仕事への手紙 運動神経が悪いということ Vol.27
拝啓 お仕事様
いつもお世話になっております。かれこれ16年もの間、私はあなたに苦労してきました。何年経ってみても、あなたに面すると私はひどく緊張してしまい、本音でものが言えなくなります。実のところわかっていないのに「わかりました」、まるでやる気もないのに「頑張ります」、そんな嘘つきを山ほど積み重ねています。あなたのおかげで、眠ることすらままならない日々を過ごした時期もあれば、ときに人格とか生き方とか根本的なものまで否定されたようなこともあります。けれども、私はあなたが嫌いではありません。
「納税する以上、みんな高額所得者を目指そう」あるいは、「義務教育を受けるからには、全員が優等生であってしかるべきだ」。もし、このようなことを宣う人がいたら、あなたはどのように思われるでしょうか。どちらも社会科で習う国民の三大義務ですが、ものごとにはすべて反対があって、偏りもばらつきも存在するのが自然の摂理というもので、そんなことは荒唐無稽な詭弁だとお分かりいただけるはずです。ところがこの世ではどういうわけか、あなたに取り組んだ途端、同じような理論を鵜呑みにし、達成しようと努力する人が思いのほかたくさんいて、私はいつも困惑しています。「勤労においては、すべからく優秀たることを是とせよ、劣悪なるものは許すまじ」こんな暴論でも実現可能な正論であるかのようにまかり通る世の中では、好むと好まざるとにかかわらず不特定多数の人びとが関わる営みとはどういうものであるか、小学生でもわかりそうな基本的なことへの理解が見落とされているように見受けます。
私は、あなたを介することで鈍感になり、冷酷になる人びとと幾度も出くわしてきました。同僚たちのよもやま話に加わってみたところ、そばで目を光らせていた先輩から「ろくに仕事もできない者が雑談するな」と言われたことがあります。それより以前、同じ先輩から「黙々と働いていたのでは辛気臭い」と嗜められたので、たまには会話の一つでもと口を開いてみたのですが。お客様から差し入れを頂戴したとき、忙しそうな上司の様子を慮って後ほど報告したところ、「なぜ早く言わない」と叱られたこともありました。お客様のご機嫌をとることがかくも大切とは、私の職場は祇園か北新地かと考えさせられました。ペンを胸ポケットに挿しているだけで注意されたこともあります。以来、ペンの定位置はズボンのポケットになりました。
今年もわが国では、出生率が7年連続で過去最低を更新したと、政府もメディアもことさらに不安を煽っています。おそらく、来年も同じことを繰り返しているのではないかと予想します。わが国には人生において二つの大きな命題があるらしく、その一つは恋愛であって、その成果としての結婚および出生の後ろ向きな話題を見聞きすると、人びとは感傷的になってしまうようです。そして、もう一つの大きな命題こそがあなたに他ならず、だからこそ人びとは神様にお仕えする意味を込め、「仕事」と名付けたようです。恋愛にも、あなたにも打ち込めないまま間もなく40歳を迎えることになり、申し訳ありません。しかしながら、もしあなたが神様だとしたら、あなたのため人びとが精神をすり減らし、生活の犠牲を払い、ひいては、例えばわが父のように、命を投げ出すまでに陥ることが本望なのでしょうか。
あなたを大事にして、信仰するように向き合うこの国に生まれ、いろいろな経験をさせてもらいました。その甲斐もあって、と言える展開が待っていれば、心持ちも変わったことかと思います。けれども私の現実は、資格が下がり、給金は減り、これに反比例するかのように業務負荷は増えていくのです。この先、私があなたを通して晒されることになるのは、鈍い人からの後ろ指や、冷たい人からの白い目なのだろうと察しがつきます。並行して、苦しめられてきた人びととまた顔を合わせることにならないか、いつか肩を叩かれることにならないか、そんな不安とも付き合っていくことになるでしょう。けれども、私はあなたが嫌いではありません。ただ、悲しいまでに大嫌いなのです。
敬具