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桜のように散るように心だって風邪をひいたりひかなかったり
すごく真面目で繊細で頑張り屋さんの
人たちへ
人には優しく気遣いするのに
それで疲弊してしまう
いつも相手に遠慮して自分の気持ちを隠していたり
笑顔を見せていつも明るく人には接してるのに
自分には優しくできない
いつのまにか心に積もっていく
知らないうちにどんどんどんどん
それは自分では気づかないうちに
溜まっていく
吐き出せなくなる
この理不尽なほどに積み重なったものを
吐き出せなくなる
自分が何を悩んでいるのかさえ
わからなくなる
これをどんなふうに誰に話せばいいのか
このとりとめない何かを
話を聞いてくれる人が見つからない
これは多分、今ならわかるけど
日々の暮らしの中で悪意に触れたり
嫌な目に遭ったり
ほんとにわずかなひとつひとつはなんていうことのない重要ではないと思っているような
そんな時にだったりするんだと思う
そんな時に人は心の風邪を引くんだと思う
最近のわたしは心の風邪を引きそうな気配に
とても敏感になった
どんな時に?
どんな目に遭った時に?
あれ?何かおかしい?
わたしがこころの風邪を引いたのは
自分は間違えなく本当のことを周りに忖度せずに
言って周りから孤立した時。
あの時は、過敏性腸症候群になって通院した
鬱も併発していたんだと思う
そもそも昔、診断で抑うつと言われた時、心に積もりすぎていてあの時は起き上がることも出来なかったあの頃を振り返ると、今、生きているのが奇跡だと思う
ほんの少しのことにも自分で気づいてあげてほしい
今日どうだった?
日々の毎日をふと思い出して、その日の感情はその日のうちに誰かに吐き出すこと消化すること
ラグジュアリーな体験や自分磨き
ネトフリをみて現実逃避とか
なぜこんな話をしたかというのを話し忘れていた
小中高生の自殺数が過去最高で527人
子どもたちの生命を護りたい
鬱かな、カフェインのせいかな、とかあれやこれやと思考を巡らせて
書き綴ってみることにしました
いつもどんな時も優しく接してくれる人を
きっと誰もが求めている
小学生、中学生、高校生だと
そういうの親の役目って言われちゃう
親のせいってなるのはもう勘弁してよ
子どもはある程度大きくなれば自分で自分を
管理してよって言われちゃうかなぁ?
親の責任の重さに親としての責務を拒否したくなる気持ちもわかる(わたしも親だから)
それでもやっぱり
ふぅーーーと深呼吸できる家庭と
息抜きできないなぜかくつろげない家庭
人はあたたかい場所がいい
それが今の家庭には失われつつ…
親は必死になってて家庭を守らなきゃいけない
精一杯で仕事でも自宅でも気張ってなんかいられない
子どもたちや家族に目を向けてゆっくりゆったりと語れるような、リラックスできる環境はあると答えられる人は今だとどのぐらいの割合いるだろう?
水槽の熱帯魚みたいに水質管理や水槽の清掃に
餌やりをして静かに水槽に語りかけるみたいに
そんな手間ひまを惜しまずに慈しみ育てられた経験があれば
人は心の栄養を糧に土壌が作られる
親から子へ 子が親になり
そのまた子が親に
心が強く保てるようになる 心が折れない
このサイクルになればいいとわたしは思っていて、
イメージとして、ひとつの大きな木があって私はひとつの枝しか過ぎないんだけど
私は過去のトラウマを解消すれば
わたしの枝から伸びる枝は強かで綺麗な花を咲かせるはずだと、ナバホの本を読んで閃いた!
このサイクルになるように
親から与えられたトラウマを子どもに引き継がせないために
子どもが幸せでそのまた子どもも幸せなサイクルへ
とつながるようにと…
子どもたちの未来を護りたい
ちなみにわたしが高校生の頃、死にたくなっていた時期があって辛い気持ちを打ち明けたわけではなかったが、
「〇〇ちゃん書くことでカタルシスを得ているんだね」と言われたことがある
今でも、そう指摘してくれた〇〇君に感謝してる
あの頃は毎日毎日、書き殴ってはひとりで泣いてた
書くこと
泣くこと
高校生の頃はこれで生き延びれたように思う
これをどこかの誰かのためになることを信じて
ここに残しておこう
「死にたかった気持ちはいつかは消える」