つぶやき①
私の人生の基本は性善説である。
基本人を疑わない。
この人は私のためを思って行動してくれてるんだ。
とストレートに思いがちである。
それで多少の痛い目にあったことはあるけど、
なんとかやってこれた。
やっぱり人には恵まれている。とは思う。
今も休職になってしまったけど、
職場の人たちに悪い人はいないと思う。
とは思いつつ、一つ気付きがあって、
善人だけの人でもないなと思った。
人間心の奥底では自分主体で動いているものだと思う。
じゃなければ、誰かが人の為に尽くすエピソードが感動物として取り上げられることはない。
あれはなかなかできない事だから注目される訳であるし。
だから他人が自分のために100%動いてくれてる
と思いこんじゃいけないよな。
私はそれを動いてくれてるんだって思いがちなんだよな~
そんなわけあるかい。
これ私自身が大切に愛されて育てられてきてるから、
無条件に思っちゃうんだろうなと思う。
私の性善説で生きてしまうルーツ。
さて、世の中良い人だけでもないと言ったけど、
人は色眼鏡でみることもあるし、
自分のいい風に解釈して話すこともあるし(自覚あるかないかもあるし)、
勘違いだってあるし、
意図をもって話すこともあるし、
ってことを知らずにいたな~というところ。
だからミスすると全部私の責任って思ってしんどくなっていたけど、
果たして全部だったのかな、とか。
多少人のせいにするのは、人間の防衛手段かもしれない。
私はそれをするのを自分で許してなかった。
もちろんしようとすることはあったんだけど、
それをしようとする自分さえ責めてて、
そりゃあしんどいよな~~~~~というところ。
特に今している仕事は明確にこれが自分の仕事ですってのがなく、
コミュニケーションとりながら任せたり、任されたりってところだから
いくらでも人のせいにできるし、自分のせいにもできるという。
100%誰かが悪いとかって基本ないと思うけど、その区別なく
全部自分のミスって認識にしてしまって、辛くなったんだろうなと。
いや100%のもあるのだけれど。
そこまで分かりつつ、そこの誰が悪くてどこを自分が反省すべきなのか
という方法が私には分からなまんまなんですけどね。
その方法が分かればちょっとは楽になるかもしれない。