トルコ絨毯商人は魔法なしにそれを手に入れた
さて、私は今イスタンブールのCihangirという地域にあるカフェの窓辺に座っています。イスタンブールにきて一週間が経ちました。4月初旬のイスタンブールは20度前後の晴天が続く、人間にとって最も気持ちの良い時期です。否人間だけでなく、野良猫や野良犬たちも気持ちよさそうに、あるいはただ暇を持て余して、日向ぼっこに明け暮れています。なにしろ坂道と野良犬猫が呆れるほど多いこの町。野良猫犬の快適さを競うオリンピックをしたらアテネかイスタンブールが優勝候補筆頭でしょう。アテネに行ったことはないけれども。
言葉とは不思議なものですね。斜面にしがみつくように建てられた建物群とその麓に待ったなしに現れる海の風景は記憶の中の熱海や瀬戸内とどこか通ずるところもあるのだけど、「ヨーロッパとアジアを分かつ海峡」と心の中で暗唱してみるだけでその海は唯一無二の特別なボスポラス海峡と化すのだから。
さてさて、日本人にとってトルコと言ったらトルコ絨毯ですね。日本人の皆様、スルタンメフメト・モスクとハギヤ・ソフィアに挟まれたチューリップの咲き誇る広場を歩いてごらんなさい。ソッコーでトルコ絨毯の商人に声をかけられます。しかも彼らの日本語レベルの高さには舌を巻きますよ。イスタンブールのトルコ絨毯商人の中には顧客の9割を日本人相手にしているくらい、彼らにとって日本人は大切な商売相手なのです。そういえば15年前に姉もトルコ旅行先で絨毯を買って帰ってきてその魅力を私は聞かされました。玄関用の一番小さいサイズで2万円しなかったとか、裏表両面使えるのがトルコ絨毯の特徴でつまり片面9千円だとかよくわからない勘定をされて、冬は暖かく夏は涼しいから一石二鳥だとか、そんなことで「へ~~」という感想以外何も言えなかった私でした。
で、15年前とまったく同じ商売文句を今度はイスタンブールでトルコ商人から日本語で直接聞かされる機会に仰せつかったわけです。申し訳ないけれど絨毯の特性よりもその驚くべき日本語能力の高さに目を開いてしまった。絨毯に纏わる商売文句だけではなく、イスタンブールに駐在する日系企業の変遷からゴールデンウィークを利用して東京の商業施設に出店する話まで、一度も文法ミスを犯すことなく100%正確に商人は日本語を操りました。これは驚くべきことです。一度もミスなく!
蜂一匹の侵入も許さないほどの隙のなさでトルコ商人は18分間しゃべり続けました。黙って私は聞き続けました。そして彼の息がやっと切れる頃、今度はやっと私が口を開く番でした。
「商人さん、あなたは随分立派な日本語をお使いになりますね。世にも難しい言語を一体どうやって身につけたんです?」
商人は全く表情も声色も変えずに答えました。
「あーー私はこーかん留学生として17年前に日本へ行って日本語の勉強をはじめました。私のりょーしんは絨毯を売る仕事をしていましたから私も同じ仕事をしようと思って、あーーそして、日本でトルコ絨毯は人気ですから、私が日本語を話したら日本人に絨毯を売ることができると、とーじ考えました。ほら、あなたもイスタンブールの街を見たらわかるでしょ。トルコ人はまだびんぼーな人がたくさんいる。あーーガラタ橋の上で毎日きたない海で魚を釣ってお金をもらっている人とか、客がこない店に毎日いて、にせもののブランドバッグで金持ちと見せたり。私はちがう。私は商売で成功したかった。そして成功するために日本語を話すと決めた。あーー日本人はいつも、すごいですねー日本語じょーずですねーと私に言う。あたりまえ。ただ日本語を話すと決めて、そしていっしょーけんめい勉強を続けたから、あたりまえ。才能はいらない。ただ決めるだけ。魔法つかってないよ私。」
絨毯の商人は魔法が使えるのかと思ってました。と言ったら、何を言ってるんだ? という顔をされた。洒落は通じなくても、縁もゆかりもごま塩もない極東の言語を身に着けたトルコ商人に私は大きめのリスペクトを献上したのであった。
さて、トルコ商人はブルーモスクの壁のように美しい青色の絨毯を卸しの値段とほぼ同額で私に売ってくれると言う。
「あーー私の利益5パーセントだけ。でもいいよ。あなたにだけ特別にこの値段で売る。はっきりいっていままでこの値段で売ったことはない。これほんとう。あなたにだけ。4万5千円。あーー私いつも日本人に絨毯を売っているからいつも円で言っちゃう。あなたドイツに住んでいるからユーロだね。3百ユーロしないよ。ほんと。あなたにだけ。今日だけね」
ありがとう。でも、いらないわ。アイ・ハブ・ノーマネー。私はがっかり顔のトルコ商人に別れを告げて目当てのトプカプ宮殿へと足を進めたのだった。その道中さらに4つの軒先から極東の母語が響いてきたが、今度は足を止めなかった。ごめんね。私カネモチのニホンジンと違う。でもあなたたちの日本語はほんとにブラボーだよ。
彼らの日本語習得の目的は一枚でも多く絨毯を売るという明瞭な目的のための手段である。この、言語とは道具であるという根本的なあり方を、私たちは今一度認めてみよう。そうすると、国語学習の周辺を渦巻く複雑な靄が次第に晴れていく気がする。彫刻家が彫刻刀を使って思い描いたとおりの作品を作り出すように、あるいはバスケットボール選手が肉体という道具を巧みに操って空中にシュートを決めるように、私たちは国語という道具を使って伝えたいことをなるべく上手に伝えることが、要するに国語学習である。日本にいると国語学習は学習指導要領に束縛されて大学受験傘下の成績至上主義に組み込まれてしまうけれど、海外に住む子どもたちはもっと自由に国語を学ぶことができる。海外に住みながら国語を習得することは大変なことだけど、少なくとも自由度は高い。
幸か不幸か国語力を上げられる魔法のパウダーは存在しない。私たち大人はみんなで協力しあって、子どもたちが自分の意志をできるだけ上手に有効に表現できるように、日本語という道具に磨きをかけるためのよりより環境と材料を整えてあげられたらいいなとおもう。海外に住んでいる国語教師という立場の私にできることを、小さなことから形にしていこう。権力の頂点に立つ歴代のスルタンたちがここトプカプ宮殿の庭から眺めたボスポラス海峡を、50ユーロを払ってお邪魔した私は(入場料高くないか?)、そんなことを考えながら眺めていたのだった。