李さん、あんたどこで日本語覚えたんだ?
今、韓国が熱い!
何をいまさらと言う声が聞こえてきそうだが、映像の世界での韓国の躍進は目覚ましい。「パラサイト」がアカデミー賞を受賞したり、ドラマ分野でも 「イカゲーム」(Netflix制作の韓国ドラマ)がエミー賞を受賞したりと、もはや文化を越えて世界中に受け入れられている感がある。
最近私も暇さえあれば韓国映画を見ているが、つくづく人間味あふれる国だなあと思う。年齢のせいで涙腺が弱くなっているからなのかもしれないが、どんな作品を見ていても毎回気がつくとどこかのシーンで、お気に入りの白いレースのハンカチ(ウソ)で目頭を押さえてしまっているのである(これはホント)。ジャンルは、犯罪もの、軍隊もの、アクションもの、恋愛もの、コメディーと多岐に渡るがどの作品にも根底には人間ドラマが息づいている。
そこに描かれる韓国の生活を見る度に、昔、頻繁に韓国に行っていた頃のことを懐かしく思い出す。
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月の半分ほど韓国に行っていた時期がある。いわば取引先の電子メーカーや自動車メーカーを訪問していたわけだが、名前を挙げるときっと皆さん聞いたことのあるような企業だと思う。皆企業としての規模は馬鹿デカかったが、内部は結構メチャクチャのところが多かった。
今でこそ皆クリーンな企業になったが、その当時はここに書けないような、賄賂あり、癒着あり、談合あり、スパイあり、セクハラありと不正の百貨店状態だった(百貨店!古い)。コンプライエンスのコンの字もない時代だったが、良く言えば非常に人間臭く活気に溢れていた。
また企業文化だけでなく商習慣も日本とは異なり、契約や決済の仕方も独特だったので、ビジネスをするには現地のパートナー会社が不可欠だった。企業を訪問する際にも必ず協力会社に同行してもらっていた。海外と行っても当時東京からソウルまで飛行機で2~3時間程度だったので(今もそうだが)、感覚としてはそれほど国内出張と変わらなかった。
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俺は韓国の仕事を担当することが決まって直ぐに、勤め先の近くのNHK文化センターの初級ハングル(韓国語)コースに通い始めた。先生はもちろん「金先生」である。「もちろん」と言うのもおかしな話だが韓国は日本に比べると苗字の種類が少なく、5人に一人が金さんなのである。韓国の代表的な苗字を表す言葉に、「キンパクリ(金・朴・李)」というのがあるが、この三つの苗字で国民のほぼ半分を占めるのだ。
趣味で韓国語を習う方々と机を並べての勉強で、授業が終わるとその金先生も誘って飲みに行くという訳だが、これも楽しかった。韓流ブームが来るずっと前の時代なので生徒は男性が多かった。
俺はNHK文化センターに通い始めると同時に教科書を一冊買ってきて一人で基本的なハングルの読み方を勉強した。ご存知の方も多いと思うがハングルは子音と母音の記号の組み合わせで出来た表音文字なので、覚えてしまえば文字を音読するのはすぐに出来るようになる。俺も一週間くらいで全部の子音と母音を覚えて、書いてある文字をまあまあゆっくりなら音読できるようになった。
しかし読めても意味はさっぱり分からないというレベルである。しかしまあいいのだ。その頃の韓国出張帰りの先輩が持ってきた新聞を見ると、半分くらい漢字が使われていたので、読むとなんとなくどんな話題の事が書かれているのかが想像できた。
(まあなんとかなるだろう)と俺は思った。
どこの国でも初めて行く時には期待に胸膨らむものである。俺は初回の出張に向けて張り切って準備した。
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そして初めての韓国出張の日が来た。金浦空港(ソウルの国際空港)につくとパートナー会社(いわゆる代理店)の李さんが待っていた。
日本を出る前に写真を見ていたが、初めて会う生の李さんは、刈り上げに少し伸ばした前髪をポマードで固めた韓国正統派男前という感じの渋い男だった。
李さんは俺を見つけるとエラの張った顔に親しみ易い笑顔を浮かべて近づいてきた。そして、低い声で「チョウム ペッケスムニダ(はじめまして)」と言うと、左手を右腕の肘辺りに添えながら右手を俺に向けて差し出したのだった。俺も、「パンガプスムニダ(会えて嬉しいです)」と言いながら同じように左手を右肘に添えて、出された右手を握り返した。俺のセリフは、NHK文化センターで習ったばかりの必殺あいさつだった。
その後、俺は李さんに向かって、覚えてきたハングル必殺フレーズを片っ端から使ってみた。しかし、今考えてみればほぼ全て似たような挨拶のフレーズや天気の話などである。言葉を変えて何度も同じことを言っているようなものである。
その他に覚えてきたのは「ビールを下さい」や「焼酎を下さい」、あるいは「おかわりを下さい」などの「下さいシリーズ」くらいである。しかし、どう考えても空港で出迎えてくれた人に今言うセリフではないだろう。
俺の頭の中の「もしかしたら使うかもしれない韓国語」の引き出しには、「かわいいですね」や「あなたが好きです」などという緊急マル秘フレーズもあったが、これも今この場面で使ったらとんでもない禁断の韓流ドラマが始まってしまいそうである。
しょせん付け焼き刃、俺が準備してきた初級必殺シリーズは早くも完全に底を突いたのである。そこでしょうがなくあきらめて、英語で「Those are the only Korean phrases I've learned so far.(私の知ってる韓国語はこれで全部なんですよ)」と言って見ると、なんと李さんは「ヨンオヌン チョグンパッケ モッテヨ(英語は少ししかできないんですよ)」的なことを太く低い声で答えたのだった。
俺がそれを聞いて、(えっそうなのか! うーん、じゃ俺たちこれからどうする?)と破局カップルのようなことを考えているその時だった。
李さんが突然なんだか詐欺師のような口調で「でも、日本語はペラペラだよ」と言ったのである。
おおお、日本語が話せるなら話は早い。良かった、良かった。
俺が「え、本当ですか。それは助かります!」と言うと、李さんは「タカリマス?イミはナンデスカ」と言ったのだった。
全然ペラペラじゃない予感がした。
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しかし、その不安は抑えつつ日本語で話してみると、最初はちょっと話がかみ合わない感じもしたが、こちらの言っていることはほとんど理解してくれているようだし、李さんの話す日本語もクリアで良くわかる。
助かった。
俺の暗記型付け焼刃方式の韓国語に比べると、まあ100倍上手い日本語と言えた。まだまだ分からない表現などもあるようだったが、想像力もあるのだろう。完全に会話は成り立っていた。
しかしである。どうも李さんの話す日本語は、李さんの「ザ・大人の男」という感じの見掛けとマッチしていないのである。タメ口が混ざるのは全然問題ない。逆にこちらもその方が気が楽だった。しかし違和感はそういうことではないのだ。李さんの日本語、非常にオリジナルなのである。
例えば、「今日これから行く会社の社長はどんな人ですか?」と聞くと、まず、「あたまピカピカなんですよ」などという答えが返ってくるのである。
俺は思わず笑ってしまうわけだが、情報がそれだけでも困るので、
「マジですか、うはは。でも中身はどんな人?」と言って、「なかみ」と言いながら胸を指さすと、「ああ、おこりんぼなんだよ。ちいちゃいことカンカンに怒るんですよ。気をつけるのがいいんですよ」と言う答えが返ってくるという具合である。
全然意味は判る。気が短い人なので少し用心した方が良い、というのもわかるし、ま、ま、髪の毛も少なめなんだろう。前情報としてはとりあえず十分だった。
その他、会話例を挙げると以下のような感じだった。
1. ある会社で李さんに会釈する人を見た時:
俺 「知ってる人ですか?」
李さん 「むかしむかし、会ったよ。やさしい人なんだよ」
2. 今日の天気の感想:
俺 「今日は良い天気ですね」
李さん 「ポカポカなんですよ。しごとサボる方がいいね」
3. ある会社での商談が終わった時:
俺 「契約きまりますかね」
李さん 「わからないんだよ。ドキドキなんですよ」
大体こんな調子だった。なんとなく雰囲気をイメージして頂けるだろうか。
気づかれた方もいると思うが擬態語が多いのである。そう、「ニコニコ」とか「フワフワ」とかそういうヤツ。そしてなんだか学校で習った日本語という感じじゃないのである。かといって日本に住んで覚えたという感じでもないのだ。それとなく聞いたら「日本は行ったことがないんですよ」と言っていた。
ではソウルに日本人の彼女か何かいて、そういう人から習ったのか? 日本で女性と暮らしながら言葉を覚えた外国人の日本語は、たまに女言葉っぽい場合がある。その場合は語尾にやたら「~ね」をつけたり「~よ」と言ったりするものだ。もしかして李さんもソウルの日本人の女性から教わったとかそういうことなのだろうか。俺はふとそんなことを考えてみた。でも李さんの日本語はそんなに女性的というイメージでもない。
まあ、でも意思の疎通の上ではなんら問題なかったので余計な詮索はやめた。訪問先の相手は大体日本語か英語ができたし、細かいところは李さんが手厚くハングルでサポートしてくれるので、仕事は上手くいった。
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それから数日の間、李さんの運転する車で一緒に地方行脚した。ソウルからプサンまで約300kmを車で移動しながら取引先に挨拶して回ったのである。李さんは自然体の人で気を使わないで良いので一緒にいて楽だった。
一緒に行動して三日目くらいの夜、李さんと焼肉屋に行った時のことである。でかいカルビの塊がテーブルの上に並んで、お店のおばさん(アジュマ)が大きな裁縫バサミみたいなヤツで肉をジョキジョキ切って焼き網に載せてくれるような店だった。
俺が日本を出る前に覚えてきた「丸暗記・下さいフレーズ」のひとつ、「アガシ、メクチュチュセヨ(お姉さん、ビール下さい)」を使ってみると、李さんが「お、韓国語うまいんですね」とお世辞を言った。ま、俺が暗記したフレーズしかしゃべれないのはもう判っているので、半分からかっている訳である。
もう何日か一緒にいるので気心も知れてきた。良い機会なので、焼肉を食べながら、「李さんはどこで日本語覚えたの?」と聞いてみた。すると意外な答えが返ってきた。
「じぶんでベンキョウしたんですよ。ひとりですよ」と李さんは言ったのだった。
(そうか、独学なのか)
俺が「じゃ、ラジオとかそういうやつ?」と聞くと、
「本なんですよ」と言うのである。
「子供用の絵本みたいな本を一冊だけ読んで、いっしょうけんめい、じぇーんぶ覚えたんだよ」
なんと李さんの話す日本語は、ほとんど全部その絵本に書いてあった日本語の文の変形なのだと言う。
なるほど、顔は正統派韓流なのに、話す日本語が妙にカワイイのはそういう訳だったのか。また、李さんの答えがちょっとずれていたり奇抜だったりするのも、覚えている文で一番近そうなものを無理やり使うからなのだろう。擬態語、いわゆる「オノマトペ」が多いのも、「むかしむかし」という表現も、それを聞いて納得がいった。
「今の会社入るのは、日本語話すこと必要だったんですよ。だから急いで覚えたんですよ。これが一番早いよ」
李さんは日本の童話を丸一冊暗記して、履歴書に日本語ネイティブ並みと書いて、採用されたようなのである。学校などに行くのではなく適当に選んだ本を丸暗記して準備完了というその辺のバイタリティも凄いのである。
李さんは誠実な人柄だったが、効果的にはったりも利かせながら実社会で腕をならしてきたタイプだろうと思う。この二三日一緒に行動してわかったが、李さんは優秀なビジネスマンだった。結局、例の頭ピカピカ社長との打ち合わせも李さんのおかげで和やかに上手くいったし、その後どこを訪問しても、李さんが一目置かれているのがわかった。
ちなみに、それから何年も付き合ううちに李さんの日本語はメキメキ上達して、ほとんど日本人と変わらなくなり韓国なまりもほとんど消えたのである。「じぇーんぶ」もいつしか「ぜんぶ」になり、「コッピ」も「コーヒー」になった。(*1)
***
あっと言う間に出張最終日になった。李さんが空港に送ってくれる車の中で、「俺も韓国の絵本でも買って帰って丸暗記しようかな」と言うと、「それがいいよ、簡単なんだよ」と李さんは言った。
空港につくと、李さんは意外にあっさりと「また来月会いましょう。元気でね」と言って忙しそうに去っていった。俺は李さんに話したとおり、空港の本屋に入り、子供向けの簡単な本を探してみた。しかし本はどれも同じように見え、内容もよく分からないので一番絵が真面目そうなものを一冊買った。
そして、まだまだ時間と煩悩が余っていた俺は、(ま、子供の本を読んだら、大人の本も読むべきだよな、トーゼン)と自分に言いながら、韓国の成人図書を探してみたのである。
いやいや、そんなにドギツイものを探すつもりはなかった。しかし、本屋の中をくまなく探しても、そのような風味の本は全く見当たらなかったのである。聖人君子が読むような本ばかりだった。これは、おかしい。そういうコーナーにでもまとめて置いてあるのだろうか。俺は目をギラギラさせながら、スケートのショートトラックの選手のように手を後ろに組んで本屋の中を何周もしてしまったのである。
後で知ったのだが、儒教の国、韓国では空港の本屋のようなパブリックなところにその手の本はおいていないということなのである。そして李さんには内緒なのだが、俺は成人図書探しに夢中になったせいか、その空港で買った絵本は読む前になくしてしまったのである。
そんな訳で俺の韓国語はそのころから全く進歩がないのである。
(了)
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