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【センシティブ?】くぐったゲートとくぐらなかったゲート

前回の続き。良かったら読んでみて下さいね。

※ここからは下ネタではないと思うが、センシティブな内容も含む為、苦手な方はそっ閉じで良いかと…



急に家族が増えた。


新しい父と弟。

新しい父親はもちろん日本語を話すので、当時は何を話していたのか自分には分かりません。
知らない言語は呪文のように聞こえた。

弟は赤ちゃんなので、鳴き声だけ。

日本でも結婚式をしたそうだが、フィリピンでも同じような事をした。

大きなケーキや風船もたくさん。
パーティーは大人も子供も楽しいものですね。

数日間、食べっぱなし、遊びっぱなしのお祝いムード。一気に太った。
弟はまだ赤ちゃんなので可愛がるだけ。

色んな所へも連れてってくれたけど、多すぎて実際そんなに記憶には残っていない。

何日か滞在して三人は日本に戻った。

台風が去ったかのように。

それから三年ほどはまたフィリピンで普通に暮らす日々。


そろそろ小学校の高学年にもなる頃、男の子としては、フィリピンでは恐怖の大イベントが待ち受けることになる。

通過儀礼としての、割礼だ…。
ちょん切るやつ。

大人の男達が
「めっちゃ痛かったぞー」とか
「やられるのが怖すぎて自分でやった!」とか

まぁ、めっちゃ怖がらしてくる。
当然そんなことを聞くと、やりたいです!お願いします!なんて一切思わない。
やる意味も分からない。
でもみんながする決まりだった。

はぁ…、コレ切られるのかー
そんなことを思うと

とても憂鬱な日々が続いた


いつ呼びだされてしまうのだろうか。
そんなことを考えながら怯える毎日を過ごしていたら、
なんとまたまた日本から母が到来!
数年ぶり。

今度は一人でやってきたのだ。

母もお祖母ちゃんも、「トニオももうそんな時期か」
「大人への階段だね〜」と笑いながら話している。
なにがオモロイんだか。

はあ、もう避けては通れないんだなと思った…。

母「でも日本ではそんなことみんなしてないよー」
祖母「えー、でもした方がいいでしょう〜」
母「しなくていいんじゃな〜い」
祖母「してからの方がいいでしょうー」

遠〜くからそんな会話が聞こえる。

ああ、憂鬱


また母はしばらく滞在し、休日を満喫しているように見えた。
数日が経って、朝からたくさんの荷物を作って母は日本へ戻る準備をしている。

母「トニオも着替えて。一緒に行くよー」

恒例の空港までのお見送りイベントだなーと思ってとりあえず着替える。

家族みんな「いってらっしゃ~い」
という。

バスに乗ってお祖母ちゃんと母と私の三人で空港へ向かった。子どもの時はバス酔いが激しかったのでとにかく目を閉じて寝てた。

そんなこんなで到着。空港で母とお祖母ちゃんはお土産用のアイスクリームを買ったりココナッツのパイを買ったり。


母「さあ、もうすぐ飛行機の時間だから、そろそろ行くわ。」
祖母「うん、行ってらっしゃい〜」
私「バイバー…イ」ん?

祖母「トニオ行ってらっしゃい!チュッチュッ!
両頬にキス

えっ?

母「さぁ、行くよー。」


母とゲートを一緒に通過した。

振り返るとお祖母ちゃんが手を振っている。
わけが分からないけど、自分も手を振る。

そしてあれよあれよとあっという間に、飛行機に乗ってしまった。

あ、日本に遊びに行くんだ。
ドラゴンボール!ウルトラマン!本場に行ける!
ほんのちょっとだけテンションが上がった。

数時間のフライトを終え、日本に到着。

バスに乗り新しい父と弟の住む家へ向かう。
日本のバスはフィリピンのバスと違って丁度良い温度感。フィリピンのバスはやたらキンキンにエアコンをきかせている。

バス停に到着し、たくさんの荷物を降ろす。
新しい父もバス停で待っていた。そこからは車でお家まで。

家に到着すると、赤ちゃんの時より大きくなった弟、もう歩けるようになってる。
そして、初めて会う日本のお祖父ちゃんとお祖母ちゃんが食卓にごちそうを並べて待っていた。

みんな日本語で話す。何も分からない。
お箸の使い方が分からないので、とりあえず自分だけスプーンとフォークで。
初めてのお刺身。見るからに生。
生ものなんて食べたことがなかった。食べれる気がしなかった。
お鍋も用意されている。お肉。ちゃんと火が通っている。これは美味しかった。


お風呂の時間。
シャワーからお湯は出るし、湯船には丁度良い温度のお湯。
何もかもが初めて。
ナイス!ジャパン。
快適過ぎてバカになりそう。

そしてお風呂からバカになって仕上がった私は眠った。

数日いろんな場所を遊びに連れてかれて、ますますバカになっていく私。
そしてマジでドラゴンボールが放送されている!
フィリピンよりかなり話が進んでいた。
日本語なので理解出来ないがそれでも楽しい。

ずっと遊んで暮らしてたい。

完全にバカになった。


とある日の朝、バカになった私を連れて母は病院へ…
ではなく、ある所に連れていく。

広ーい砂場で子ども達がたくさん遊んでいる。
建物内に入ると、またまたたくさんの子ども達がウロウロ。
壁に和紙に漢字。

そして、お偉いさんっぽい人が待つ部屋に入る。
とりあえず日本語分からないからヘラヘラしとこ。

母とお偉いさんの話し合いが終わり部屋を出る。

やっと家に帰れる…。
シャワーしたい


しばらく歩いて階段を上る。
まだ帰らんらしい。

またまた部屋に入る。
目の前にたくさんの子ども達…

こ、これは…
ちょっとフィリピンとはデザインが違うけど、
教室だ…。

悟ってしまった。
私、ここに入るんだ……

先生らしき人が私をみんなの前で紹介する。
母も自己紹介しなさいと私に言う。
日本語が話せないので、英語で自己紹介をした。


「おー!すげぇー!英語やー!」


ってな反応で子ども達がワイワイガヤガヤ。
教室を去る母。
無邪気にはしゃぐ子ども達。
そして、空いている席につく私。

は、始まってしまった。
完全にバカになっていた私でも目が覚めた。




空港のゲートをくぐり、校門をくぐり、日本での暮らしが始まった。
フィリピンでの割礼というイベントゲートはくぐらずに終わった。


あの時空港でフィリピンのお祖母ちゃんが手を振る姿は今でもよく覚えている。



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