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DAY704:『なぜ、研究心が失われるのか』

こんばんは!早めの時間帯の更新です。本日は昼の散歩以外は自宅におり、落ち着いた1日を過ごすことができました。3日間程度続いた悪寒も本日はほぼなく、喉の痛みが残る程度まで回復しています。明日からは通常勤務再開ですが、無理をせず、調整をします。

今回は『なぜ、研究心が失われるのか』です。前回noteの続き内容ですね。前回は『子どもの目で観る』というタイトルで研究心の重要性を記載しました。今回は大人になるとなぜ、研究心が失われてしまうのかという点を整理します。

複数のことが浮かびましたが、抽象化すると2点。

①周囲の目が気になり、行動が制限される
②知っていることでなんとかしてしまう

それぞれ整理します。

①周囲の目が気になり、行動が制限される

「〇〇したらこう思われるのではないかな…」
「〇〇さんからこう言われそうだな…」

などのように周囲が気になり、芽生えた研究心が発動されないことがあるように感じます。このようなことが繰り返されると、研究心が芽生えること自体が減少します。対応策は自分自身で殻を破るという内側の側面と、どのような環境に身を置くかとという外側の側面に分けることができます。(今回は対応策は割愛)

②知っていることでなんとかしてしまう

困る場面、新鮮な景色に出会うことがなければ、新しいことに触れようとする心そのものが芽生えません。「なんとかなるのであればいいのでは」とも言えますが、単純に退屈な人生になりそうですよね。自ら困る場面や、新しい景色を見ることは大切です。

「自分はこういう時に対応することができないのか。どうすればいいのか」

「〇〇について知らなかったけど、少し知ると、とても面白いな。もっと調べてみよう」

など、次に繋がる心を持つことができますね。①の中でも環境設定について記載しましたが、②にも関連することですね。やはり環境が大切です。

以上、研究心が失われるという点についての考察でした。甘い考察ですが、5分程度の思考がnoteテーマですので、ここまでとします!

それではまた!

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