自分語りって言うほど恥ずかしいものか?
はじめに
この記事に興味を抱いていただき、ありがとうございます。自分はそこら辺の大学院生と申します。現在、臨床心理を専攻している者です。
あらかじめご了承頂いて欲しい事として、この記事はなんの心理学的根拠や論文の引用もなくただ主観的内見をつらつらと述べる記事となっております。
それでもよろしいと思う方はぜひ、楽しんで読んでいただければ幸いです。
自分語りについて
5ちゃんねるやTwitter(なんとも忌々しいことに現在ではXと言うらしい)、主に口喧嘩などでよく使われるこんな言葉がある
「自分語り乙w」「隙あらば自分語りw」
と言ったように、自慢話をしたがるオタク君に対して冷静につけ込み、オタク君の顔を真っ赤にさせるのに有効な常套句である
大前提として
自分語りだけをするオタク君やチャラいお兄さんはマジで面倒くさい
これは間違いなく事実だ
聞いてもないことをつらつらと自慢げに話す上
自分をよく見せようとわかりやすい嘘を入れて大きく見せたがる。
見るに堪えない
いや、聞くに絶えない
いや、読むに耐えない時間が続くのだ。
なにも自慢話も、嘘も悪いわけじゃない
決定的な理由がある
絶望的に話し方が下手
正直、これに尽きると思う。
聞いてもない話を聞かされる時点で嫌なのに
テンポも悪く
長文で句読点もなく
俺、一応東大だけど笑 だの
ゲームは最高ランクだの
親が暴力団組長だの
株で設けて月収100万w だの
本命チョコ10個貰ったwだの
俺が彼氏だったら〜 だの
そういった自慢話(もしくは誇張した嘘)をどんどんつぎ込んで話題もあっちこっち行って
結局この人たちは何が言いたいかって?
おれつえぇぇwwww
みんなもっと俺を見てくれwwがしたい
そして気づいたら嫌われ、さらに性格がこじれてしまう……(以下ループ)
ここまで読んで
心当たりがあって顔が赤くなったオタク君。
イライラしたオタク君。
あとナンパや合コンが好きでエッチな画像をよく乗せるお姉さんのDMに行って口説こうとしているそこのお兄さん。
1回、自分の打ってきた、話してきた今までの自慢話を読み返して欲しい。
出来れば大きな声で音読するとより良い
キモくなかったか?
読むに耐えないものじゃなかったか?
お兄さんに至っては音読しなくて正解かもしれない
底辺アカであれ、勢いと感情任せに書き連ねたこの言葉はずっと残ってしまう
知らないところで他人にバカにされてしまう
そう考えた時なんか怖くね?
いや、まだ自分に浸っていたい輩はここまで読まずにTwitterで愚痴をこぼすのだろう。
強制はしない、それもひとつの選択だ。
だが、心当たりがある中ここまで読んだ諸君。
君たちは今、自分を変えようとしている最中なのかもしれない。
そんな君たちにより良い自分語りにするための第1歩。
すなわち基本の『き』となる部分を教えよう
それは
さっきやりました。
本題
さて、ここまで自分語りをしたがる人。いわゆるオタク君の個人的にダメな所を述べてきたが、今回の話は、自分語りをして嫌われてるオタク君を救いたいとかそういうことでは無い。
自分語りは言うほど悪いことなのか?
がテーマである。
さっそくだが結論を言うと
自分語りを極めれば、アイデンティティの確立に大いに役立ち、自分の生き方を見つける大きな指針となるのではないかと私は考える。
そのことについて深く掘り下げてみよう。
自分語りは醜いものか?
自分語りや自慢話は、悪いイメージを持たれているが
良い言い方をすれば『武勇伝』や『自伝』と言ったように自己啓発的な役割を担ってくれることがある。
そう、自慢話は案外食えるのだ
その可食部が広くなる要因、醜い自分語りの大きな違いは、その人が成し遂げた偉業や、功績がある。
すなわち
この人が言うのだから間違いない。
実際に成し遂げたからこその説得力があるからだ。
ここが醜い自分語りと自伝の違いだろう。
そして、1番気持ち悪い。食べれない部分は
自分はこの世界の主人公なのだと示そうとする
対してなんの功績も残してないのに
しかし、ここで1人のオタク君が声を上げて反論するだろう。
「著名人の武勇伝もきしょいだろ!!!」
なるほど、その意見も全否定はできない。
金持ちになった人が、金持ちになって裕福な生活を送れているぜ!
こんな高級車も買っちゃったぜ!
毎日違う女10人は抱いてるぜ!!
なんて言われたところで
その人に関心がない人は
はいはい、よかったですね
と言って終わりだ。
それが数時間も語られたら聞く耳が持たないのも容易に想像し得ることではある。
じゃあ聞く人は何を求めているのか
なんの要素があるとその人のことを知りたいと思うのか
それは
どんな苦労を経てそこまで成り上がったのか
である。
自分の弱さは人の弱さ
まずは例を2つ用意したのでそれぞれ読み比べてみよう
例1
「俺、今東大に通ってるんだけど、やっぱ色んなところで期待されちゃうんだよねぇ。バイトとか面接受けに行ったら『東大の君が入ってくれたウチの売上もうなぎ登りだよ!』なんて店長が言ってくるんだよ。まだなんもしてないのにそんな期待しないでくれよって困ってるんだよねぇ」
例2
「俺、今東大に通ってるんだけど、正直ここに入学するまでやりたいことできなかったんだよねぇ。バイトとかしたことないし。でもバイトの面接に行ったら『東大の君が入ってくれたウチの売上もうなぎ登りだよ!』なんて言ってくるの。マジで勘弁してくれ。俺、社会知らねぇんだよ。でも、期待されてるならそれに応えないとだし、頑張るわ」
いかがだろうか。
普通に例1はウザくないか?
東大に通ってるってところは100歩譲って許そう。だが立て続けに自分が特別すぎて、「周りからもてはやされてて困ってるんだよねぇw」みたいなムーブでもう終わってる。
逆に例2は少なくとも例1よりも好印象を抱いた人が多いのではないか?
なぜそうなのかを解説しよう。
例2の良いところは自分の弱さを知っていることにある。
今まで受験勉強に集中していたため、バイトもできず今に至るまで社会経験をしていない。それを理解しており、バイトの難しさ、店長のクソみたいな冗談を受けて滅入ってる。
けど、そこで諦めるのではなく、その期待に応えようと奮闘することを誓っている。
人は、見上げてる人に弱いのだ
過度なプレッシャー、不幸や境遇そんな環境にもし自分が放り込まれたら、多分長続きしないだろう
でも、目の前のこの子は上を向いて頑張ろうとしてる。
これが世間一般で言うところの『サクセスストーリー』の序章とも言えよう。
さながら、ちぃかわと言ったところか……
ごめん、ちぃかわ見たことないから実際違うかもしれん。
要は、逆境の中頑張ろうとすることが相手に伝われば
相手は真摯に聞いてくれるだろう。
進学校にいることを自慢しても良い
金持ちアピールしたいのならすれば良い
ただ、人に振り向いて欲しくてやっているのなら
まずは人が欲しいものと自分が伝えれることをリンクするべきだ。
そしてそれは、自己理解にも大いに繋がる。
それが、結論で述べた文章だ。自分の弱さを知り、そこからどう成り上がっていくのかを知っている人は、間違いなく面白い人間だ。
これにはリュークもニッコリするほど
私はそういう人間が大好きだ。
そういう人が1人でも増えて是非、私がその人の話をお聞きしたいとも思ってる。
これが私が伝えたかったことである。
おわりに
自分語りをするに値する人は、それなりの苦労や挫折を味わって、自分と向き合って成長しているからこそ、聞いていて有意義な気持ちになるのであって、他人はオタク君の凄いところだけを見たいわけじゃない。
弱さを語るのもまた強さだ。
何も恥じることは無い。
少なくとも、嘘を羅列してハリボテのスーパーマンになろうとする人よりは。
おや、そこのオタク君。まだ読んでいたのか
嬉しいな
ここまで読んでくれた君にメッセージを送ろう。
今、君は挫折を味わっている。過去の過ちを恥て悶えている人もいるかもしれない。
だが、重要なのはそれを経験したことだ。
その経験は、君という人間を面白くするのに不可欠なイベントだ。
君が面白い人間になるために
自分を見つめる機会に紡いだのであればこれ以上幸せなことは無い
ぜひ、可愛いお姉さんをお持ち帰りして欲しい
ごめん想像したらきしょくて無理だった。
程々に楽しんでくれ
おわり。