良質なコミュニティってなんだろう?
学生時代~前職ではシェアハウスの運営とかに携わっていたから「良質なコミュニティとは?」みたいな議論とは無関係ではなかった。良質なコミュニティづくりにおいて、そもそもどのような人間を集めるのかというのは、時としてその後どのようにコミュニティを育てていくかということよりも重要視される。
シェアハウス運営において、コミュニティ形成の鍵となるのは内覧時の入居希望者との面談だ。私にとってはこれがいちばん楽しくもあり辛い仕事であった。入居希望者との面談では、シェアハウスの現入居者とマッチングしそうかどうか判断して、場合によってはお断りする。私は断る場合は他社でもいいからなるべくその人が合いそうなシェアハウスを勧めていたりした。
けれども、どう考えてもどのシェアハウスにも馴染まなさそうな人はいるもので、でもそういう人に限ってどこか所属するコミュニティが必要そうな感じがしたので、私は「あー受け皿がほしい」と思っていつももやもやしていた。
だから、いまの現場に出会ったときガツンと殴られたような衝撃を受けて、私は不動産業界から福祉業界にスパっと転職した。私が今働いている現場は『無料低額宿泊施設』という。よく介護施設や障害のグループホームなんかと間違えられるが、そのどちらでもない。介護施設であれば介護認定が、障害施設であれば障害認定が利用する条件として必要となるが、無料低額宿泊所の場合は誰でも利用ができる。
現にうちの施設にはホームレス歴10数年のおいちゃんや、刑務所を何度も出たり入ったりしてきたおいちゃんなんかが暮らしている。居場所のない若者や困窮した夫婦を受け入れたこともあった。彼らは介護を必要としないし、障害も持っていないけれども(厳密にいうと軽度の知的や発達障害はみられる)、日常生活を送るうえで様々なサポートを必要としている。既存の法制度のどこにもひっかからない、けれども困っている人たちが生活できる最終的な受け皿がそこにはある。
そんな個性豊かでぶっとんだバックグランドの持ち主の集まりだから、このコミュニティが世間でいうところの『良質なコミュニティ』かどうかは定かではない。みんなわがままだし、約束は守らないし、都合が悪いとすぐ嘘つくし、なんなら失踪したひともいる(が、大方は何か月後かに帰ってくる)。でも、このコミュニティがすごいのはお互いがそこに存在しあうことを自然に認めあっていることだ。これはここにいるみんなが一度は社会から疎外された経験を持っているから成し得ているのかもしれない。
仲間のAさんが亡くなったときは、いちばん仲のよかったBさんが「Aさんはしょうもないひとでした。酔っぱらったらどこでも寝るしどこでも小便するし。」と追悼の言葉を述べて、みんなで泣きながら笑って酒を飲んだ。そこには確かに愛があったし、良質かどうかはわからないけれども最高なコミュニティだなと思った。
SNSのおかげで今ではだいぶ自分と価値観の似た人と繋がりやすくなった。価値観や志をともにする人たちが集うコミュニティは確かに居心地はよい。けれども、良質なコミュニティとは同質性の高いコミュニティではなく、多種多様雑多な人間同士が互いに存在することを認めあえるコミュニティなんじゃないかと思う。
よいコミュニティ作りが単なる都合のよいコミュニティ作りになっていないか、誰かを選ぶことがことが誰かを排除することになっていないか…そんなところに敏感な私で在りたいと思っている。