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- 調整中展 解説【前編】-「不具合をポジティブに捉える」



 最初に調整中を意識したのはいつかのMedia Ambition Tokyoだった。
どの作品が調整中だったかは覚えていないが、2、3作品ほどがまとまって観覧できず、調整中の張り紙が貼ってっあった。隣で観覧できない旨を説明するスタッフの人もいたと思う。

 ああ残念だなとその瞬間は感じた。せっかく来たのに、、という気持ちだった。

陸の孤島芸術大学

 当時は大阪にある陸の孤島芸術大学で建築を学んでいた。陸の孤島芸術大学は実際の地理的な状況を表現した自虐であるが、このインターネットの時代にあっても他大学との交流が著しく少なく、そのため学生の作品の多くはガラパゴス的な独自進化、あるいは生きている化石の量産に成功していた。私はそのガラパゴス空間に居心地の良さを感じながらも、モラトリアムを煮詰めて焦げ付いた甘ったるい雰囲気に嫌気が差しているところもあった。換気せねばなるまい。外の空気を吸い、肺いっぱいに溜めてから戻ってくれば少しはマシになるだろうと。

 大変幸運なことに代々木にいとこが住んでいた。ここを拠点にすればほぼ実家にいるような感覚で数週間にわたって東京見物が行えた。目当ては建築探訪と美術館展示だ。東京は分厚い。学部4年間毎年欠かさず春・夏の休み行ったが最後まで飽きることはなかった。

調整中の発見

 Media Ambition Tokyoのサイトを見て、調整中展の始まりを思い出そうと試みたが、2019年以前のサイトが閉じられていた。大変残念だ。ただ調整中展の考えからいえば長期展示に入ったという表現も可能だ。ポジティブに捉える。これは調整中展の根幹にある要素の一つだ。

 脱線してしまったが、要するに私は大阪の住人なので東京は気軽に行ける場所でなく、せっかく来たのに、、という気持ちをいだいたというわけだ。しかし次の瞬間には、いやいやこれこそがメディアアートなのだと確信した。
 メディアアートは基本的に短命である。なぜならそれを支えるテクノロジー、システム、環境が日進月歩でどんどん更新されてしまうからだ。イメージしやすいのはOSの更新だ。iPhoneであれば毎年大きなアップデートがあり見た目や機能が更新される。メディアアートはある瞬間のある環境を土台にしてその上に構築する果実であるから、その土台が変更されたとなればたちまち動かなくなってしまうこと請け合いである。流石に一度のアップデートで使えなくなるようなことはないかも知れないが、後方互換も永遠ではない。メディアアートを本気で保存しようとすればOSやそれが動くハードウェア含めて保存しなければならない。大変なコストがかかる上に実質100年持たせるのは不可能に近い。このようにメディアアートは基本的に永続的に鑑賞されるようにはできていない。もっと極端なことを言えば、展示期間中だけ持ってくれればいいとさえ言える。
 残念ながらそうはいかない。Media Ambition Tokyoのようなメディアアートばかりを集めたような展示ならなおさら、作品の1つや2つ動かなくなるものだ。だいたい始まったら動かなくなるのだ。そういうものだ。だからいい。ありがたみがある。拝めてラッキー。

 メディアアートはナマモノなのだ。そのライブ感あふれる在り方から、クールに・知的に装ったかっこいい見た目とは裏腹に、想定通り動くだろかと会期中ずっと変な汗をかき続ける作者の息遣いを聞くのがいいのだ。

最初の調整中展

 さて、私は東京での体験で発見した調整中に漂う趣を自分の展示で使いたいと考えていた。M1のときに開催した個展「天邪鬼の技法」で初めて調整中展という作品を作っている。

天邪鬼の技法展の様子 

 「天邪鬼の技法」ではいくつかメディアアート作品と呼べるものを作っていた。その一つが回転絵画という作品である。

手前が回転絵画。奥も動く作品だよ。

 これは二本の垂直に立ったローラーの間に紙が巻かれていて、それがずっと回転している。この回転するキャンバスに自由に絵を書いてみよ。とこういうシンプルな作品である。私が意図していたのはドローイングに対するトラウマを解消するための治療薬としてのキャンバスである。私を変えるのではなくまず道具から変える。このキャンバスの上ではあのラッセンですらまともな絵はかけない。誰が書いても下手っぴになる。描くことに対するハードルを最小にするための道具である。

 こういったメディアアートの中でも駆動部品がある作品はやばい。壊れる。それを見越して調整中展という展示ポスターを作っていたのだ。ポスターそのものはパラレルポスティングシリーズとして今でも個展や主催のグループ展で使う手法であるがこれは一旦置いといて、ポスターはこんな感じだった。

注意事項が鼻につく

 これは単純に保険をかけているだけという見方もできるしそれは否定しない。現にこの転ばぬ先の杖はマジモンの杖に変身してくれた。回転絵画は二日目で壊れた。

 この調整中展は今の活動とは意味合いが違う。これは先述した通り保険をかけただけ。予言と言ってもいいけど。長くなったので、今の調整中展の話は後編を書く。書けたら書く。

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