見出し画像

そんなの、私のせいじゃない

心が病む。
その一因に、現代の私達は「責任」を感じやすいということがあるのではないでしょうか。

なぜ、私達は「責任」を感じやすくなってしまったのかはまた今度考えたいなと思っています。

いまは、「「責任」を感じやすい私達がどうしたら心が軽く生きていけるのか」、そういったことを考えます。


「責任」と言われてもイメージがわかないかもしれませんが、例えばこんな場面になったことはありませんか。
何かの集団になったときに、物事を決めなくてはいけないとき(飲み会でコースを決める、仕事の方針を決定する、友達と遊ぶ内容を決める)。

私はこういったときに「責任」が生じる気がします。
アイコンタクトしながら、これでいいよね?嫌な人いないかな?、本当に大丈夫?、待て誰がゴーサインだす?、不安だ不安だ、、、
こんなことを考えることがあるのではないでしょうか。

正直私はあります。
だから、みんなで何かをすることが鬱陶しいです。気の置けない友達と一緒に何かする方がよっぽどいいです。今は娯楽がありふれてます、スマホをいじっていれば、そんな高度なやりとりをしなくて済みます。楽です。

一方で、「ほらだから言った〜〜!」「あーーーあ〜〜…」「俺はこう言ってたのに…!」
この言葉から「責任」は絶対に被らないぞ、ほら見たことか、あぁよかった私がああいう目に合わなくて、という思いが伝わってきます。

これがいいとかわるいとかじゃなくて、そういうものなんじゃないかなと思うのです。
フォローできる人がいたり、何も気にしない人が集まればいいですが、いつもそうはいかないです。
それにその時間は誰だって有意義なものにしたいし、失敗は嫌です。

そんなの、私のせいじゃない。という気持ちになる。そして、それは私のせいじゃない、と言えるように事前に立ち回る。そして、そもそも私のせいだと言われないように行動・判断する。できなくても、それは私のせいじゃない、なぜなら全力をつくしたのだから。むしろ、それをフォローできなかったあなたたちのせいだ、失敗するとわかってるならなぜ追随した?と言えるような立ち回りをすること。

それが、今の私の考える「責任」との向き合い方です。
これが健康な心を保つ一助になればと思い、書き残します。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?