記憶と何をマリアージュさせるか
ここ何年も、一日かけてゆっくり読書する機会は殆どないまま走り続けてしまったので、一日のうちに一冊の本を、読み始めから読み終えるところまでできた日は、もはやちょっと特別な日として記憶に残ってしまっている。
今日は、昨夜読んでみたいと思った本を、午前中に図書館で借りて、午後に読み切って、夕方に覚えておきたいと思ったところをノートの1ページにメモするという、まるで優等生、もしくはまるで暇人みたいなムーブをキメることができました。特別な日。
やっぱり隙間時間でぱらぱらとがんばって読み進めるよりも、一日でわーっと集中して読んだ方が全然いいですね。頭と心に入る。
そんなことを考えながら立ち食い寿司で、秋刀魚のお寿司を食しました。もう秋だ。嬉しいような寂しいような。
ヘッダーの写真は、いつか泊まった京都の旅館・柊屋さんの窓辺。
この旅館は川端康成先生御用達の宿なので(そういうのが大好物なの)、思いつきで、その日、宿の近所の本屋さんで買った本を、この窓辺の席でゆっくり読んだ。京都が舞台の小説を選んだのでより楽しかった。本に出てきた京都の料理を食べてみたくて、翌日探し歩いて、帰途の新幹線でわくわく食べた。
この時、あの本読んだなっていうのがセットで記憶になったのが良かった。
本と記憶のマリアージュ。
記憶とのマリアージュにより、より芳しくなるものの代表だと、別れた人の香水の香りとか、失恋して泣いてる時に聴いた悲しいラブソングとかが代表ですかね。
あとは、卒業式の日の桜がきれいだったなとか、季節の何かもそうですね。
川端康成先生も、別れる男に花の名前を教えとけって語られてますしね。毎年花が咲く度にそれを引き金に自分のことを思い出させる作戦。
あの時この本読んでたなとか、一緒にあの映画見てたなとか、作品系もマリアージュにおすすめです。
記憶と何かのマリアージュについて、もう少し推考を深めて、今書いている恋愛随筆の方で深堀りします。
出来事を甘美に仕立てるこの組み合わせのセンスこそが、私たちがもっと学ぶべき大人の嗜みなのかもしれません。
私の夏休みの日記は、明日で終わりとなります。少し寂しいな。
もしも全部読んでくれている人がいたら、今日が24本目でした。
たくさん読んでくれてありがとう。