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子どもは過保護に育てる、愛して欲しい子ども達

この文章を読むと、子どもの甘えに対応していくことが大切だと私が考える理由について、知ることができます。それを受け入れるか受け入れられないかは皆さんの教育観、子ども観、生き方に関係すると思います。

まず、子どもは甘える生き物だと私は思います。ここは皆さんも同意見だと思います。甘えてほしくなくったって、甘えてきますよね。

次に、どこまで甘やかしていいかが問題になるのではないでしょうか。つまり主語が親、保護者に移ります。子どものあらわれに対する、周りのあらわれです。

甘えさせるは子ども発の言葉。
例)子どもが寂しがって、甘えてくる

甘やかすは保護者発の言葉。
例)親が勉強を教えるのをめんどくさがって、ゲームを買い与え甘やかす

こんな感じでしょうか。間違っていたら教えてください。

そこで、わかりやすくいうと、子どもの甘えにはとことん、というよりできる限り無限に付き合って欲しいということです。そうじゃないとその欲求は別の形で噴出してくるからです。歳をとってから噴出するほどめんどくさい形になります。

親が甘やかすのは適度にすることが大切だと思います。なぜなら愛情のつまみ食い、むしろ必要のない過干渉となる場合があるからです。本当はその子にやる気があるのに、頑張らなくていいんだよ、と声かけをするとします。「なにくそ、やるんだ!」となればまだしも、「わたしに期待してないんだ…」となるおそれもあるからです。

佐々木正美先生(精神科医の方です)の本に、過保護に育てられた子どもに悪い子はいない、というような言葉がありました。私はとてもほっとしました。悪いとは何をもって悪いかわかりませんが(悪いという言葉だったかも忘れてしまいました、すいません)、自分の心配を取り除いてくれました。

ただ、過干渉はやはりよくないのかとおもいました。でも冷静に考えたらそうですよね、子どものやる前に全部やられたら「わたしはやらなくていいんだ」となります。僕ならなります。

最近子どもたちは本当にかまって欲しそうに見えます。保護者の皆さんは子どもにどうかまっていいのか、どこまで買い与えていいのか、どこまで甘やかしていいのか、そんなところで不安になって子どもに関わっていきにくそうにしているように感じます。

子ども発の甘えには全てとことん向き合って(要求を飲むのも、いやそれはこういう理由があってかなわいよなど)、親発の甘やかしは極端に避けることが何より大切なんじゃないかと、思う今日この頃でした。

そして、一番ちぐはぐなのは、子ども発の甘えを全て拒否して、親発の甘やかしを押し付けることです。

お読みいただきありがとうございました。

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