消えた写真と、玉ねぎのみそ汁。
はじめまして。Webライターのアナと申します。
はじめてnoteに投稿します。
お仕事を始めてから5年以上。
2021年末現在、今まで担当した記事は大小あわせて250本を超えます。
そのほとんどが「誰かがしゃべった話」を短く編集するというものです。
そのままでは読みづらい会話文を、
いかにスッキリと短くわかりやすくまとめるか。
そんなことに頭を悩ませながら
パソコンとにらめっこしている毎日です。
このような生活を送るようになったのは、
実は偶然に偶然が重なった結果。
日常の困りごとにそのつど対応しているうちに、
Webライターの仕事に行き着きました。
最初は「Webライターになりたい」と思ったわけではないけど、
今は「Webライターっていいかも」と思い始めています。
そんな私が、
Webライターを始めることになったきっかけの一つについて、
今から書こうと思います。
お時間ある方はお付き合いください。
嫁ぎ先で見つけた校正の仕事
14年前、私は結婚して、夫の実家で新生活をスタートさせました。
地元を出て少し離れた他県に引っ越したので、
「私が地域に慣れるまで一緒にいさせてください」
という形の同居でした。
義父も義母も優しくて、私をかわいがってくれました。
さて、そのとき20代前半だった私。
体は元気でしたが仕事をしていませんでした。
結婚して落ち着いたら仕事を探すことにしていましたが、
1か月たっても、2か月たってもやる気が出ず、
夫の実家に閉じこもりっきり。
この子は大丈夫だろうかと義母が心配して、
パートの合間に私を外に連れ出してくれることもありました。
3か月がたったころ、ようやく働く気持ちになりました。
きっかけは、求人情報誌でたまたま見つけた「校正」の文字。
隣の市にある印刷会社で、
校正の仕事ができる人を募集していたのです。
校正…。何となくは知っていました。
文章の誤字脱字を見つけるやつだよね?
その程度の認識でしたが、文章に関わる仕事が
当時はとてもおもしろそうに感じられました。
なんだか魅力的な校正の仕事。
私は運命を感じて、その仕事に応募しました。
消えた1枚の写真
その後、面接を経て採用されることになりました。
隣の市にある会社なので、通勤は電車。
義父の通勤ついでに車に乗せてもらうこともありました。
何か月も閉じこもっていた私が、隣の市に毎朝出勤。
気持ちはだんだん明るくなり、毎日が楽しくなりました。
校正の主な仕事は、お客様の手書き原稿とゲラを照らし合わせて
文章のミスやレイアウトの崩れなどを赤ペンで指摘することでした。
子どものころから本や新聞を読むのが好き。
学生時代は小論文や卒論で校内の賞をもらえるくらい。
そんな私だったので、
仕事で文章に触れることは苦痛ではありませんでした。
いや、むしろ大好きかも。天職かも。
そんな感じで、順調に校正の仕事に取り組みました。
そして、少しずつ他の仕事も任されるようになりました。
手書き原稿やプリント写真の整理、
データ入力、画像のリサイズ、
簡単なイラスト作成などなど。
わあ、おもしろい。
仕事を一つ覚えるごとに世界が広がり、
会社の一員として役に立っている実感を覚え、
私はとてもハッピーでした。
そんな日々を過ごして、1か月がたったころ。
事件が起きました。
私が整理を担当した写真が1枚、なくなったというのです。
画像担当の社員さんが気づき、私に連絡が来ました。
それはお客様から預かったプリント写真で、おそらく一点もの。
なくしたなんて大問題です。
その写真は数センチ四方の、証明写真ほどのサイズ。
小さいから、私の机のどこかに隠れているかもしれない。
私はあらゆる場所を探しました。
引き出しの中、床下、キーボードの隙間、別の仕事のファイル。
それでも見つからないので、
ペンケースの中、バッグの中、ズボンや上着のポケットまで
思いつく限りの場所を必死でひっくり返しました。
職場でも社員さん総出で協力して探してくれました。
収集日直前だった大きなゴミ袋を開け、
中身を全部確認している社員さんもいました。
それぞれの仕事を中断し、
何時間もかけて探し回った1枚の写真。
それはとうとう出てきませんでした。
あとは残りの社員で探すから帰っていいよ。
就業時間を過ぎていた私に、
直属の上司が優しく声をかけてくれました。
けれど、
まだゴミ袋をあさっている社員さんを背に帰宅するのは
とても情けない気持ちでした。
いつも私より帰宅が遅い義父の車に拾ってもらい、
しょんぼりしながら帰宅した私。
私は義父と義母に、職場で起きた出来事を手短に話しました。
まあ、そういうこともあるよ。
アナさんがなくしたと決まったわけではないんでしょう?
そんな言葉でなぐさめながら、
義母が差し出してくれたのは夕飯の玉ねぎのみそ汁。
そのみそ汁が本当においしくておいしくて、
体のすみずみにまで、しみわたっていきました。
誰も私を責めなかった
結局、翌日になっても、何日たっても、
その写真は見つかりませんでした。
見つからなかったということは、
写真の持ち主のお客様にご迷惑をおかけしたということ。
たぶん、営業担当の社員さんは社内外で怒られたと思います。
私も一緒に怒られるべきだと思い、
本当に申し訳ないと職場を謝って回りましたが、
誰も私を怒ったり、責めたりしませんでした。
まあ、仕方ないよ。こっちで何とかしたから大丈夫。
そんな言葉をかけてくれて、私がそれ以上
思い詰めないように気を遣ってくれているようでした。
なんてみんな優しいんだろう。
私は感謝の気持ちでいっぱいでした。
その後も、
なくなった写真のことはずっと胸に刺さりっぱなしでしたが、
時間が薬となり、私は気持ちを切り替えて
再び仕事に打ち込むようになりました。
校正の仕事はおもしろくて、いくらやっても飽きなくて、
いつの間にか3年間、その仕事を続けていました。
そして、第1子の妊娠を機に退社。
それからは長い長い育児期間に突入します。
あのとき、もしも
最近になって自分の仕事を振り返るようになり、
ふと、私のWebライターとしての原点って
あのときだったなと思うようになりました。
写真がなくなったとき、
もし誰かに強く責められたり、怒られたりしたら、
おそらく私は居心地が悪くなり仕事をやめていたでしょう。
楽しかった校正の仕事も、
嫌な思い出に変わっていたかもしれません。
そうなっていたら、きっと
Webライターになる足がかりを持つこともなく、
今ごろまったく違う仕事をしていたかもしれません。
私が5年前にWebライターの仕事に挑戦しようと思ったのは、
校正の経験があったからです。
プロフィールに「校正の経験がある」と書けば
そこに注目してくれるクライアントさんがいたり、
校正の経験がWebライターの仕事に活かせる場面があったりしたからです。
今、私がWebライターの仕事をしているのは
偶然に偶然が重なった結果。
あのとき、私に優しくしてくれた人たちのおかげだと思っています。
本当に感謝しています。
現在、Webライターとしての力量はまだまだで、
どこまでいけるかわかりません。
迷いながらも勉強を続け、
クライアントさんのお役に立てるように頑張りたいと思っています。
そして、あのとき
義母が差し出してくれた玉ねぎのみそ汁のように、
傷ついた誰かの心にしみわたるような文章を書けるようになりたいです。