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【連載小説】絵具の匂い 【第3話】哀愁のルナパーク

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絵具の匂い 【第3話】哀愁のルナパーク


海沿いの国道を潮風に吹かれて彼女と並んで歩くうちに、俺は序々に気を取り直していた。外は初夏の日差しが眩しく、ビーチに向かう道沿いにはレストランやカフェが並び人で賑わっていた。歩きながら彼女は、この海沿いの街にはギャラリーもありアーティストもたくさん住んでいるのだと教えてくれた。自分もいつかここのギャラリーで個展を開きたいのだと言った。

その後で知ったのだが、St. Kilda(セントキルダ)と呼ばれるこの地区は昔はレッドライト・ディストリクト(いわゆる赤線地域)だったのだが、その後アーティストやミュージシャンが住むようになり段々と変貌を遂げ、その頃には既に文化の発信地的存在になっていた。しかしビーチに向かう途中にまだまだ怪しい店もいくつかあり、崩れた感じの人間も目についた。

この辺が日本の海水浴場との違いだなあと思う。日本の海水浴場はどこか家族や青少年のためのものという健全なイメージがあるが、海外のビーチは裏通りに入ると何か退廃的なムードがある。例の「ホテルカリフォルニア」の怪しいイメージとでも言えば良いだろうか。昔あの曲の題名しか知らなかった時には、「西海岸のホテルで過ごした愛の思い出」的な美しい哀愁の曲だと勝手に思っていたが、いざ歌詞がわかるようになると「何だ怖えな、そういうアレかよ」と思ったのを覚えている。

♫  Welcome to Hotel California.  Such a lovey place, such a lovely face.
-- ホテルカリフォルニアへようこそ、なんて素敵な場所、なんて素敵な人達
♫  And I was thinking to myself, this could be hell or this could be heaven.
-- 私は自分に問いかける。ここは天国なのか、それとも地獄なのか
♫ Last thing I remember, I was running for the door.
-- 最後に覚えているのは、出口に向かって走っていたこと
♫ You can check out any time you like, but you can never leave.
-- いつでもチェックアウトできるけど、決してここを離れることはできない

Hotel California (Eagles) から抜粋

この歌はクスリ中毒を歌ったものだなんて言う説もあるけれど、St. Kildaの裏通り(実は表通りにも)には大きな Brothel(昔風に言うと娼館)もあり、どこかイーグルスのこの曲のイメージと重なった。

しかし昼間の St. Kilda はどこまでも明るく、白砂のビーチの向こうに続くポートフィリップ湾は穏やかで吹く風が気持ち良かった。そのまま国道脇の遊歩道に入りしばらく歩いていくと、まるでヘタウマ絵のような超巨大な男の顔が見えてきた。それが Luna Park(ルナパーク)の入り口だった。

その巨大な男の顔の口の部分が遊園地のゲートになっているのだが、その顔はまったく可愛げがなかった、というかどちらかというと怖かった。遊園地ならもう少し可愛いキャラクターにすれば良いのに、まるでジャック・ニコルソンのような初老の男が開けた大きな口が入り口になっているのだ。遊園地のシンボルとしては妙にシュールだった。

「Luna=月」は狂気のシンボルなのでその辺も加味してこういうデザインになったのかも知れない。

Luna park というカッコいい名前の響きから勝手に近未来的な アミューズメント・パーク を想像しながら歩いてきた俺が悪いのだが、一目見て「浅草月やしき」とかいう名前の方が合いそうだなと思った。そう、良く言えばレトロ、素直に言えば結構ボロいのである。

俺の口から、What an old and dull amusement park!(うおー、ふっるー!)と言う言葉が思わず出かかったが、そこは招待された側である。
ちょっと気を使って Wow, this is nice and old-fashioned.(お、なんか古風でいい感じ)と言って見た。

しかし、ちょっと嘘っぽいのがバレたようで彼女は俺の顔を覗き込んでニヤニヤしながら、また、You don't have to be nice. (むりしなくていいわよ)と言った。

哀愁のルナパーク(近影)

ルナパークは入場料無料で、ゲートは開放されていた。乗り物や設備を使わない限りお金を取られず、誰でも自由にそのジャック・ニコルソンの口を出入りできるようになっていた。中は昔の映画で見たことのあるような本当に古い遊園地で、外周の塀がローラーコースターのレーンになっていた。

彼女は、いつも散歩に来ているが乗り物には一度も乗ったことがないと言う。それじゃせっかくだから何かに乗ってみようということになり、その外周を回るローラーコースターに乗ることになった。

世界で一番古い現役ローラーコースターと言うだけあって、近くで見るとコースも車体もとても古い。これ、もともと何色だったのかのだろうか、という感じさえする。ベルトは何か飛行機の座席ベルトのような簡単なものだったように思う。俺は大丈夫かなと思ったが、一緒に乗ってみた。

感想は「おそい!」の一言である。
全然怖くないのである。しいていえば車体やレールなど全体的に木製っぽいのでそこだけは怖いという感じである。しかしこのローラーコースター、この手のアトラクションとしては珍しく文化遺産に指定されているとのことで、確かにそういう味わいはあった。

そして次に、おばけ屋敷のようなものに入ってみた。
そこでの感想は「しょぼい!」の一言につきる。
人が通ると自動的に何かが目の前に出てくるというような仕組みのようだったが、明らかに出てくるらしきところが判るし、しかも古い機械のせいか、脅そうとして出てくる前に「ガッチャン」などという音がするのでわかっちゃうのである。

そして、そのガッチャンポイントがいくつかあって、ふと気がつくともう出口という具合だった。しかしまあ彼女はそれなりに驚いて楽しんでいるようだった。

ゲームが並んだ小屋のようなものもあったが、体を使うヤツが多かった。バスケットボールを時間内にいくつシュートできるか、的にいくつ弾を当てられるかというような類のものである。その点数に応じて切符のようなものが機械から出てきて、それを集めて入口のカウンターに持って行くと枚数に応じた賞品がもらえるというシステムである。その商品はというと、ゴムで出来た動物や昆虫だったり、何か良くわからないビーズの飾りのようなものだったり、一言でいえば「いらない!」という感じのものばかりだった。

しかし地元の人に愛されてずっと続いていると言うのもよくわかる。ルナパークの中ではとにかく時間がゆっくりと流れていて、子供連れで行くにはちょうどいいのだろう。何かに急き立てられることもなくゆっくり時間を過ごし、気が向いたら何かを食べながら楽しく話をするという文化にはぴったりなのだ。俺たちもソフトクリームを食べ、話をしながら敷地の中を歩いた。

そして歩き回り疲れると直ぐ横のビーチに行き砂浜に腰をおろした。

彼女は、夏になると毎朝このビーチまで散歩するのだといった。
「夏は毎朝ビーチを清掃車(Beach Cleaning Tractor)が走るから、砂浜の足跡が消されてまるで砂漠のようになるのよ」
彼女は嬉しそうな顔でそう言った。

***

帰り道に、彼女は友達に紹介するからと言って俺をある店につれていった。雑貨とパンの置かれたミルクバー(雑貨屋)とデリとカフェが一緒になったような店だった。店に入るとエスタという髪の白い小さなおばあちゃんが出てきた。彼女の言っていた仲の良いユダヤ人のあばあちゃんというのはこの人だった。店の中にはジューイッシュのお惣菜とベーグルのようなパンも置かれていた。

こんな感じ

エスタは店の前に出されたテーブルにベーグルとコーヒーを持ってきてすすめてくれると、彼女の向かいに座った。彼女はまるで、学校から帰ってきた娘が母親に話すように、エスタに色んな話をしていた。

俺は多分その時生まれて初めてベーグルというものを食べたと思うが、俺の知っているいわゆるパンと言うものとは違い、なんだかシットリ、モチモチして美味かった(この頃は何を食べてもまずいものなどなかったが)。俺は二人が話すのを聞きながら、エスタが持ってきてくれるままに遠慮なく何個も食べた。

二人は、良くこんなに話すことあるなと言うくらい話していたが、おかげで俺も初めてのベーグルを存分に食べることができた。気がつくともう日が傾きかけていた。俺たちは礼を言うとエスタの店を後にした。

***

戻った彼女の部屋はやはり油絵の具の匂いに包まれていた。俺はキャンバスの横に置いておいた自分のカバンに手を伸ばしながら、窓際にずらっと立てかけられたキャンバスを見て「それにしても、たくさんあるなあ」と言った。

「俺の部屋には絵は一枚もないよ」
「え、じゃ何か持って行く?」

俺はそんなつもりで言ったのではなかったのだが、もうこの部屋にキャンバスを置く場所がなくなってきたからというので、籠に入った玉ねぎの描かれた小さな油絵を一つもらった。そして彼女は「プラムばかり食べていると体に良くないからいつでも遊びに来てね」とちょっと笑いながら言うと、画用紙の切れっ端に電話番号を書いて俺にくれた。

外に出ると辺りはもう暗くなっていた。俺は彼女に一日の礼を言い、「ここで大丈夫」と言ったのだが、彼女はトラムの停留所まで送ってくれた。

俺の住む街行きの番号をつけた緑のトラム(路面電車)がやってきた。俺は彼女にもう一度礼を言うとトラムに乗り、空いている座席に腰を掛けた。外にまだ彼女がいるかどうか見たいくせに、俺はなんとなく振り向かずに前を向いていた。

どういう心理なのだろうか。それがカッコいいと思っているのか、それとも振り向いて彼女がいないと寂しいので振り向かないのか。結局トラムが走りだすまで意味もなく前を向いていたのである。イキっているつもりなのか?

市民の味方トラム

しかし、そんな男も、イキった割にはトラムが走りだす時にはやはりちょっと外を見てしまい、ポケットに手を入れた彼女がまだそこにいてこちらを見てくれているのがちらっと目に入りあわてて手を挙げたのだった。

走り出したトラムの中でなんだか優しい気持ちになった俺は、外を流れる街並みを見ながら、今日はどんなチンピラにからまれても温かく対応できるなあと思ったのだった。

フラットの自分の部屋に戻り、もらった玉ねぎの絵を壁にかけてみた。鼻を近づけるとまだうっすらと油絵の具の匂いがした。

俺は彼女がくれた電話番号を書いた紙を二つに折って、机の上の良く見えるところに立てると、バネがへたって真ん中が凹んだままの備え付けのベッドに靴を履いたまま体を投げ出した。

俺は天井の白塗りのペンキを眺めながら、エスタと話していたときの楽しそうな彼女の横顔をふと思い浮かべた。


つづく

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