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【連載小説】絵具の匂い 【第9話】砂漠の向こうに母をたずねて一千里

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絵具の匂い 【第9話】砂漠の向こうに母をたずねて一千里


小さいながらも車のある生活は思った以上に快適だった。トラムに乗って行っていた週末の市場への買い出しにも車で行けるようになったのだ。遠い昔、プラムが主食だった頃に比べるとなんという出世だろうか。アレはもしかしたら悪い夢だったのかもしれない。

セシリアのデカいキャンバスやイーゼルを学校まで運んでやることもできるようになったし、必要に応じて空港や仕事先にも車で行き来できるようになったので一気に生活の効率が良くなった。

禁断の自動車学校ごっこ

そんな生活がしばらく続いたある日のこと、セシリアも免許を取ると言いだした。いつも荷物を運んでもらうのも悪いので自分でも運転したいのだと言うのだった。

「おっ、車買うのか?」と聞くと、
「いや、それを運転する」と俺のシャレード(俺の愛車の名前)を指さして言った。

「シャレード」というのはもともと車名なのだが、セシリアは俺が車を My Charade(俺のシャレード)と呼ぶのを気持ち悪がった。女性の名前だからだ。しかし俺は信念をつらぬき、そう呼び続けた。(どうでも良い情報)

But, how you gonna practice?(でも、どうやって練習するんだ?)と聞くと、
You gonna teach me. (あんたが教えるのよ)と言うのだった。

確かに、この国には自動車学校というものがなく、運転免許というものは、学科試験を通ったら、フル免許を持った人に助手席に乗ってもらい街中で練習して取るものだった。

その練習運転時には車の後ろに大きくアルファベットの「L」と書かれた Learner(練習者)のプレートを付けなければならない。ただ、逆に言うと、そのプレートさえつけて助手席にフル免許を持った人間が乗ってさえいれば公道を運転できるのである。そして、試験は一発勝負、落ちればまたセルフ練習してチャレンジという具合である。

フル免許というのは、免許を取って3年か5年無事故で運転していると手に入るというような規定だったような気がするが、俺は日本で既にそれに相当する期間運転していたので切り替え時からフル免許をもらうことができ、一応その助手席に乗って教える側の人間の資格があるようだった。

L Plates(練習者プレート)

(まあ、セシリアが免許を取ると便利でいいかもしれないな。酔っぱらった時に迎えに来てもらったりもできるし …… うん、いい機会かもしれないな)

俺がそんな事を考えながら、険しい顔で My training is tough.  Can you keep up?(俺の指導はきびしいぞ、ついてこれるか?)と言うと、セシリアは Yes, Sir.(はい、わかりました)と答えたのだった。「愛と青春の旅立ち」を見たばかりのバカ二人の会話だった。

***

筆記試験に受かり無事 L Plater(Lプレートの人=運転練習者)になったセシリアは、それから3カ月猛特訓をした。手始めに、俺とセシリアはセーフウェイ(地元が愛する大型スーパーマーケット)の駐車場に行き練習をした。最初から公道を走るのは怖かったのだ。

しかし駐車場といえども助手席に座っている人間はかなりの緊張を強いられる。教習所の車のように助手席にブレーキがある訳ではないので、いざとなったら、横から手を伸ばしてサイドブレーキを引くぐらいの減速の方法しかないのである。運転者がとち狂ってアクセルをベタ踏みなどしたらもう打つ手はない。もう信頼関係だけが頼りの自動車学校ごっこなのである。

昼間のセーフウェイは駐車場一杯に車が停まっているので怖くて、とてもじゃないけど落ち着いて練習などできたものではなかった。かといって夜暗くなってから駐車場に入って練習するのも別の意味で勇気がいる。用もないのに駐車場をグルグル回っていたらきっとそのうち職務質問されるだろう。そこで俺達は日が昇る時間に早起きして駐車場に行き、開店前のセーフウェイの駐車場で練習することにしたのだった。

セシリアは何かにぶつかりそうになりブレーキを踏んだり、ハンドルを切ったりする度にいちいち変な声をあげるし、俺もセシリアのハンドルの戻しが遅かったり、車のスピードがどんどん上がって行ったりする度に声をあげていたので、最初のうち車の中はやかましかった。しかも駐車場ではずっと右回りなので右折の練習しかできなかった。そして、彼女が時折「Oh, No!」などと悲鳴を上げるので顔を見ると目をつぶっていたりした。少なくとも目は開けとけ。

俺が Watch out! (危ない!)と言い、セシリアが I know!(わかってるわよー)と答えるというやり取りは何百回やったかわからなかった。

しかし幸いな事に車はオートマだったので、操作するのは基本的にアクセル、ブレーキ、ハンドルだけ。しばらくすると公道でもかなりスムーズに走れるようになった。規定時間の練習をして条件を満たしたセシリアは、最終的に実技試験にもパスし無事免許を取ることができたのだった。

確か最初の数年は見習免許期間で、何年か無事故で運転していくうちにランクが上がり本免許になるような感じだったと思う。見習期間は車の後ろにアルファベットの「P」と書かれた Probational(見習い)のサインをつけて走らなければならなかった。

P Plates(見習プレート): みんな最初はこれから

***

しばらくは運転を任せる気にならず大体俺が運転していたが、そのうちセシリアも絵を学校に運んだりする必要があり恐る恐る運転するようになった。やはりトラムの走っている街中を走る時は緊張するようだったが、セシリアの大学は車の少ない山の方の田舎にあるのでその辺は大丈夫そうだった。

そしてようやく運転に慣れて来た頃に夏休み(クリスマス休暇)の時期がやってきた。南半球なので日本とは季節が逆なのだ。大学も休みになり、10日間くらいは自由な時間がありそうなので、ちょっと遠くまで車で行ってみる事にした。早いもので、セシリアと会って既に1年が経っていた。

遥かなる西オーストラリアへの道

セシリアにどこか行きたいところがあるか聞くと、彼女はちょっと考えてから、Perth(パース)に行きたいと言った。州で言えば西オーストラリア州、オーストラリアの最西部にある都市だった。俺達の住むこの街 Melbourne(メルボルン)からはかなり遠いのではないのだろうか?

参考資料:オーストラリア各都市位置関係

そして、なんでパースなのかと聞くと、母親が住んでいるのだという。それまでお互いあまり家族の話をしなかったので、こちらからもあえて聞かなかったが、そうかそんな離れたところに住んでいるのか。

セシリアと母親は昔この街に一緒に住んでいたのだが、セシリアが大学に入る頃に母親はある事情があり(たぶんパートナーの都合)、西オーストラリアのパースの近くの小さな街に引っ越したのだと言う。

別に仲たがいした訳でもなく、彼女は芸術の盛んなこの街の大学を選び進学したのでここに残ったのだと言った。それからずっと会っていないので、母親の住む街に行ってみたいと言うのだった。

しかし、パースか。俺は「黒い家」の他の住人に借りて来た世界地図を広げて見た。そこには主要都市間の距離が書かれていたが、メルボルン・パース間は約3,000km と書かれていた。
(確か、東京から大阪が約500km という感じだったのではないか? とするとその6倍くらいか …… それってどんな感じなんだろうか)

「結構時間かかりそうだけど、まあ大丈夫かなあ …」俺は言った。
「どれくらいかかる?」
「いやあ、かなりかかるよ」
全く具体性のない会話である。

実際あまりピンときていなかったが、なんとなく少し時間をかければ車で移動できる距離なのではないかと思った。その四国のような形を見ているとなおさらそんな気がしてくる。なんせ休みは10日あるのだ。1000cc の小型車というところがちょっと気になるが、途中で泊まりながらならばなんとかなるだろう。

なんとなく形が似ている四国(左)とオーストラリア(右)
しかし、四国は18,800 ㎢、オーストラリアは7,692,000 ㎢ なので、実は大きさは400倍違う

しかし今冷静に考えてみれば 3,000kmというのは時速100キロで1日8時間ノンストップで走って、4日かかることになる。向こうで何もしないなら別だが、ふつうに考えれば10日で帰ってこれる訳がない。しかもその時には知らなかったのだが実は目的地は更に遠かったのである。
今考えると実に甘い見積だった。コメダのシロノワールくらい甘い。

男の回想

地図を見ると素敵な海外線沿いに走るように見えるが、実際には何もない砂漠のような平原を走るようだった。しかし、それを知った俺とセシリアの会話は、
「まあでも、砂漠を車で走るというのもカッコいいね」
「うん、なかなかそんな機会ないしね」
というようなものだった。
テレビで Mad Max(マッドマックス)を見たばかりのバカ二人の会話だった。

【マッドマックスとは】
メル・ギブソン主演の世紀末映画。荒廃した近未来を舞台に、凶悪な暴走族に妻子を奪われた警官の復讐劇を描いたオーストラリア中部の砂漠を舞台としたバイオレンスアクション。のちにシリーズ化され話はどんどんエスカレートして行く。日本のコミックス『北斗の拳』の世界観や登場キャラクターの元にもなった。

原題:Mad Max
配給:ワーナー・ブラザース映画

実際に今、メルボルンからパースの距離をグーグルマップで検索してみるとこんな感じである。およそ 3,400km、車で37時間かかると出てくる。さすが現在のテクノロジーがはじき出した具体的な数字。その頃これを見ていたらきっと車で行くのはあきらめていたのではないだろうか。

2023年現在の Google Map で検索したメルボルンからパースへの距離
(走行距離ざっと 3,417km、所要時間は車で 37時間とのこと)

***

そんな事とは知らない俺達は、夏季休暇に入るとクーラーボックスに入れたたくさんの飲み物と食べ物、そして何枚かのキャンバスと絵具、そして予備のガソリン(途中ガソリンスタンドがまばらにしかない地域がある)を積んで笑顔でパースに向けて出発したのだった。車の中は色んなもののニオイが混ざり合い結構臭かった。

***

出発してしばらくは海沿いの美しい景色が広がりドライブ気分でテンションも上がり運転も苦でなかったが、2日目頃からは、だんだんと何もない平野が延々と続くような景色になって行った。

出発直後のアゲアゲ景色

Adelaide(アデレード)という都市を越えたあたりから、だんだん景色は単調になり、道の両側には背の低い木が生えた平原のような光景が広がっていった。この辺りから野生の動物もたくさん現れるようだった。出発時には緑色だった俺のシャレードも、道の左右の赤土でどんどん赤茶けていった。

ここから150 km フェンスなし・ラクダとエミューとカンガルーの飛び出しに注意という標識


そしてしばらく行くと緑の木はなくなり、背の低い木(ブッシュ)が生えた砂漠のよう平原が延々と続く光景に変わっていった。道はどこまでも真っすぐだった。

ずっとこれ、もうイヤ

2日目が終わり、現在地を地図で確認して見るとパースはまだまだ遠く、予定よりかなり遅れているように感じた。幸い道は真っすぐだったので、そこからはセシリアにも運転してもらい、二人交代で一人が運転している間にもう一人が寝るという「長距離バス交代運転手メソッド」に切り替えることにした。

ところで日本の高速バスには交代する運転手が仮眠するための部屋がバスの床下にあるのをご存じだろうか。荷物室の横にカプセルホテルみたいな空間があるのだ。俺は初めてそれを見た時びっくりした。

(どうでも良い情報)

しかし、話し相手のいないままずっと何もない真っすぐの道を運転するのはかなりキツイ。夜になると、ヘッドライトが好きなのかカンガルーが車と競うように横を並走したりするので、そんな時はちょっと緊張して目が覚めるのだが、日中の暑い道路を走っているとやたらと眠くなる。

気が付くといつの間にかウトウトしてしまい、いつの間にか道をそれて道路のないところを走っていたりするのだが、直ぐには気が付かないのだ。もう一人も寝ているのでかなり野原を走ったところでやっと振動で気が付いたりする。

しかし、このペースでは車に乗っているうちに休暇が終わってしまいそうなので、俺達は途中ちょっと無理をして1日に16時間運転してみたりした。途中本当にずっとガソリンスタンドのない区間などもありヒヤッとしたが、予備ガソリンを少し積んでいたおかげで大変な事態にはならずに済んだ。あそこでガス欠になったら皆どうするのだろうか。

この道中の話はまた別の機会に書いて見たいが、まあ実際にとんでもない体験だった。俺のシャレードも良く耐えた。ほめてあげたい。そして最終的にあたりにはブッシュばかりでなく背の高いユーカリの木なども増えてきてパースに近づいてきたようだった。

パースまでもう一息

なんとか4日目でここまで来ることができた。最終目的地は Shark Bay(シャーク・ベイ)にある Denham(デナム)と言う街だったが、もうここまでくればこっちのものだ。

***

やっと念願のパースに到着した。久しぶりの大きな街だった。俺達はこのパースの街が一望できるという丘の上の大きな公園に行ってみた。海を見渡せる美しい景色だったが、とにかくハエが多かった。何故だろうか。パースはあんまり雨が降らないらしいが、そのあたりがハエにとっては暮らしやすい理由なのだろうか。そしてハエは日本よりでかかった。

King's Park(キングス・パーク)からの眺め

公園で、焼いた肉を挟んだサンドイッチを買って、ベンチに座り包みを開けたらハエが集まってきてハエ柱のようになった。何かを食べている人の上に黒っぽいハエの柱が立つのだ。これは凄い。

同じ海辺の街でもメルボルンとだいぶ気候も違うようだった。途中で帽子の回りにコルク(ハエ除け)がぶら下がっている帽子をかぶっている人も良く見かけた。これはお土産品だと思っていたが本当にかぶっている人もいるんだなあ。

Cork Hat(コルク・ハット)別名ハエ除け帽子

「しかし、このハエ凄いね」と言うと、セシリア曰く、
「オーストラリア人が口を開けずにモゴモゴ話すのはハエが口に入らないように話すようになったからだって学校で習ったよ」とのことだった。

俺達はひと時のパース見物を終えると最終目的地のシャークベイに向け出発した。

地図をいい加減に見ていたので、ここまで来たらこっちのものなどと思っていたが、良く見たら全然こっちのものじゃなかった。なんとシャーク・ベイまで、まだあと 700km もあったのだ。

2023年現在の Google Map で検索してみたパースからシャークベイまでの距離
(走行距離ざっと 750km、所要時間は車で8時間という感じ)

近いように見えたが、北にあと8時間だと言う。しかしここまでくるともう 8時間くらいならいいかという気もしてくる。砂漠を走って一回り人間が成長したのかもしれない。

結局、俺達が出発したメルボルンからシャークベイまでは実際には 4,000km あったのだ。「母をたずねて一千里」ということになる。


つづく

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