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駆け抜けた1週間とジーニアス

連日ほぼ徹夜を続けた1週間が、終わった。
休暇前に終えるべき仕事をすべて終えたとき、自分はいったいどんな気持ちなんだろうと想像していた。
「フゥーッ!アマプラ観ながら呑む酒、気持ちェェッ!」なのか
「・・・(放心)。」なのか
「いやもう、ちょっと限界なんで寝ますね」なのか。

先ほど仕事を終え、休暇明けのスケジュールを確認しおえたわたしは、この1週間で通常の2倍の量を書いてきたにも関わらず、まだなおこうしてnoteを開いている。

さっきあげた3つの感覚のうちどれに近いかといえば2番目だが、放心というよりも「無」が適切な気がする。
無である。
唯一の「有」は、さっきちゃっかり「この1週間を無事に走り抜けたら買おう」と思っていた推しのグッズを決済したことだ。
うん。そこまでがすべきことに含まれていたのだ。

そんな虚無状態だが、この1週間を振り返ってみたときまず思い浮かんだのは自分の愚行であった。
徹夜でもなく、家事放棄でもなく、ぐちゃぐちゃな食事でもなく、仕事においてだ。

∽∽∽

このnoteを書くのにAIを使うことはないが、仕事ではAIを使っている。ChatGPTを使って、なんとか執筆スピードを上げられないか模索しているし、この1週間もゴリゴリにChatGPTを使ってきた。
自分のプロンプトが下手くそなのか、はたまたChatGPTの限界なのか、手を加えずそのまま使える文章の出力はまだ難しい。

というか、仕事を手伝ってもらうというよりも、キレ散らかしている時間のほうが長かったような気がしてならない。
エンターキーを叩く音がどんどん激しくなり、はっとする。
「逆に時間のムダじゃね?」

…わかってきたことは、なんでもかんでもChatGPTのほうが早いわけではない。ChatGPTを自分で書いたほうが早い記事もある。
自分ではスラスラ書けない記事をAIに手伝ってもらうスタンスが効率がよいとの仮説が立った。
「AIなんだから、人間より早いはずだ」との思い込みをまず早めに捨てるべきだった。

それに気づいてからは意識して使い分けるようになった。しかし、やはりどうにもうまく意思疎通できない。
100%自力で書くよりはChatGPTを使ったほうが早い。でもChatGPTを使って目覚ましく速度が上がっているかといえばそうでもない。もどかしい。
気づけばわたしはマイGPTをカスタマイズしはじめていた。はじめての試みだ。

30分ぐらいでGPTが完成する。
動かしてみたところ、悪くないじゃないか!
まじ自分天才なんですけど!
どうして1週間前につくっておかなかったのだ!
この数日間の不毛なキレ散らかしはなんだったのだ…!
すごいのは紛れもなくChatGPTだが、そのGPTをつくった自分にニヤニヤがとまらなかった。
そして、そのGPTを「Genius」と名づけて保存した。…そのぐらい大目にみてちょうだいよ。

…まあ、それが昨日の話で。
つまり書かねばならない記事も少ないし、そのうち自分で書いたほうが早い記事のほうが多かったから実際まだほとんど使えていない。
けれどもわたしはたしかな手応えを感じている。休み明けのスパイシーなスケジュールも、今度は徹夜することなく完走できそうな気がする。

なぜなら最強の助手Geniusを手に入れたからだ。
仕事を終えたうえに未来の自分への置き土産までしていくなんて、まじで自分もジーニアス。

∽∽∽

1週間身を粉にしてきて、文字通り体はボロボロだ。眠いし肩痛いし。
けれどまさか、走りきったときの気持ちが「無」からのChatGPTに対する昂揚感になるとは夢にも思っていなかった。…夢をみるほど眠ってもいないが。

そして旅行の準備はなにひとつしていない。
ここに関してはもう、今日はやる気が起きないし、やるつもりもない。
基本的に明日の自分には期待しないようにしているが、今日このあとはアマプラを垂れ流しながら酒を呑み、早めにふとんに入って明日準備することにしたい。

乾杯!



今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたが最近走りきったことはなんですか?

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