MyGOの総編集映画を見て、自分の気持ちがわかったっていう話
はい、どーも。今回は9月下旬と11月初旬に劇場公開されたMyGO!!!!!の総編集を見た感想とそれを見た後に自分の中で気づいたことを書いていきたいと思います。
ポイント1:まず最初に、前提条件
本題に入る前にまず私とBanG Dream!シリーズの関わりかたについて話しておきたいと思います。
・シリーズの存在事態は17年辺りから知ってた
・19年にハナヤマタのカバーをしたことをきっかけ少し興味を持つ
・好きなグループはRoseliaとMorfonica
・mygo以前のシリーズのアニメ映像作品はガルパピコ除き全部視聴済み
・リアルライブはRoseliaの配信何回かと24年2月に現地参戦のみ
・ガルパは入れてるが殆ど放置状態
・MyGOのアニメもTV版は視聴済み
・ただしその時点でのMyGOアニメの評価は
「おもしろいかつまらないかだったらおもしろい寄りだが回りがいうような最上位級とは思わない」
ポイント2:ひねくれた感想の理由
何故上記のような「MyGOのアニメは~」みたいな感想に至ったのか、それには当然理由がある。
これはKADOKAWAより発売している「HGに恋するふたり」という漫画作品の一コマである。
状況としては機動戦士ガンダムシリーズの一作品、鉄血のオルフェンズのオルガ死亡シーン(ネットでは止まるじゃねぇぞ…)で散々ネタにされてる例のシーンについて話している所です。
この一コマでも言われている通りどんな作品やシーンでも様々な感想がありみんなが同じ意見というのが基本的にありえないものです。
そう、TV放送時のMyGOはあまりにも絶賛の意見ばかりで否定的な意見はほぼみなかったです。
僕は「それ」に違和感を覚えました。
Twitterトレンドにも上がるほどの盛況っぷり。でもそれだけ多くの人に触れるのであれば当然否定的な意見、アンチが出てきてもおかしくないのにと疑問を抱きました。
幕間:ちょっと自分語り
ここで少し自分語りを含めます。
僕自身、幼少期というか小学生後半くらいから回りから浮き始めたように感じていました。
一人でいることが多いし、回りとは話が会わないことが多く、当時は図書館を散策して本を借りる(複数冊であるが同じ本を何回も借りてループする)ということをしてました。
ちなみに当時は飛行機もっというと軍用機に関する本を漁っていた。そしてそれらが活躍した二度の世界大戦あたりの歴史書とかも読んでいました。
そう、私自身自分と回りの人は違う。それをその身を持って実感していました。
そしてそれは世界も同じこと、住んでいる場所や人種、そんなものでも人は人を区別する。
そして自分はいつしか回りと同じふりをし、心に仮面を着けて生きていました。その心の奥底に理解されない苦悩や怒りを内包しながら…
そんな私ですが、私の好きな作品、強いて言うなら自分をオタクにした原点の作品、ガンダムSEEDがあります。
最近も今年公開された劇場版がシリーズ内での最高興行収入を叩き出したりして話題になった作品ですが、この作品も放送当時には賛否分かれてました。(当時はそこまでネットが普及してたわけじゃないから僕が賛否両論に気づいたのは後年になる)
だからこそ話題になった作品にはアンチが付くものという考えが僕の中にはありました。
そして、その作品のラスボスでラウ・ル・クルーゼがこんな台詞を劇中で残しています。
「私は結果だよ!だから知る!!」
「それが誰に解る?何が解る?解らぬさ!誰にも!!」
そしてSEEDシリーズの次に触れたガンダムが「機動戦士Ζガンダム」なんですがこの作品のラスボス、パプテマス・シロッコはこのような台詞を劇中で言ってます。
「生の感情を丸出しで戦うなど、これでは人に品性を求めるのは絶望的だ」
「生の感情を出すようでは俗人を動かすことはできても我々には通じんな」
そういつしか自分の中には…
「自分は他人とは違う」「素を自分を…生の心を見せるなど下劣な行為」という考えが無意識についていました。
これ以上語ると収集が付かなくなるのでここで話をMyGOに戻そうと思います。
ポイント3:高松燈という少女
MyGOの主人公、高松燈という少女は小さいころから石を集めたり、劇中の高校生時代も動物柄の絆創膏を集めたりしていた。
周囲と自分のズレを感じていて、言葉で自分を表現するのが下手で引っ込み思案な少女。
そう彼女もまた僕と同じだったのだ。
MyGOの評価に関しては辛口気味な僕であったが燈には不思議と引かれるものを感じていました。
その理由は一回TVアニメを見たがわからなかったです。
でも劇場であらためて物語に触れる中で長崎そよの一言が僕に刺さりました。
「私ね、燈ちゃんの歌詞、前から苦手だったんだ。なんていうか、いつも剥き出しでしょ?」
彼女は自分の気持ちをノートに書き、それ歌詞として歌いました。
そう彼女は僕と同じだって思いました。でも彼女は自分の気持ちを仮面で隠すのではなく歌で気持ちを伝えようとしました。
だからこそ高松燈にひかれたんだなと気付くことができました。
ふたたび僕が壊してしまったんだ
失いたくなくて忘れたくなくて
なのに力なく手を離してしまった
大切と僕は知っていたのに
ああぐちゃぐちゃになってしまったけど
全てが消えてしまったのでないなら
戻りたい
伝えたい
ゆるされるなら僕は諦めたくない
詩超絆の歌詞より抜粋
涙を流しながらも必死で、全力で歌う高松燈。それは生の感情を丸出しにする行為に他なりません。でも、それを品性が無いとか下品とかいうことは僕にはできませんでした。
自分とは対極とも取れる行動をとる彼女、でも彼女の歌はそんな自分のことすらも受け止めてくれるような、そんな感じがしました。
幕感その2:再度の自分語り、今の自分は
これまた自分語りになっちゃうんですが、正直最近自分の生き方を考えるようになっています。
今の仕事は続けるべきか、それともいっそ独立とか考えるかとか結婚とかどうするかとか…わりと真面目にです。
でも同時に選択して後々後悔したら、どうしよう。そんな懸念が脳裏を何度も何度もよぎります。
もしかしたら選らばなかった選択こそが正しかったのではないかと…
そして、ある男の言葉が語りかけます
そうして考えている間に時は無くなるぞ。
選ばなかった道などなかったも同じ。
もしもあの時…もしもあの時…。
いくら振り返ってみても、何も戻れはしない。何も変えることなどできはしない。
我らは常に見えぬ未来を進むしかないのだ。
今ではないいつか。ここではないどこか。きっとそこにはあるもの。素晴らしいもの。
それを求めて永劫、血の道を彷徨うのだろう?君たちは。不幸なことだな。
機動戦士ガンダムSEED DESTINY 29話より
ある意味僕自身も“迷子”なのかもしれません。
でも今はある少女の言葉が背中を押してくれるように思えます。
迷子でもいい!迷子でも進め!!
あらためてMyGOの物語に触れて
何故TVの時はあまり刺さらなくて劇場版の時にこれだけ評価を上げることになったのかを自分なり考えてみました。
・回りと同じ意見(MyGO肯定派)になってはいけない
・ここでMyGOの勢いがつけば他バンドとのバランス(供給)が崩れる危険性がある
という風に無意識に自分を洗脳(自己暗示)していたのかもしれません。
でも劇場の大画面や大音響で彼女たちの物語に触れているうちに、そんな雑念は自然と消えていました。
今ではMyGOのこと大好きです!
それに映画前編では楽奈ちゃんに関する新エピソードもありそれも良かったのかもしれません。
正直TV版だけだと楽奈ちゃんは何を考えてるのかわかんないって感じでしたが、今回の追加エピソードで楽奈ちゃんの音楽、バンドに対する気持ちがわかったのも良かったです。
楽奈ちゃんや燈ちゃんもですし、MyGOのメンバーが抱える悩み、苦悩って学生でも大人でも直面するものでだからこそ誰かしら刺さるんじゃないかなと思えました。
できれば、今悩みや苦悩を抱えてる人こそ彼女たちの物語に触れてほしいって思います!
すぐに解決!とはいかなくとも“何か”を見つけられるかもしれませんし。
この映画を見れて本当に良かったと思います!
ありがとう燈ちゃん、MyGOのみんな…!