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にんげんっていいな

いつも意識の向こう側でこれからのことを考えている。考えなければならないことが無限にあって、それらと生活を並行している。不思議だけど、それらからの逃場に芸術や文学があって、それで私は助かっている のだと思う。意識のうちの無意識みたいなことだ。

だいすきな友人から、ぼくは男女に隔たりがなく好きになった人が好きだと思うと言われた。ドキリとした。だって、すごく嬉しかった。本当のことを何気なく打ち明けてくれたことが。ジョナサンのドリンクバーを注ぎに行って、それからのことだもん。これまでの私たちが積み上げてきた関係が嘘じゃないと思えて、それで、思わず抱きしめたくなっちゃったよ。だいすきな友人の尊敬できるところも嫌いだなと思うところも、全てひっくるめて愛だ。そんなだいすきな友人に、だいすきな恋人ができたときは、おめでとう!ってぜったいぜったい言うんだ。そう思えたから今日はとっても最高な日だった。
先日、恋人と、恋人の住む地域の小さなお祭りに行ってみた。いつか私も地域に根付き新しい家族を形成していくのかと思ったら不思議だった。なんとなく人間の性にときどき怖いと思ってしまう。私たちはどうなってしまうのだろうという不安。だいすきな友人の言葉を聞いた、もうひとりのだいすきな友人が、まあお互いに何があるか分からないから、七十歳になっても未婚だったらふたりで結婚でもして素敵な余生でも過ごそうやと提案していて、ぐっとなった。それくらい近しいところで、痛みや苦しみを共有しながら、励まし合いながら、永い時を過ごしてきたのだ。だいすきだと思えるのには、たくさんの理由があって、意味があって、それで本当に今日までのことをありがとうと思える強さがある。それくらいの余裕と、それくらいの信頼と、全てをひっくるめて私たちは見えないところでいつも支え合っているのだと思う。
いつもの意識の向こう側のこれからのことが、不安で、孤独で、どうしようもなくなっても、だいすきな友人たちが、そういうときもあるさ!まあとりあえず飲みに行こうや!と言ってくれれば幾らか救われることを私は知っている。人間の性に囚われてしまっているわけでない。自由な檻の中で、その自由さの不自由さに怯えているだけなのだ。

あったかい布団で今日も眠りにつく。私たちは、まだ二十歳、もう二十歳。背伸びをすることもままならない。気持ちは、三歳。無邪気な子ども。心の内を全てきみに話せたらいいのに。耳たぶが燃えている。

にんげんっていいな




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