見出し画像

夢に向かうために大学中退した話


長くなりますが、今の自分がある人生の機転になった時期なのでつらつらと書かせてください。サラッと読んでいただけたら嬉しいです。

今私は新卒の1年目で小学校の頃からの憧れで夢であったアパレルの仕事に今年の春から就き、都内でOLをしております。

遡ると高校三年生

進学校でもなかった平均の、いや平均少し下の学校でした。進学どうするのってなった3年生当初の私は、特にこれ!と言った職業の夢はなくて、ただお洋服が昔から好きで漠然とアパレルの方に行きたいなあ。なんて考えていたのですが、明確な職種も描けておらず、遊ぶことや友達がめちゃくちゃ好きで勉強なんてなんもしてこなかった学生としてポンコツ極まりない私に、

「大学に行くなら、明確な将来を描いた上でどの大学に行きたいのか、何を学んだらその職種に就けるのか、そしてなりたい職種の平均収入はいくらで自分はそれで満足するのか、食っていけるのか。最後に、手に職をつけなさい。」

という夢より現実思考だった父。ちょっと言ったらどうなるだろうなんて想像もついていたけど、思い切ってある日「お洋服の仕事がしたい」と言った私に父はアパレルは夢で終わらせなさい。と端から否定され、当時の私はその父を論破することはできず、しかも父は(物事を否定から始めると言ったら言い方悪いですが。。。)本当にブワアアアアアアアアっとそんなに言葉出てくる?!

というくらい否定で撃破され。(それに対応できなかった自分本当に我なしだけど、夢を単語で発しただけなのに否定で論破され、ただ座りながら何も言い返せない自分と少しもこっちの話を聞こうとしてくれない父、どちらにも嫌気がさして涙が止まらなかった)結局アパレルの夢は高校三年生の時に散ることとなりました。

だからと言って進路を何も決めないわけにもいかず、私は他に好きなこと興味のあることはなんだろうと思っている矢先、母が介護福祉士を提示してきました。

自分より長く生きて、たくさんの情報を持っていて、なお生きている時代が違う自分よりはるか先輩のお爺ちゃんお婆ちゃんが好きだったこともあり、母が介護福祉士の道を進めてきてくれました。確かにおじいちゃんおばあちゃんの介護をしながら、今日は何があったよ〜とかこんなことやあんなことがあって〜とか言いながらお世話するのは良いのではないか。超絶安易な考え方で自分の将来の一つとして介護福祉士を視野に入れました。

謝っておきます。当時の私はそう思ってましたが、介護福祉士の皆さん本当にお疲れ様です。とっても大変ですよね。

人を預かる職業って本当に大変だと思います。

私は介護福祉士の仕事を調べるうちに自分と思い描いているものをはるかに上回ってきつく大変なことを調べているうちに知り、すぐ断念。

その大変さに耐えられないと思い、というか当たり前ですよね。高齢者が好きというだけで務まるものではありませんよね。

再度将来どうしようかなっと考えているところ、

手に職をつける=資格を取る

という父の概念が私の脳にも定着していて、おじいちゃんおばあちゃんと関われる仕事。。。。。。

理学療法士!!となったのでした。笑

とまあそんな感じで簡単に将来の職種を選択。

私は今思うと高校生で将来の職業を自分の意思でしっかり持って誰に何を言われてもやり切ろうと思う子なんて、もうその子は国宝!笑。すごいことだなあっと。

もう高校生だけどまだ高校生。その頃の自分は少なくともお子ちゃまでした。

高校三年生の夏、早く将来を決めなきゃという焦りと、国家資格、将来安定、親の言っている手に職をつけると言ったことがクリアできるじゃ〜んなんて思いながら大学探し、

先ほども話したように、本当に勉強しなかった私は指定校推薦を取れる成績もなく、5段階評価の(懐かしい笑)当時3.0あったかなかったかの成績で、

理学療法士という医療従事者系の大学に行くにはまあ、勉強して、最低でも0.4~0.5の成績をあげなきゃいけず...

ただ良かったのは、目標を掲げれば行動できるタイプだったので、スタートダッシュかなり遅めの秋ごろから勉強スタート、最初から受験勉強で行けるとは思ってなかったから、指定校推薦を狙って成績を上げることだけに集中しました笑

全然興味ないことも、とりあえず手をあげて質問。授業終わりも先生に質問。学校も少し残って勉強。学校に枕と掛け布団持っていって後ろで寝てた頃とは比べ物にならないくらいの真面目学生を演出することに成功( ◠‿◠ )

それだけで、内申がグングン上がりました。

やる気を見せた生徒には優しいですよね先生って。あと1ヶ月でもスタート遅れてたら死んでました。笑

断崖絶壁のギリギリで一気に内申を上げて、指定校推薦のとれる平均3.5まで持っていって入学確定。

手に職を目指した大学生活と疑問

理学療法士を目指す学生として、専門の大学に入学しました。

初めのうちは新しいことが多くてついていくことに必死。ひたすら身体のことについて学び、今はないけれど当時は水銀で血圧を測ったり、身体を触診したり、先生鬼のように怖く、目まぐるしかったのでなんとか前期夏まではあっという間でした、

そこで、少し慣れてきた頃にふと疑問に思いました。

冷静に、これでいいの????このままで?っと。

昔から心の中で決めていたことはありました。自分は将来バリバリのキャリアウーマンになってガッツリ働いて仕事を愛して自我を持って生きていく。

どうしてこんなこと思い始めたのかはわからないけど、なんだかバリバリに働いて自分の仕事を愛して働いている人ってかっこいいって思っていたんです。

それはどんな職種であっても、好きなことや興味のあることを仕事にすれば成長もするし向上心も高い。だからこそ学びながら仕事ができる。自分の信じた仕事をまっとうする!!

大学に入った頃の私は、おじいちゃんおばあちゃんが好きだからこの仕事が好きになれる。っとなんだか訳もわからない思考を信じて、でもどこか違和感を覚えながらも生活していたものが、1年生の終わりに爆発。

ダメだ!そんな簡単な理由で務まる仕事でもなければ勉強できることでもない!!

理学療法士は自分の職として違うのではないか?

でもここで言っておきます。自分の中の疑問に気づきながらも中途半端は嫌いだから、テストは全部クリアして、単位を一つも落とすことなく1年生終了。

そもそも、単位を一単位でも落としてしまうと、留年確定だったので、落とせるはずもなかったのですが笑

ただ。だからこそ今でも覚えているのは、1年生の最終テストで全部クリアしたことを知った瞬間。

あ...学年あがっちゃった

っと、大学がなんか違う、辞めたい、違和感、なんて口には出してなかったものの、自分の中で殺してたものの、それを知った瞬間にぽろっと口から出てしまったんです本当に。

それで気づきました(遅い!!!笑)自分この仕事じゃないんだなって

時間とお金の無駄だ!って

学費全額奨学金を借りて行っていたため、自分の重なる借金がどんどん増えていってしまうし、時間もどんどん過ぎていってしまう。

同時にやっぱり服がやりたい!

と思うようになり、けれど当時学校を中退なんてお堅い親にはいうことはできず、なんとか自分を理学療法の道に全集中するよう思考を仕向けても、もう学びたくない、一つの夢に向かっている学校のみんなに会いたくもないしその姿を見たくもない。学校に本気で行きたくない

と思うようになってしまいました。

どうやって親に言おう、学校に行きたくない。が頭のほぼ全てをを占めている日々、それが8ヶ月ほど続いて、ご飯も食べれなくなってしまい。笑

それが生活面にも影響していたのでしょう。母がいきなり、平日学校に行こうとしている私に。

「ご飯食べに行こうか」と言ってくれたんです。

母の気遣いだと思うし、今でもそんなこと言ったお母さんは娘を見てるなすごいなと思います。

父よりはお堅い人ではなかったけれど、私が大学に行くことを誰よりも喜んでたし、実際高校生時代に理学療法を一緒に調べてたのも母だったので、私が大学を辞めるということは何がなんでも言わせない。そんなオーラは出ていたものの、ご飯も食べない、社交的な私が喋りもしない、ボーッとしている抜け殻のようなほぼ無心状態だったのを気遣い誘ってくれました。

今でもはっきり覚えていて、近所のチェーン店のパスタ屋さんに行って、最初はたわいもない会話を20分ほどしたあと

「学校辞めたいんでしょ?」

っと母から言ってきました。

私は事情を説明。やっぱり自分の将来を変えたいこと、どうしてもアパレルに行きたい夢を捨てられないこと、今の時間が本当に辛いことを全部言って

喋っている途中でパスタ屋さんで涙止まらなくなってしまい。。。

ここまで育ててくれたのに、なんてことを言っているんだ。親不孝すぎる。心配かけてはダメじゃん、今まで勉強してこず散々心配はかけてきたけれど、大学中退なんてそんな大きく全てを棒に振るようなこと、言ってはいけない

と思いつつも、もう自分の気持ちとまらず。母と私、パスタ屋さんで泣きながら話しました。笑

戦い

母に言ってしまったら最後、そこで初めて口に出して大学辞めたいと言ったこともあって、本格的に退学とそのあとの進路について自分で考え始め、父には最終形態で提示しようと決めました。そんな安易な辞めたいじゃ、絶対に通らないとわかっていたので、

大学を辞めて、アルバイトをしてお金を貯めて専門学校に入学する、どれぐらい働いたら入学資金の200万円と1年間の入学費を稼げるか、そして専門学校の下調べ、細かい詳細、今のきもち今後こうしたい。

というものを、さすが学生。作文用紙5枚分書いて提出しました笑

父はこんなに当時の私の意思が硬いとは思わなかったのだと思います。

頭を悩ませながらも承諾に成功。

やったあ!これで次の道だあ!

と思っていたら、祖父母登場笑

私の祖父母は家からスープの冷めない距離に住んでいて、何かと家の事情に関わってきていたので、私の大学中退をびっくりするぐらい反対。

それは、逃げている。現実を見ていない。どうせまた嫌になってすぐやめる。そんなアパレルなんて仕事、食っていけるはずもないし、お前がなれるはずもない。

父よりももっと古くて、ガッチガチに固かった父方の祖父母と言い争い。

結局あってもくれなくなり、これまた作文用紙10枚綴りで対抗。それが1ヶ月半ほど続きました笑

説得というよりは、諦め、というよりは見捨てられた状態で話は着地。

でも、そこで祖父母があんなに否定してくれて良かったなと、今では思います。

そんな戦略だったのかは不明ですけど、おかげでアパレル業界に行くという戦闘心に火がついて、それは数年経った今でも消えない心のモチベーションになっています。笑

つまりこれが伝えたいの!

ここまで長々つらつらと書いてしまって、読んでくれた方ありがとうございます。そして見るのに飽きてここまでスクロールしてきてこの最後だけでも読んでくれようとしている方もありがとうございます。私だったらそうしてる笑

どんなに否定されても、本当に自分の思っていることは曲げない方が良くて、自分に嘘をつくことがもはや当たり前になってきている人、いるかもしれませんし自分はそんな時期が少なくともありました。

その嘘はどんどん大きくなっていくと耐えられなくなるし、嘘をついてそれが本当になることもあるけれど、そんなことは性格上の話だと思っていて、

例えば、馬鹿を演じていたら馬鹿になる。ように。

でもやりたいこと、自分の芯はどうしても嘘つけないし偽れないんです。

初めは逃げてる、って思われるかもしれない。

実際自分も親や祖父母には言われたし、友達にも勉強が嫌すぎて逃げてるんだ〜ぐらいの目線を感じていました笑

何言われたって良いのよ!結果で出せば良いの!

作文用紙に書いた通り、お金を貯めて専門入学してなりたい職種につきました、それについては、また今度詳しく書こうと思うけれど、今はしっかり働いているし、服作りについてもちゃんと学べたし、後悔をしてない選択だったな、って今でも思てる!

後悔のない選択を自分を信じて選ぶこと

やりたいことがあるけど、踏み出せないそんな人の少しでも参考になれば良いなと思っています。

最後まで読んでくれて、ありがとうございます〜!

何かありましたら、お声掛けください(_ _)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?