あの日のご縁。
大人になってから、というか親になってから、児童文学を読むようになった。
最近読んだ中で印象が強かった児童書は、柏木幸子さんの『岬のマヨイガ』。
手に取った理由は「マヨイガ」って何??と思って解説を読んでみたら、座敷童なども出てくるファンタジー系で面白そうだったから。
しかし読んでみるといい意味で裏切られ、現実(2011年の震災)とファンタジーの掛け合わせだった。ファンタジーフィクション、というのか。
舞台は岩手。施設入所当日だったキクさん、夫の暴力から逃げてきたゆりえさん、そして両親を事故で失い歓迎されない叔父宅に向かっていた萌香ちゃん。
3月11日に出会い、縁があって狐岬のマヨイガで共に暮らすことになるが、認知症だと思っていたキクさんは妖怪や地蔵などと会話ができる不思議な力を持っており、2人もその色んな出会いを通してその土地を愛し生きていくことを学んでいく・・・。
この物語の中でキクさんが震災後の街の人々について話すくだりがあり、
震災のあのとき、したことに対する後悔、しなかったことに対する後悔、悲しみ、やりきれなさなどの思いについて、
「こんな思いは誰にでもどこでもある。その思いをぶつける相手がいれば、思いがとどまりはしないのかもしれない。でも恨む相手がいない。思いをぶつけることができない。そんな思いが、今ここにたまりたまって渦まいている。」(本文より)
と語る場面がある。
これは震災の話だけれど、本当にどこにでもあって、今年の初めから続いた新型ウイルスの広がりにも言えることだと思った。
特に3月、4月はひどかったし、今もロックダウンの繰り返しで疲弊しているところもある。
みんな責めるところを探している。海外から帰ってきた人、最初に感染が広がった場所、国の対策。
悪い気持ちはどんどん悪いものを呼んでいるような、そんな気持ちにもなった。
日本にはたくさん伝説や物語があるので、お地蔵さんが助けに来てくれたり、見えないところであるのかもしれないと思うと少し幸せな気分になる、そんな1冊でもある。
構造としてはゆりえさんと夫のことなど、伏線の回収が物足りないように感じる部分はあったが、児童文学の読者層を考えると適当なのかもしれない。
やり場のない思いや不安に駆られ疲れたこの1年だからこそ、読んでよかったと私は思った。