悩みはいらないのに、欲しくなる〜anagonの日記3/30〜
はじめに
今日は、夜にMTが結構入って楽しかったです。
あと最近近所の写真を撮りすぎて、撮るものがなくなってきて困ってます。
①今日あったこと
・散歩した
・本読んだ
・showtimeのMTした
・MV制作のMTした
・大阪ライブのMTした
・写真撮った
友人に勧められて買ったまま読んでなかった朝井リョウの「死にがいを求めて生きているの」を読んでいるのですが、これがなかなか分厚い(500ページくらい)上に、読んでて苦しくなるので、ここ一週間くらいずっと苦しいです。
今日の写真たちは、うちの近所を散歩しながら撮ったスナップ写真たちです。
②今日思ったこと
1.悩みはいらないのに、欲しくなるって話
悩むことで足が止まって、悩むことで何かを諦めて、悩むことで生きることが苦しくなる。
悩むことで自分が嫌になったり、悩むことで人が嫌いになったり、悩むことでベストな選択から遠ざかる。
悩みの程度や中身は人それぞれだけれど、僕らは等しく何かに悩んで生きていると思います。
僕も日々色々悩んでます。
どうやったらもっといい曲が書けるんだろう。
どうしたらもっと僕は売れるんだろう。
音楽をやめた自分の価値ってなんだろう。
そもそも自分の価値は、何を持ってして決まるんだろう。
(この悩みを勝手に考えて文章にしてるのがこの日記ですが)
あー、もう悩みなんかなければ人生ずっと楽で楽しいのになあと考えたりします。
けれど、一方でその考えとは裏腹に僕は、悩みたいと思っている。
日々どうでもいいことから、一生かけてもわからないようなことに、能動的に悩みに行っている。
「悩みなんかなくていいのに、悩みがないとそれはそれで不安。」
というのが、僕の心情で、なんでないと不安なのかというと、
世界から切り離された感覚になるからです。
適当にベッドに横たわって、何も考えないで、ずっとぼけ〜っとすることはできます。全てが現状でうまくいっていて、特に悩むことなどない時もあります。最初はそれがすごく心地いい。
けれど次第に、なんだか世界から取り残されたような、切り離されたような、そんな寂しさと焦りを覚えるようになってしまう。
何かを考えていないと、何かに悩んでいないと、僕は社会から、世界から切り離された存在になると思ってしまう。
そんな自分が書く音楽や、書く言葉はひどく的外れなんじゃないか。空っぽなんじゃないかとと思ってしまう。
そうして、僕はまた悩みたいことを見つけて、悩み始めます。
苦しいけれど、それが安心する。悩むことで、人と繋がっていると思える。
それが異常か正常かは知りません。
脳みその大きさは変わってないのに、時代は進んでその分だけ悩むことが増えてしまった。本来悩まなくてよかったことにも悩んでしまう、そんな世界は異常なのかもしれない。
けれど、きっと人間は昔から、何かに大して悩みを抱えて、それを共有して解決してきたからこそ、今こうして生き残っていると考えたら正常なのかもしれない。
ただ異常であれ正常であれ、僕は悩むことによって、不安定という安寧を得て、そこに居心地の良さを感じていることは間違いない。
だから、悩みはいらないけれど、まだ欲しい。
悩んでいることで、人として生きている実感があるから。
人と、社会と、俗世と繋がっていられる気分になるから。
終わりに
歌詞を書くときに、問だけ投げて終わるのは許されるのかについて最近ずっと悩んでいます。