「もしかしたら、こいつは本当に留学できるのかもしれない」と思い始めた。
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