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親父が死んだ日

もう何年も前の思い出話です。考えて見るとこの世に家族を亡くすことよりも悲しいことはないだろうと思います。ふと思い出したので書いておこうと思います。

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何年もずっと実家に帰れず親不孝を続けていた。だがその年は急に都合がついて実家に帰ることができたのだった。家に着き、母親が出してくれたお茶を呑みながら雑談をしているうちに、いつのまにか日が落ちてあたりが暗くなっていた。

しばらくすると玄関の方から親父が帰ってきた音がした。俺が戻ってくることを知っていたようで茶の間に少し顔をだすと俺の方を見て、「おお、来てたか。ちょっと遠出したせいか疲れてな。また明日色々聞かせてくれ」となんだか小さな声で言うと、風呂にも入らずに寝室に向かっていった。

いつも飄々とした笑顔の親父なのだが、その時は随分疲れた顔をしていた。どうも様子が気になり部屋に行き「大丈夫か」と聞くと、「なんだか昨日からずっと背中が痛くてな。一晩寝たら直ると思うけどな」と言ったのだった。

そして翌朝、朝飯の時間になったが、いつも朝早いはずの親父がなかなか起きてこないので、俺は階下から「おーい、飯だよ!」と声をかけた。すると、二階の寝室の方から親父の「ああ」という声が聞こえた。それから俺はしばらく待っていたが、なかなか出てくる様子がない。そこで、久しぶりで早く話がしたかった俺は部屋に行って見た。

部屋に入ると、ベッドの下の床の上で横になっている親父の姿が目に入った。普通に横になって寝ているのではなく体が硬直したような様子で、一目で大変な事態だと分かった。着替えている途中で倒れたようだった。俺は親父に駆け寄り話し掛けたが返事がなかった。呼吸も脈も確認できなかった。俺は階下の母に救急車を呼ぶように叫んだ。

俺は人工呼吸と心臓マッサージの方法を知っていたので、母から受け取った電話の向こうの救急隊員かオペレータの方に症状を説明して、「到着まで人工呼吸と心臓マッサージを続けるので早く来て欲しい」と伝えた。

そして電話を切ると人工呼吸を再開したのだが、呼吸の度に肺の中から水の流れるような異音がするのに気がついた(後で考えると肺の中に流れ込んだ血液の音だったのだと思う)。俺は無我夢中で救急車がくるまで人工呼吸と心臓マッサージを続けた。その間、俺は病院につけばなんとかなるだろうとずっと考え「親父、大丈夫だからな。親父、大丈夫だからな」と心の中で繰り返していた。

救急車が到着してAEDを試みてくれたが効果がなくそのまま病院へ搬送となった。そこからのことは断片的にしか覚えていないのだが、最終的に病院の先生方が救命のため尽力して下さったのだが、残念ながら親父は還らぬ人となったのである。

俺は家に帰ってきて顔に白い布を掛けて横になっている親父の傍らに座り涙が止まらなかった。俺は親父が好きだった。相談したいこともまだまだ沢山あった。でも何も伝えることができないまま、親父は俺の前から去っていってしまったのだった。俺は自分を冷たい人間だと思っていたが、いくら泣いても涙が枯れないのが不思議だった。

人間とは何と無力なものだろうと思った。身近な一人の人間さえ助けることができないのである。また、「昨夜の不調を聞いた時に病院に連れていったらどうなっていただろうか」、「生半可な蘇生法などが裏目に出たようなことがなかったのか」など、答えの出ないことを何度も何度も考えた。何の根拠もなく、病院に着けばなんとかなると考えていながら何も出来なかった自分の愚かさも恨めしかった。

しかしそれから、喪主として葬儀の準備をしながら忙しく過ごし、また葬儀で親父を慕ってくれていた大勢の人々と会い、生前の親父を称える優しい言葉を掛けられて俺は救われた。大切な人を失った直後に普通の生活をして一人で黙って何かを考え続けていたら耐えられないだろうと思う。

準備や段取りが細かい葬儀という行事を終えて感じたのは、残された人が色々な負の思いに囚われないために、このような忙しい儀式になっているのかもしれないという事だった。葬儀とその準備では、色々な人に連絡を取り、また色々な細かいルールに沿って事を運ばなければならない。そんな作業で忙殺されることによって、悲しさを紛らわせることができるようになっているのだと感じたのである。俺自身その忙しさのおかげで一時的に悔しさや悲しさ、様々な思いを紛らわすことができた。

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家族を失うのはつらいものである。年老いた家族を亡くしても、これだけ後悔するのだ。生活を共にしていたならば、もっと良い時間が過ごせたのではないか、などと色々な後悔が残るかもしれない。また、世の中には自分より若い家族を亡くされる方もいる。さぞや無念だと思う。ましてや前途のある若い家族であれば尚更のことである。もしその場に居合わせたら、何かの方法で今のめぐり合わせを避けることができなかったのかなどと考え、助けられなかった自分を責めてしまうだろう。

今この瞬間にもどこかでそのような思いを抱いている方がいるだろう事を想像すると胸が締め付けられる思いがする。でも決してそんな風に考えないで欲しいと思う。

私も心の整理がつくまでは少し時間がかかったが、その後はずっと親父も私の心の中にいて、相談相手になってくれている。

残されたものは、去っていった家族と分かち合った時間を胸に刻みながら、自分の人生を恥じないものにするために生き続けるしかないのだろうと今は思う。

それがきっと私にできる唯一のことなのだ。



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