外資系メーカーに勤める公認会計士の日常|13. バリキャリ?ゆるキャリ?フルキャリ?
「フルキャリ」との出会い
私、恥ずかしながら「フルキャリ」という言葉をつい先日まで知りませんでした。
少し前のnoteにも書きましたが、今の働き方に少しだけ苦しさを感じていて、実はこんなふうに思っていました。
私ってマインドはゆるキャリなのに(=家庭やプライベートを優先したい)、振られている仕事はバリキャリ(=フルタイム勤務扱いで、求められる仕事は質・量ともに手加減なし)なのがいけないのかな…早めに上司に白旗上げて名実共にゆるキャリになったほうがいいのかも…(=時短勤務に変更して、仕事減らしてくれと正直に言う?)
悩んでいた矢先に、この「フルキャリ」という言葉に出会い、「なんか分かんないけどバリキャリとゆるキャリの間ってことなら、私はきっとフルキャリだ!!」と嬉しくなり、早速この本を手に取りました。
読み進めてみると、いわゆるハウツー本や啓発本というより、研究結果をまとめましたといった色合いが濃い内容になっていました。また、フルキャリ本人の視点というよりも、フルキャリを抱える上司・会社が、どのようにフルキャリをマネジメントしていくのがよいか、という論に大半が割かれていました。
その中で著者の方が新しく定義した「フルキャリ」、以下のような人のことを言うそうです。
家事や子育てでも、仕事でも、貢献と成長を目指し、二者択一ではなく、双方に同時に取り組み、実現したいと考える人(上記書籍p47より引用)
おおー!これは私だ!!!
家庭を優先したい、でも実は仕事も割と好き、だから仕事量をあえて減らしたりはせずに今まで頑張ってきたけど、いよいよ手が回らなくなった時に、じゃぁベビーシッターさんフル活用で仕事時間を確保したいの?というとそういうわけではなく、子供と過ごす時間は減らしたくない、だったら仕事減らす方がいい…
そんな私の頭の中のぐるぐるを見透かして、しかもスッキリした言葉で定義してくれてありがとう!という気持ちです。
フルキャリは配慮を必要としていない?
この本の中では、フルキャリは過度の配慮を必要としていない、ということが繰り返し書かれています。この見出しだけ読むと「ほんとに?残業はそんなにできないし、ちょっとは配慮して欲しくない?」と思いましたが、細かいアンケート結果をみると、単純に時間的制約やそれに直接つながる業務負担への配慮について論じられているわけではありませんでした。
ここで言われているのは、子育て中だからという理由だけで、本当は昇進の機会があるのに勧めてくれなかったり、面白い仕事があるのにアサインしてくれなかったり、長期的なキャリアについての議論が敬遠されたり、またプライベートは聞きづらいから家庭のことは全く話さなかったり…そういう「配慮」のこと(こんなの「配慮」って言う!?笑)。確かにこんなふうにされたら、上司に対して不信感というか、「私のことも一人の人として扱ってくれ!」という気分にはなるのかなと思いました。
この研究結果を私なりに掘り下げてみると「本当はフルキャリなのにゆるキャリだと思われている」ことにストレスを感じている方々が一定数いるように感じました。
私はどちらかというと「本当はフルキャリなのにバリキャリだと思われている」ことにストレスを感じています。そういう意味では、上記のような配慮に遭遇したことはあまりなく、むしろ「このプロジェクトはあなたの成長のために良いと思うから、ぜひ参画して存在感示してきてね!」みたいな感じで仕事を振ってもらえる機会には恵まれているんだなと。
ただ、それで私も嬉しくなって仕事を受けてしまうのですが、結局仕事の全体量を9時5時でこなし切れなくなり、しかも自分の気持ち的にも5時を過ぎたら子どもと過ごしたいから残業もしたくない。深夜起き出して働くのもきつい。こうなると、やりがいがあって楽しいと思っていた仕事に対してまでも、私ってプライベート侵食してまで仕事やりたかったんだっけ?となる。その葛藤をすごくストレスとして感じています。
フルキャリは仕事と家庭を両方うまく回したい
さて、私のこの「プライベート侵食してまで仕事やりたかったんだっけ?」の気持ちについても本の中できちんと述べられていました。この本の中では、フルキャリに独特なモチベーションとして、「子どもを預けてまで働くんだから、やりがいのある仕事がしたい」という気持ちがあることが紹介されています。
これは本当にその通り!2つを天秤にかけるわけじゃないけど、「やりがいのない仕事で辛い思いするくらいなら、仕事辞めて子どもと過ごしたい」はもちろん、日常的には「この仕事は今日子どものお迎え時間を延長してまでやらなきゃいけないのか」とか、逆に「仕事してないと保育園に子ども預かってもらえないんだから、今の状況はありがたいよなー」とか。仕事時間や仕事の継続について考えるときに、子どもと過ごす時間について思い及ぶことは避けられないのです。
それで、フルキャリの思考の中には常に仕事と子どもがあるわけで、仕事にやりがいがなくなったり、家庭がうまく回らなかったりすると、急に「子どもを預けてまで働くんだから、やりがいのある仕事がしたい」のバランスが崩れて、両立への精神的ハードルが必要以上に上がってしまうのだそうです。
これも本当にその通り(さっきから共感しかしてない)!実体験に照らして考えるとこういう思考になると思います。
①家庭がうまく回らなくなるパターン
子どもたちの体調不良→「病気の子どもの看病をおろそかにしてまでやる仕事?」→やりがいを感じていたはずの仕事に対してまでネガティブな気持ちになる
②仕事にやりがいがなくなるパターン
仕事のやりがい・楽しさに比べて負担感の方が増す→「かわいい子どもたちを預けてまでこの仕事やりたいの?」→納得して子どもを保育園に預けてたはずなのに、自分の家庭への貢献度の低さの方が気になり始める
ここで、本の中では先程の「配慮」の話に少し戻り、フルキャリの上司は、この「子どもを預けてまで働くんだから、やりがいのある仕事がしたい」のバランスを崩さないためにも、不要な配慮をせずにやりがいのある仕事をフルキャリに任せていきましょう、といった論調になっていました。
参考にならなかったところ
唯一あまり参考にならなかった部分としては、この本が主に想定している上司や職場環境が、自分の現在の上司や職場環境にあまり当てはまらなかったところです。外資系だからというだけで片付けられないかもしれませんが、少なくとも見回す限りでは、子育て中の社員の扱いがフェア。先程論じた変な配慮なんて、会社中どこ探してもないのでは?と思ってしまいます。そういう意味では知らないうちにマミートラックに乗せられてしまうみたいなことはないし、恵まれているのかもしれません。
逆に、「ちょっと息切れしたから一周だけマミートラック走らせて…」と思っても走るマミートラックが社内になくて、多少ペース落としながらでもマラソンコース(?)走って行かざるを得ないのがちょっとつらい…いや、ちょっとつらくてもマラソンコース走っていくのが自分のためだ、とフルキャリ視点では考えるのかもしれません。結局私もないものねだりなのかな?難しいですね。
言葉でワーママを分断しないように気をつけよう
筆者の方自身も本の中できちんと述べていますが、「フルキャリ」という言葉が新たな分断を産むのは本意ではないと思います。実際には「ゆるキャリ」「フルキャリ」「バリキャリ」はグラデーションであり、誰だってどんな気持ちになることもある。そういう意味では「ワーママ」という言葉の使い方も気を付けないといけないかもしれません。どんなスタンスだとしても一人のワーママであり、独身だろうが子どもがいなかろうがプライベートのある一人の働く人であることには変わりありません。「フルキャリ」という言葉に激しく共感しつつも、人と話すときに「私ってフルキャリだからさ〜」とかわざわざ言わないようにしようかなとは思ったのでした。(ちなみに本の中では子どもいるかどうかにかかわらずフルキャリの概念はあてはまるが、主に子ありフルキャリについて書かれていました。)
自分の気持ちが言語化できた
他にも様々な視点が散りばめられていて、とても参考になりましたので、気になる方は是非読んでみてはと思います。私としては、自分がなんとなく感じていたことを上手に言語化してくれて、思考がスッキリしたのがとても良かったです。おすすめです!
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