見出し画像

9月7日、飴玉の唄で見えたもの

以前の記事で、BUMP OF CHICKENのSphery Rendezvousツアーで聞いた、飴玉の唄が本当に良かった話をした。

作品が人に『刺さる』時、
それは作品の力と
その人自身の経験と
その時の心身のバランス

全てが噛み合った時、作品以上のものが『見える』ことがある。


今回は、飴玉の唄で見えた景色のことを話そうと思う。

仕事で精神的に不安定だった自分は、
ずっと自分がここにいる理由がないと思っていた。


仕事をしても、
買い物をしても、
ご飯を食べていても、
いつも誰かに迷惑をかけていると思っていた。
迷惑をかけている自分は、ここにいる必要がないと思っていた。

自分ができることの全ては、
他の人に代替可能で
自分がやることの全ては、
他の人に迷惑をかける行為だと感じてしまっていた。

今なら言い過ぎだとわかる。
でも、心と身体を病むと、そうとしか信じられなくなる。
心配の言葉も
自分を大事に思ってくれる人も
見えなくなる。
聞こえなくなる。

そんな中に出会ったのが、今の家族だった。

話をたくさんした。

絵のこと
同人のこと
好きな作品のこと
大好きな仕事のこと
うまくいかない気持ちのこと

一つひとつ話して
一つひとつ受け入れた。

私も家族も、ずっと苦しかったきもちが

一つ一つ受け入れられて、かさぶたになっていくのがわかった。

世界に一人しかいないわたしは

たったひとりの特別な存在なのだと、
その家族に教えてもらった。

苦しかった自分ごと受け入れて
家族が抱えてきた痛みすら愛せる
そんな日が来るなんて、わたしは思っても見なかった。

私たちの言葉は飴玉になって
とるにたらない、
でもたしかにつづくもの
いつか消える
でも記憶に残るもの

私たちを癒してくれる
心を奮い立たせてくれる
どんな局面でも味方になってくれる

そういうものを、
渡し続けて行きたいと思った。

いいなと思ったら応援しよう!