三国志掌編を三作ほど……
『劉備の嫁』
「策兄様のような方と結婚したい」
孫尚香はそう願いつづけてきた。本音を言うと、兄本人と結婚したいが、それはさすがに無理。
尚香は、江東の小覇王、孫策の妹。
彼は揚州の英雄だった。華麗な容姿を持ち、電光石火の指揮官で、個人的な武勇も秀でていた。
尚香が13歳のときに暗殺された。
彼女は兄に似た美少女。男勝りの性格で、趣味は槍術。
孫策の死後は、兄を超える英雄と結婚したいと想うようになった。
彼女が19歳のとき、孫策の後継者であるもうひとりの兄、孫権が縁談を持ってきた。
「劉備殿と結婚してくれないか」と言われて、尚香は驚いた。
「荊州牧の劉備様……。おいくつなんです?」
「50歳だ」
いくらなんでも年寄りすぎる。彼女は絶対に断ろうと決意した。
「嫌です」
「そう言わないでくれ。わが揚州は、荊州と同盟を結ぶ必要があるのだ。曹操に対抗するためにな」
尚香は考え込んだ。孫権の妹だから、政略結婚はやむを得ない。
「劉備様が、策兄様以上の英雄であるなら、結婚してもいいです」
今度は孫権が考え込んだ。劉備が、尊敬していた兄以上の英雄であるとは思えない。しかし、そう言えば、縁談がまとまらない。
「劉備殿は、当代随一の英雄だ」と強弁した。
「それほどですか」
尚香は、男勝りの強気な性格だが、素直でもある。
「では、とにかくお会いしてみます。英雄だと思ったら、結婚してもいいです」
孫権は妹の性格をよく知っている。つべこべ言わずに結婚しろ、と無理強いしたら、意地になって断るに決まっている。
「もしかしたら策兄貴には劣るかもしれん。だが、多少は目をつぶってくれよ。現実には、理想の英雄なんていないんだ。兄貴ですら、欠点はあった」
「策兄様には欠点なんてなかったです!」
やれやれ、大変なブラコンだ。孫権はため息をついた。
劉備が揚州の首府、建業へやってきた。
蛇矛の使い手張飛と槍の名人趙雲を護衛として連れている。
建業城の貴賓応接室で、尚香は劉備と初めて会った。
揚州側は孫権の他に、武将の太史慈と呂蒙が同席している。
劉備の背後には、張飛と趙雲がいる。
見合いだというのに、尚香は着飾っていなかった。
男の格好をし、槍を持って部屋へ入ってきた。男装の麗人。
「尚香、おまえ、見合いをなんだと思っているんだ!」
孫権は焦り、叫んだ。
「あたしは英雄と結婚したいんです。この姿でびびるような方なら、お断りです」
尚香は言い放った。
そのとき、応接室に大笑いが響き渡った。
「あはははは、これはすごい姫ですな。お美しく、勇ましい」
笑ったのは、劉備だった。
尚香は、劉備をまっすぐに見つめた。
笑顔が底抜けに明るい。これは大人物だ、と彼女はとっさに感じた。
耳が大きすぎて美男とは言えないが、大人の余裕と風格がある。
渋い風貌は、長年の苦難を越えてきたことを想像させた。
あら、意外といい男だわ……。
彼女は第一印象で劉備に好感を持ったが、ここで強気な性格が表れた。
「あたし、自分より強い方と結婚したいんです。劉備様、槍で勝負していただけませんか」
劉備は微笑んでいた。
「ここにいる張飛と趙雲は、私の分身のような家臣です。彼らにお相手させましょう」
孫権は仰天した。張飛と趙雲は、有名な豪傑だ。まともに勝負したら、妹が殺されてしまう。
「劉備殿、ご冗談を」と彼は言ったが、「それでいいです。家臣の方と勝負します」と尚香が言ってしまった。
彼女は槍を荊州の豪傑たちに向けた。
「拙者がお相手いたします」
そう言ったのは、趙雲だった。
「趙雲殿、やめてくれ! 妹はじゃじゃ馬なのだ。ついこんなことを言ってしまう性格なんだ。本気にしないでくれ」
「孫権様、ご安心ください。妹君を殺したりはしません。拙者は素手で戦います」
趙雲は、武器を持たずに立ちあがった。
圧倒的な強者のオーラがある。
ものすごい人だ、と尚香にもわかった。でも、素手というのは、あたしを舐めすぎじゃないの、とも思った。彼女は真剣に槍術を練習してきた。並みの兵士には負けない自信がある。
それに、趙雲の腕前を見てみたい。
すごい豪傑を従えているなら、劉備が英雄である証拠ともなる。それを体感してみたい。
全員が、広間へ移った。
槍を持つ尚香と素手の趙雲の試合。
「いざ勝負。その槍で、拙者を殺してもかまいません」
「本当に素手でよいのですか? せめて木刀でも持ったらいかがですか」
尚香は、槍先に殺気を込めた。
劉備は相変わらず笑顔でいる。
「尚香さん、本気で戦ってみなさい。わが家臣を死なせても、文句は言わない」
尚香は劉備の目を見た。澄んだ瞳だった。素敵な人だな、とまた思った。
「ではゆきます」
彼女は槍を突いた。
趙雲は軽々と避けた。
尚香は次々と槍を突き、振り、真剣に攻撃した。
豪傑にはかすりもしない。
彼女の息があがってきた。趙雲はまったく息を乱していない。
「これでどうだ!」
裂帛の気合いを入れ、突く。
その槍を、趙雲は素手でつかんだ。
勝負あり。
「負けました。さすがです、趙雲様。でもあたしにも意地があります。もうひと勝負したい」
強気な尚香は、張飛を睨んだ。
「おれは趙雲ほどやさしくないぞ、尚香殿。あんたを殺してしまうかもしれねえ」
虎のような髭をはやしている張飛に睨み返されて、彼女はひるんだ。必死に耐えた。
「あなたも素手ですか?」
「おれは片手でいい。それも利き腕ではない方で」
「まさか……」
槍と片手? いくらなんでも負けるはずがない、と尚香は思った。劉備を見た。
「かまわんよ、尚香さん。張飛を殺すつもりでやってみなさい」
彼は家臣を完璧に信頼しているようだ。
よし、試してやる!
太史慈が張飛の右手を背中に回して、縄で縛った。
「いいのか、張飛殿。この格好だと、おれでも尚香様に負けるかもしれんぞ」
「女に負けたら、死んでもかまわねえ」
張飛は、尚香以上に強気だった。
彼女は劉備の義弟と対峙した。
張飛からは、趙雲以上に怖ろしげな迫力を感じた。
片手を縛られているのに、張飛が一歩前に出ると、尚香は一歩下がった。
「どうした、孫権殿の妹君。臆病者はおれの兄貴の嫁にはいらねえぞ」
臆病者と言われて、彼女はかっとなった。
槍を突き出した。
槍の柄を、張飛は左の手刀で割った。
一瞬で、勝負はついた。
尚香は、がくりと膝を折った。
貴賓応接室に戻り、酒宴になった。
「尚香さん、すばらしい気迫でした。あなたと結婚したい」
乾杯の直後、劉備がストレートに言った。男らしい。
すでに彼女は彼が好きになっていた。
いまとなっては、年の差なんてまったく気にならない。
ほんのりと頬を赤く染めた。
「はい……。ふつつか者ですが、どうかよろしくお願いします」
「私は逃げ足の速さで知られている。曹操の大軍に追われたときは、妻を捨てて逃げた。それでもよいのか?」
劉備は笑っていた。さきほどまでの柔らかい笑みではなく、凄みのある笑顔だった。
試されている、と尚香は感じた。
「かまいません。大将が生き延びるために逃げるのは、あたりまえのことです。危機の際は、あたしを置いて逃げてください」
きりっと答えた。
「あなたに惚れた」
劉備はもとの笑顔に戻った。
「孫権殿、この婚儀、ぜひとも進めていただきたい」
孫権は、政略結婚が無事にまとまりそうで、ほっとした。
「妹を頼みます」
尚香には、気になったことがあった。
「劉備様、あたしは側室になるのですか?」
「前の妻はもう死んでいます。正室としてお迎えしますよ」
「よかった……」
彼女は素直に口に出した。
応接室が笑いで包まれた。
孫尚香と劉備は、仲睦まじい夫婦になった。
後年、事情があって、尚香は孫権のもとに戻ることになったが、離れても劉備を想いつづけた。
夷陵の戦いの後、彼が死んだと聞いて、涙を流し、長江に花を投げた。
『三顧の礼オトメチック孔明』
はわわわわ、劉備玄徳様が我が家を訪れた。
わたしは縁側で昼寝をしていたのだけど、目は覚めていた。寝たふりをしながら、玄徳様のお声を聞いていた。
「諸葛亮はいま眠っております。起こして参りましょう」と家人が言う。
「けっこうです。私はここで待たせてもらいます」
よく通る美声。
憧れの玄徳様が門の前でわたしが目覚めるのを待っている。
飛び起きてお話ししたいけれど、簡単に落ちる男だとは思われたくなーい。
お供の関羽と張飛がわたしのことを何様だと怒ってぷりぷりしているけれど、玄徳様は礼儀正しく立っているようだ。
「諸葛亮殿は伏龍である。礼を尽くさねばならん。怒ってはいかんぞ」
ひゃーん、やさしい、劉備玄徳様!
でも、寝たふり、寝たふり。
今日は会ってあげないよー。
夕刻になり、「今日は縁がなかったようだ。また来よう」と言って、玄徳様は帰っていった。
ひーっ、これでよかったのだろうか。
また来るって言ってたけれど、本当に来てくれるかな。
心配だよー。
心配心配心配心配。
ずっと心配していたけれど、また来てくださった。
わたしはまた寝たふりをしていた。
うれしい。再度来てくださった。今日はお会いしようかな。
でも、わたしのことを本当に必要としているのだったら、三回くらいは訪れてくださるよね。
今日も焦らしちゃおう。
「起こしましょうか」
「けっこうです。諸葛亮殿の邪魔をしたくない。ここで待ちます」
わーい、わたしを尊重してくれているよお。
「兄者、この諸葛亮という者、化けの皮がはがれるのを怖れて、会うのを避けているのではないでしょうか」
ふーんだ、わたしが偉くなったら、関羽なんか玄徳様から引き離して、左遷してやるんだから。(後に関羽は荊州へ赴任する)
「兄貴、おれが諸葛なんとかを叩き起こしてやるよ」
暴れん坊の張飛なんか、前線の隊長しか務まらないよーだ。
「ふたりとも、礼を欠くようなら、帰っておれ」
玄徳様は毅然とされている。格好いい。惚れそう。
関羽と張飛は仕方なく突っ立っている。ざまあ。
ああ、玄徳様とお話ししたーい。
でももう少し焦らしたいな。
寝たふり、寝たふり。
「今日も縁がなかったようだ。また来よう」
玄徳様はお帰りになった。さびしいよー。
また来てくださいね。きっとですよ。
ああ、皇帝の叔父たる劉備玄徳様が、田舎の青二才であるわたしなんかを本当に三回も訪問してくださるのだろうか。
心配心配心配心配心配心配心配心配。
でも、三度来てくださった。
今日はお会いすると決めているけれど、もう少しだけ焦らしたい。
寝たふり。
「起こしましょうか」
「けっこうです。待ちますから」
玄徳様のお声は悠然としている。度量の広さがうかがわれる。格好いい。
「兄者、諸葛亮という者にこれ以上時間を割く必要はありますまい。我が陣営には十分に人がおります。拙者が文武を兼ねることができます」
バーカバーカ、関羽がたいしたことないから、玄徳様が窮状に陥っているんだよお。
「兄貴、めんどくせえから、諸葛なんとかを縛って連行しよう」
張飛のアホ。おまえは黙ってて。
「ふたりとも黙っておれ。我が軍師を迎えるのだ。三顧の礼など当然のこと」
きゃいーん、我が軍師だって、三顧の礼だって! もう我慢できない。
わたしは起きあがった。
「なにやら表が騒がしいようですね」
努めて静かに家人に問うた。
「劉備玄徳様がおいでになっています」
「お会いしましょう」
家人が門へ行った。
「諸葛亮がお会いすると申しております。どうぞ中へ」
「痛み入ります」
玄徳様につづいて、関羽と張飛も門をくぐろうとした。おまえたちはいらない。
「おまえたちはここで待っておれ」と玄徳様は命じられた。
やったー、玄徳様と気が合う!
関羽と張飛は不服そうだ。ざまあ。
わたしは玄徳様と対面した。
ドキドキするけど、平静を装う。
「初めまして、劉備玄徳と申します」
「諸葛亮孔明です」
「高明な諸葛亮殿とお会いできて光栄です」とおっしゃって、なんの実績もないわたしに頭を下げてくださった。うわあ、慎み深いお方!
「わたしの名など友人が知っている程度。国中に知られている劉備様とは比べるべくもない小人(しょうじん)です」ツンと澄ましてわたしは言う。「何かご用ですか?」
「天下のことを語り合いたい」
ひゃあ、格好いい。
「天下のことなど、わたしに語れましょうか」
「聞いてください。戦乱がつづき、民が苦しむこの国を私は救いたい。奸雄の曹操などに国をゆだねたくないのです。私に道を示してください。諸葛亮殿を王佐の才と見込んでお願い申し上げる」
王佐の才と言ってくださった。
「劉備様は王ではないではありませんか」
わたしは意地悪を言ってしまう。玄徳様が王の器であると知っているのに。
「いまはそうだが、いずれは王になりたいと思っています。私を補佐していただきたいのです」
おまかせあれ。でもちょっと焦らしちゃう。
「天下は魏と呉に二分されています。劉備様が王となる余地がありましょうか」
「ああ、ときはすでに去ったのでしょうか」
玄徳様の憂い顔が美しい。
「劉備様は究極的には何をお望みですか?」
「地に平和を。私が望むのはそれだけです」
「劉備様が王となって平和をもたらすためには、これから多くの血が流れなくてはなりません。その覚悟はおありですか?」
「むろん覚悟しています」
きりっとしたお顔が超絶格好いい。
わたしは天下三分の計を伝えた。
玄徳様の眼(まなこ)が見開かれた。やっほう、刺さったな。
「晴れやかです。目の前が広がったようだ。諸葛亮殿、我が軍師となってください」
やったー、引き受けます!
「いや、わたしはここで晴耕雨読していたいのです」
わたしの口は裏腹だ。
「重ねてお願いする。軍師となり、私を助けてください」
しようがないなあ。そんなに言うなら、助けてあ、げ、る。
「玄徳様、とお呼びしていいですか?」
「ん? かまいませんが」
「わたしのことは孔明、とお呼びください」
「孔明殿」
「孔明ですう」
「孔明、軍師となってくれ」
「はい、喜んで!」
わたしは玄徳様に抱きつかんばかりに接近して言った。「近い近い」と言われたけれど、かまうものか。尽くしますからね。
わたしは玄徳様にぴったりと寄り添って、門を出た。
関羽と張飛が驚いてわたしを見ている。
「孔明は我が軍師となった。私は水を得た魚だ。天下へ泳ぎ出そう。関羽、張飛、今後は孔明の言葉を我が言葉と思うように」
玄徳様の義兄弟の顔が苦り切っている。ざまあ。
わたしは玄徳様の後ろに騎乗し、広い背中に抱きついた。
『狼顧の相を一回転』
雨が降りつづいていた。
魏の大司馬、曹真は大軍を率いていたが、子午道の途中で進軍できなくなっていた。
大雨が、道を崩壊させていたのである。
子午道というのは、魏の重要都市長安と蜀の要衝南鄭を結ぶ道。
途中に険しい秦嶺山脈がある。断崖絶壁に横穴を掘り、そこに杭を打ち込み、板を敷いた桟道がつくられている。
桟道が崩落していた。
修理しなければ進めないが、極めて危険な難所であり、雨中で工事するのは不可能だった。
子午道は、魏から蜀へ進む最短のルート。
曹真はそこを進んで、電撃的に南鄭を突き、蜀軍を崩壊させるつもりだった。
やまない雨と崩れた道が、その目算を消し去った。
道中で雨に降られながら宿営せざるを得なくなり、兵糧のみが減っていった。
いや、減っているのはそれだけではない。
兵の士気も。
曹真は休戦を考えた。日に日に、休戦を強く欲するようになった。
曹真は蜀軍の山岳部隊が、秦嶺山脈の中に埋伏しているのを知っていた。
退却すれば、彼らが襲ってくる。
猿のような蜀の山岳兵のことを考えると、恐怖で心が震えた。
休戦協定を結ばなければ、長安へ帰れない。
司馬懿が率いる魏の別動隊は、斜谷道を進んでいる。
斜谷道は五丈原を経由して、南鄭へ至る道。
曹真軍が停滞しているので、司馬懿軍も止まっている。
本隊と言うべき曹真軍が動かず、支隊である司馬懿軍のみが蜀軍と戦えば、撃滅されるのは確実である。
司馬懿も休戦するしかないと思っていた。
蜀の軍師である諸葛亮孔明は、魏軍が休戦を必要としているのを知っていた。
休戦交渉をするなら、わたしは司馬懿仲達とふたりきりで面会したい。
陣中でそうつぶやいた。
むろんこの言葉が、ほどなくして曹真と司馬懿に伝わることはわかっている。
雨中でも、諜報戦はやむことなくつづいている。
曹真から司馬懿へ、伝令が命令を伝えた。
諸葛亮と会い、休戦協定を結べ。我が軍が安全に撤退できるよう状況を整えよ。
曹真の軍権下にある司馬懿に拒否権はなく、彼は諸葛亮の指定の場所に出向いた。
護衛の兵は従えていたが、面会する天幕の中には、ひとりで入らねばならなかった。
天幕の中に、諸葛亮と趙雲がいるのを見て、司馬懿は陰謀に気づいた。
趙雲は蜀の五虎大将軍のひとりで、槍の達人である。
生きてここから出ることはできないであろう。
司馬懿は狼顧の相を持ち、首を半回転させ、真後ろを向けると言われていた。
「貴殿の狼顧の相を見せてほしい」と諸葛亮は言った。
「それを見せれば、生きて返していただけるか」
「その保証はできかねるが、趙雲には席をはずさせましょう」
諸葛亮の言うとおりにするしかなさそうだ。でなければ、すぐに趙雲に殺されるだろう。
司馬懿は諸葛亮に背中を見せた。
「趙雲、外で待っていてください」
趙雲は無言でうなずき、天幕の外へ出た。
司馬懿は首を右回りで捻転させた。真後ろを向いた。
「本当に狼顧の相をしているのですね。少し驚きました」と言いながら、諸葛亮はがしっと両手で司馬懿の頭部をつかんだ。
「なにをする。放せ」
「放しません。さて、貴殿には首を一回転してもらいましょう。半回転だけでは面白くない」
「できない。私は半回転がやっとなんだ」
司馬懿の額から脂汗が流れた。
それを見て、諸葛亮はにやりと笑った。
「力ずくでもぐるっと回ってもらう」
諸葛亮はこの機会があることを予期して、あるいはこういう状況をつくることを期して、握力と腕力を猛烈に鍛えていた。万力のような力を持っている。
ぐぐぐ、と司馬懿の首を強引に右回りに回した。
司馬懿は抵抗した。
首はなんとしてでも左回りで元に戻さなければならない。
だが、諸葛亮の力は想像を絶するほど強かった。
「うぐうぅぅぅ、ひいっ、あああああ、それ以上回さないでぇ」
司馬懿の首がごきっと嫌な音を立てた。
諸葛亮が手を離すと、彼は膝から崩れ落ちた。すでに絶命していた。
諸葛亮は天幕の外に出た。
「趙雲、司馬懿の従兵を殺してください」
趙雲は天下無双に近い豪傑である。
血の雨を降らせ、二十人ほどいた魏兵をあっという間に皆殺しにした。
諸葛亮のそばに、彼の幕僚たちが集まってきた。
その中には、山岳部隊の指揮官もいた。
「子午道付近の山岳兵をただちに動かし、曹真軍を攻撃せよ。残りの全軍を挙げて、五丈原経由で長安を襲撃する。これを占領し、魏国攻撃の拠点とする」と孔明は告げた。
長安急襲作戦を提言しつづけてきた魏延は、拳を握った。
「自分に先鋒をご命じください」
「魏延、存分にやりなさい。あなたの作戦だ」
諸葛亮に励まされたのは、初めてだった。魏延は長年感じつづけてきた諸葛亮への恨みを忘れた。
曹真軍は子午道で全滅し、蜀軍の長安攻撃は成功した。
孔明は勝利した。
魏軍全体との勝負は、また別の話である。