カウンセリングに行ってみた
カウンセリングのきっかけ
昨年末から休職をしている。現在は2週に一回通院し、その次の日には本社の健康相談の部署のスタッフと電話で近況報告面談、そして月に一回直属の上司に近居報告と今後の相談、といった流れで私の休みはサポートのためなのか管理するためなのかは分からないが各所に共有されている。
先日、本社のスタッフと定例の電話面談を行うなかで私のカウンセリングが提案された。「休職に至ったところを客観的な視点も入れながら整理をして復職の準備をしていきましょう」ということだった。経緯の整理は自分の中でできてきていたが、今後どうしていくか、というところへの自分との折り合いがつかず精神的に落ち込みがあったため提案されたのだと思われる。カウンセリングは学生時代に受けていたことがあるので抵抗はないし、今の仕事も同じように面談をすることが多い。一人で内省すると行き詰まってしまうのでいいかもしれないと思った。ぶっちゃけ、もう何でもいいから状況打破の糸口が欲しかった。
提案を受け入れた私は、カウンセリングの受けれるところを探して、苦労はしたがインテークののち今日担当者との初回面談を行ってきた。
カウンセリングの感想
2度目とは言えども担当者は違うので大体インテークと同じことを話したし、こんなもんだよねーと思っていた。
ただそれゆえに”事実の確認”が主な内容であったため、変な言い方だが私に心の余裕があったため(内省というよりはアウトプットってイメージ)職業柄もあり相手の面談の仕方とかしぐさなどを通して「自分の普段の面談は相手にどう見られているんだろうか」「ここをこういう反応されると、こういう気分になるものなんだな」と面談そのもののやり方について内省してしまい、カウンセリングが終わった後も妄想ともやもやが止まらなくなってしまった。
カウンセラーとクライアント/サプライヤーとカスタマー
私の話したいと感じている部分やひっかかってほしいポイントと、カウンセラーの得たい情報とひっかかりポイントがだいぶずれしまっていたように思う。ほぼ初回なので無理もないと思うが、面談の満足度は下がってしまうよなぁと感じました。実際にそこにもやもやするけれども「いや、そこじゃなくて、ここ聞いてください!」なんて言えないし。そういった意味では、私にとっては我慢の面談になった。面談の最初に面談の流れや目的を共有して、最後はそれがどうだったか、どこをどんな感じで進めていったのかの総括的なものを入れると面談の満足度が上がるような気がした。福祉関係の勉強をしていたり、関係者と話すと彼らは”プロセス”をとても大切にしているように思うし、それは私も同感。長い目でのその人の課題の解決は、中身のプロセスが大事だろう。ただ、一回一回お金を払ってきているわけだし、今後のクライエントのモチベーションを考えて一回一回に結果を求める必要もあると思う。それは決して、相手の満足感だけを考えるということではなく、この面談がどういうものなのか、それに対してどうであったかの共有を相手とちゃんとおこなって次をどうしていくかの見通しを立てるという作業が必要であると感じる。
今回のカウンセリングを商談の場面に置き換えるとこのサプライヤーは契約を逃していると思う。それをクライアントのモチベーションが足りないからだ、とか逃げているだけだ、とか言われてもクライアントからしたら知ったこっちゃないもんね。
カウンセラーとクライエントの共同作業でカウンセリングは作っていけるのが理想の形かもしれないが、サプライヤーとカスタマーという関係から面談を再度見直していくことも福祉業界全体でしてみてもいいのかも。
結論
ほぼ初めてあった人に対してこんなこと思うって。。。不安が強いんですよね。相手がどんな思考回路を持っているかが自分なりに見えてこないと安心できなくて安心させたいから勘ぐってしまう。こういうところが生きづらくて人間関係に疲れやすくなるところなんだよな、という気付きを得ることができたのがカウンセリングが収穫だった。
とりあえず、初めてみたのでもうちょい続けてみようと思う。
chiko.
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?