散文 4
夫とふたりで池袋へ繰り出した。
母の日に、互いの母親への贈り物を探しに。
たっぷりの湿気を含んだ東上線の車内は、しんとしていて、このままどこまでも乗っていたいような感覚になる。
デパートの地下は、明るい。
雨の日の憂いや気だるさなどまるで関係なく、雑多で明るい。
一歩踏み入れると、意図していないのに、なんとなくこちらもうきうきしてしまう。
どうやら最初から目的の物は決まっていたようで、夫は、迷うことなく魚久まで歩いていき、ショーケースを一瞥して、てきぱきと注文し始める。
–銀だらの西京漬けと、めかじきと、それから金目鯛を。ひとつは郵送でお願いします-
私は、その手際良さに感心する。
魚久の粕漬けは、私も夫も気に入りの品だ。
きっと母たちも喜んでくれるだろう。
あっという間に目的を達成し、帰路に着く。
最初に魚久の粕漬けを食べたのはいつだったか。
ふと気になって、電車を待ちながら夫に尋ねる。
–ほら、あの人が持ってきてくれたんだよ–
夫は、馴染みの名を口にする。
一年半前の、ちょうど私たちの結婚式の日に、事故で亡くなった彼の名を。
死。
頭ではわかっていても、遠かったその言葉が、実感を伴って私の心の中に落ちてきたのは、たぶんその時が初めてだったと思う。
祖父が亡くなった時は、それを理解するには、私はあまりにも幼かったのだ。
いない、ということ。
不在感。
悲しみは、少しずつ薄らいでいく。
それはきっと、人間が生きていく上で必要なことで、でなければ私たちは前に進むことができない。
けれど、こうして、ふとした時に思い出して、その不在感を噛みしめることは、これから幾度となくあるのだろう、と思った。
いつもそこにいるから、というよりはそう思い込んでいるから、一緒にいる時は何気ない話ばかりで、なんとなく時を過ごすけれど、私たちは1日1日、確実に、自分たちの中にあるカレンダーを塗り潰して、終わりに向かっているのだろう。
人によって長い短いの差はあれど。
いつどこでどうやって終わりが来るのかはわからないけれど、1日1日を、できる限りきちんと心に刻んでいきたい。
そんなことを考えている私を、電車はいつもの顔で、いつもの駅へと連れ戻してくれた。
駅から歩いて数秒だからと、傘を持って出掛けなかったが、いつの間にか雨は強さを増していた。
たった数秒の距離なのに、傘を取ってくるから待ってて、と、小走りで駆け出す夫の背中を見ながら、この景色もきちんと「今日」として、心に刻んでおこうと思った。
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