村上春樹がわからない2『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

 村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んだ。再読である。一度目は「春樹にしてはそれほど面白くない」と思い、今回は「非常に面白い。傑作だ」と感じた。
 春樹は読みやすいが、本質は難解と言われる。多崎つくるは比較的わかりやすいと思われる。私は今回、自分探しの物語として読んだ。つくるは自分を切り捨てたかつての友達たちと再会し、自分とは何者なのかを知っていく。すっきりと読めて楽しかった。しかし謎は残る。最愛の友達、白はなぜ殺されたのか、誰に殺されたのかは明らかにされない。
 これについてかなり明確に説明している考察を見つけた。『【書評】色彩から考察する「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」村上春樹』である。多崎つくるには色を名前に含むキャラクターが多数登場するが、色の性質からキャラクターの行動を説明し、つくるは光源だという解釈で、小説を解明し切っていた。
 この書評を信じると、春樹は相当に計算して多崎つくるを書いたことになる。私は春樹はあまり計算しないで小説を書くタイプだと考えている。それでも地下水脈に潜ってシャーマン的に深い物語を創造できる稀有な小説家なのだと。
 春樹は計算して多崎つくるを書いたのか。いや、私はやはりそうではないと思う。計算しなくても直感的に、この色はこう行動する、この色はつくるを愛し、この色はつくるを陥れると奇跡のように配置したのではないか。計算しないで無意識的にそのようなことができるからこそ春樹は私を魅了してやまない作家なのだ。いまはそうに思っている。
 いつか『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を再々読する日が来るにちがいない。

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