れもんハウスの生い立ちを振り返って
わたしにとっての、れもんハウスとは何か。なんともむずかしいお題。どんな言葉で言い表してもしっくりこなくて、エピソードをあげたらキリがなくて、書いては消してをずっと繰り返している。
今のわたしを形成しているのは、あの場所での暮らしが土台になっている。考え方も在り方も、行動もコミュニケーションも、すべて。れもんハウスでの暮らしがなかったら今のわたしはいない。それは本当にそう。この文章を書くことになるまで、れもんハウスに育ててもらっていたような気がしていたけど、でもなんかちょっと違う。自分のベースはもっともっと前からずっとあったのだというのが今回改めて振り返ってみた気づき。きっと、これはれもんハウスとの出会い直しの時間。
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みんなで食卓を囲みたい。これがわたしのすごく深いところにある願い。わたしにとっての平和で、安心で、あたたかで、満たされるものの象徴として、ずっとある。その具体的な要素や、定義などはとても言葉にできないし、それにまつわる強烈なエピソードなどがあるわけでもない。でもその何か象徴的なものを思い浮かべるだけで、色あせずに残っている光景がいくつかぶわあっと混ざり合って押し寄せてきて、こみあげてくるものがある。なんでだろう。
食べるという、言葉や思考などを越えて、生物としての営みを、ただともにする。そこには、立場も役割も年齢も関係なく、みんな平等な人間としての有り様がある。寝ることもそう。寝るってとてもパーソナルな行為で、全身のゆるみ、無防備さがそこにある。ちょっとドキドキしちゃうほど、生々しい、人としての営みに、すごく惹きつけられる。寝ること、食べること。誰もが普段欠かさずこのシンプルな行為を繰り返していて、それが生きていくことのベースになっている。だから寝食を誰かとともにするってすごくパワフル。その人も生身の人間であるということが突きつけられている感じ。暮らしをともにするってそういうことな気がする。だからそこに関心があるし、考え方や言動、その人を形成しているベースになっているのだと思う。
わたしは大学生のときからずっと、子どもや教育にまつわることに関心が強くて、純粋さとか、無邪気さというものにすごく惹かれていた。そしてその子どもの象徴として連想されるような、混じりけのないものたちを阻んでいくシステムにも関心があった。そしてそれは、人と人との関わり合いによって左右されるものだと思っていて、真っ直ぐなまなざしやその人のすべてを包み込むような愛ってどうしたら実現されるんだろうって、ずっと考えていた。
こどもから出発して、その子が形成されるその周りの家族や関係性、成長していく過程で出会っていく人々について思いを寄せるようになっていった。人に興味があるというより、人と人とのかかわりに興味があった。自分はあくまで客観的な立場。観察、研究が目的で、かかわる主体としてのところはあんまり考えが及ばなかった。
それがれもんハウスという環境で暮らすことになって、思いっきり、主体になった。ど真ん中の現場。24時間自分が当事者であることを辞められない。人とのかかわりや、その人がありのままでいること、普段ずっと思考を巡らせていたことが、自分にふりかかってきた。今までは頭だけで、現実世界の言動が伴っていなかったんだと気付かされた。自分との出会い直し。
あれよあれよと始まってしまい、今までとは全く異なる日常が始まる不安も感じている暇がなかった気がする。引っ越し準備から始まり、荷ほどきやリビングの整えも愛梨ぽんがものすごいスピードで一気にするから、ちょっとずつ試したり実感が湧く隙すらなく、あっという間に暮らしがスタートした。当時のことはめまぐるしすぎてほぼ記憶がない。
ことぽんと愛梨ぽんと夜な夜な話し合って、「れもんハウス」という名前と「あなたでアルこと ともにイルこと」というコンセプトが決まった。夜な夜な時間をかけたのに、決まるときはこれまた一瞬だった。のちのち、この言葉がこんなに効いてくるとは思わなかった。
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今回、ともろーが熱い思いで「れもんハウスの生い立ちを振り返る会」を企画してくれた。れもんハウスがどう始まって、どのように今のかたちになっていったのか。毎日が高速スピードで過ぎていったから、わたしたちだってまとまって振り返ったことなどない。だってあの日々は、昨日のことが3日前、3日前のことが1週間前のことのように感じる、そんなスピード感で、毎日ずっと生きていたから。物理的に起きている時間も長くて、比喩ではなく本当に1日が長かった。出来事やそのときの感情をピックアップするだけでも至難の業なわけで、補助線として愛梨ぽんが期間を分けてくれた。ざっとこんな感じ。
わたしが暮らしていたのは、スタートの2021年11月~2023年4月半ばなので、ちょうどPhase2に入る手前。れもんハウスという視点で見ても、本当にいろんな成長を経たけれど、私自身の成長や変容はまず最初の立ち上がり期に、ぎゅっと凝縮されていた感じがする。
わたしの視点でいくと、れもんハウスの「立ち上がり期」=自分を知り・向き合う修行期、「カオス期」=他者とどうかかわるか、そのとき自分がどう在るかの場数を踏んだ時期、「整え/移行期」=自分も相手も大事にしながら、より俯瞰的に全体的長期的視点で考えた時期だったように感じる。
それぞれどんな時期だったかについては、まるごとれもんで詳細のエピソードを話そうと思っている。とても文章にはまとめきれない。
どれも全部苦しくて大変だった。自分がちっぽけで、情けなくて、ぼろぼろで、余裕なんて全くない、そういう苦しさ。そして、誰かの人生や、相手の感情を受け取りすぎて、呼吸が浅くなるほど、全身が埋め尽くされるような苦しさもあった。
自分のこと、相手のこと、そして自分と相手の境界線を越えた全体について、いっぱいいっぱい考えて、試行錯誤しながら、生きていた。そしてそれを見守ってくれる人たちがいつもたくさん側にいた。対話して、一緒に悩んで、一緒に苦しんで、一緒に泣いて。全部そっくりそのまま分かち合うことはできないけれど、ありのままが開示され、どんな感情も出来事も、だだ漏れていた。
れもんハウスがようやく1周年を迎えるというとき、青草のこうきさんが「れもんハウスの歴史はあやかちゃんの成長の歴史だから」と言ってくれた。おこがましいけど、実際あの1年は本当にそうだったなと思う。
わたしも、れもんハウス自体も、己の存在に向き合い、人をどう受け入れるか、どう境界線を保つかに頭を抱え、そしてその境界線を見極めながらもどう共存するかにチャレンジし続けた。いっぱい試して、いっぱい失敗もした。そしてそのプロセスには本当にたくさんの人がかかわっていて、ひとつひとつの出来事や些細なやりとりを目撃し、見守り続けてくれていた人がいっぱい。わたしの感情も身体もパンパンだったけど、れもんハウスもかなりキャパオーバーでストレッチしていた。今だったらこんなこと絶対あり得ない事件もたくさんあった。
でもなんの心構えもなく、前例やルールもなかったからこそ、自分でも気付かぬうちに荒波に丸裸で突っ込むような、無謀な挑戦ができた。体当たりしたからこそ、頭や理屈ではなく、身体が覚えたことがある。
それだけ刻みつけてきたものがあるからこそ、れもんハウスは今もこうしていろんな人が集う場になっているんじゃないかな。
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れもんハウスが始まった頃からもう2年半、私も暮らしの拠点としては離れてから1年ちょっと経った。ちょうどつい3日前に、私たちが出た後に入ったメンバーも住人を卒業し、新しいメンバーが住人になったようだ。
そんな話をしてくれたみかんちゃんが、ぽつりと「1年くらいがちょうどいいんですかね」と言った。ほんとにぽろっとだったから、発したみかんちゃん本人も「あっ」という顔をしていたように見えた。その瞬間、ああれもんハウスってやっぱりそうだなあと思った。
1年が5年くらいに感じるほど、あそこでの生活はディープなものがギュッと詰まっている。そしてそのディープさを、そこに暮らす人だけでなく周りの人も、同じように感じているところ。誰かが離れるとまた誰かがスッと加わって、そこでの景色はまた彩りが生まれ、ずっとずっと引き継がれていくもの。そして、みんなそれぞれの場所で、あそこでの暮らしを想う人が増えていく。そんなふうにずっと続いていったらいいなと願っている。れもんハウスはみんなのおうちなのだから。
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