闘病記 2024年6月24日
琉球王国に自了という人物がいた。和名は城間清豊。彼は生まれつき耳が聞けない、話せないという障害があったが、幼い頃は好奇心の強い子どもだった。
父の供で士族の家を訪れ、床の間に飾ってあった南宋画の優美で繊細な墨絵に感動して、独学で墨絵を学んだ。絵を描くとたちまち才能を発揮し、首里士族は競って絵を求めた。評判は尚豊王まで届き、王府の絵師となった。
中国の冊封使の杜三策は彼の絵を「中国においても何ら遜色ない、素晴らしい」と絶賛した。内地でも狩野安信は彼の絵を褒め称え「彼が我が国にあらば友としたい」といった。彼は中国画と日本画のそれぞれの特長を取り入ていた。彼は31歳で鬼籍に入った。
残念ながら、絵はほとんど沖縄戦で焼失してしまった。唯一現存する作とされる「白沢之図」を沖縄美ら島財団が所有し、先の首里城火災で奇跡的に難を逃れた。
人から言われたことがある。
「たかしくんは空気読むとか話すのはまるでダメだけど、文章を書かせたら上手いな!」
私は自分で自分の文章を上手いとは、これっぽっちも思っちゃあいない。私より文章が上手い人はワンサカいる。
ただ、人は承認欲求というものを持つ。褒め言葉を貰えば悪い気はしないのが人情だ。実際に私は広汎性発達障害という診断を受け、障害者手帳を所持している。
以前に私は今は亡き「さるさる日記」を付けていた。ファンレターを貰った事もある。嬉しかった。しかし個人情報を垂れ流しにすると思って辞めた。
では、なぜ今般自身の事を書くことにしたのか、それはガン宣告を受けたからだ。早晩この身は亡ぶかもしれない。ならばこの世において何らかの形で意思を残したいと思ったからだ。
尹東柱の『空と風と星と詩』の序詩が私の気持ちを代弁している。えてして素晴らしい小説等は人の気持ちを見事に描いているものだ。彼の詩は言語や民族の範疇を越えて、人の心を掴んで離さない。
死ぬ日まで空を仰ぎ
一点の恥辱なきことを、
葉あいにそよぐ風にも
わたしは心痛んだ。
星をうたう心で
生きとし生けるものをいとおしまねば
そしてわたしに与えられた道を
歩みゆかねば。
今宵も星が風に吹き晒らされる。(伊吹郷訳)
参考文献
たまきおさみ『まんが歴史事典 沖縄の偉人』那覇出版社
新城俊昭『ジュニア版 琉球・沖縄史』東洋企画印刷