あのこは貴族
最近まで本を読んでいた山内マリコさんの『あのこは貴族』が上映された。いつも通っている映画館では上映の予定がなく、隣町まで電車に乗って向かった。天気が良くて暖かく、上着は着なくて済む気候だった。絶好の映画日和である。
以下、映画の感想。ネタバレあります。注意。
エントランスにコンシェルジュが常駐しているような都会の高層マンション、いいなぁと思う。あの窓から漏れる光のひとつひとつに生活があって、あんな素敵なところに住める人たちはきっととても素晴らしい日々を送ってるに違いない、と無意識のうちに考えてしまう。
でもあの光の中で旦那の帰りを待ち、孤独な毎日を送る専業主婦がいるのかもしれない。窓の外で自転車を二人乗りして楽しそうにはしゃいでいる女の子たちを羨ましく見つめているのかもしれない。広くて機能的で綺麗な部屋より、狭くて古くても自分の好きなものでいっぱいの部屋のほうが魅力的なのかもしれない。有名ホテルのアフタヌーンティーには滅多に行けないけど、友達と行くファミレスやカフェも充分に楽しいことをわたしたちは知っている。
階級は違っても東京は東京で、楽しみや目的や夢は人の数だけある。あのこは貴族だけど、貴族だからと言って幸せではなく、庶民のわたしたちと同じように悩み、もがいている。どこ出身だって、どこで生きてたって、楽しい日もあれば、泣きたくなる日もある。
華子と美紀は歩いてきた道もこれからの道も違うけど、一瞬交わったことが彼女らの人生の転機になったと思う。
結婚したら幸せになれる、と信じてきた華子は離婚して友達のヴァイオリニストのマネージャーとして働いている。地元は死んだ街、こんなところに居られないと考えていた美紀は友達と起業し、地元を盛り上げる仕事をしている。共通しているのは、ふたりがすごく幸せそうなことだ。わたしも心からうれしくなるような眩しい笑顔だった。
原作を読んでいたので話の展開はわかっていたけど、期待を大きく上回る映画の出来だった。まず、キャストが全員大当たり。誰一人として違和感を感じなかった。みんな本からそのまま飛び出してきた等身大の彼らだった。
小説からは聴こえてこないヴァイオリンの音色だったり、登場人物の表情、しぐさ、部屋、お店、そのすべてが原作からそのまま抽出されたものであり、ここは解釈と違うなぁという箇所が見当たらなかった。原作への多大なリスペクトを感じた。
全体的にお上品でキスシーンすらないので仲良くなりたいだれかと観に行くのもいいのかもしれない。休日の午後にゆったりと紅茶でも飲みながら観たいと思った作品でした。(わたしは映画館と言ったら炭酸でしょ!とコーラを飲んでいたけど、映画と全然合わなくて温かい紅茶が飲みたくなった)
2021.3.7
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