どこの家庭でも父親がリビングで白黒映画を見てると思っていた
お父さんは何のお仕事してるの?は子供の頃の無邪気な会話の王道パターンだが、毎回ちょっと不思議な空気になる。
ボクの父は映画評論家だ。
ボクのお父さんは映画評論家です!というと、大人はすごいねーといいつつ大体どこかコメントに困っていたように思う。
結局何をやっている人か、言葉尻ではよくわからないのだろう
ボクでさえ、名前のカッコ良さで曖昧にしかわかっていなかったが、要するにフリーランスのライターだと言うことを理解したのは、大人になってからのことだった。
父には多分仕事と趣味の境界がなく、記事を書く依頼がない作品だろうと関係なく、1日3本ほど試写会をハシゴする生活を毎日していた。
冗談とかではなく、年間400本程度は映画を見る人生を、多分今でも続けている。
フリーランスなので定年もなく、75歳の現在でも引退するでもなく試写会に赴いて定位置に着くなんて言うルーティンを続けて、多分もう40年くらいにはなるんだと思う。
どのくらい仕事をちゃんともらえているのかどうかは分からないが、年齢を重ねて仕事がフェードアウトしても、試写会に行って映画を見ると言う習慣が残り続けていると言う状況なんだろう。
当然家でも映画を観るのだが、金曜に家族で見るようなファミリー映画ではなく、古い白黒の無声映画が多かった。
家には棚5つ分くらいの途方もない数のVHSテープがあって、映画が録画されていた。
世の中のお父さんは、どこの家庭でもリビングのテレビを占領してチャップリンを繰り返し見ているのだと思っていた。
どこの家庭にも、VHSテープは山積みになっているのだと思っていた。
父には、博士という異名がある。
1948年生まれが過ごした学生時代にはこの言葉はなかっただろうが、いわゆる”オタク”の元祖なんだろうと思っている。
いわゆるADHDで片付けができない。かつ戦後まもない長崎で育ったからなのか、とにかくモノを捨てられない。
祖母が住んでいた自分の実家の部屋4つほどを自分の溜め込んだ映画のパンフレットや本で埋め付くし、入室すらままならない状態になっていた。
祖母が死んだ後、家を建て替えた際に泣く泣く処分したモノの総量は、約2トンにも届きそうだった。
家族としては、一緒に住む家を不要なガラクタでパンパンにされるのは溜まったもんじゃない。
みんなずっと処分して欲しいと思っていたのだが、最近ボクはちょっと違ったことを思うようになってきた。
父にものを捨てさせることが、何だか可哀想に思うのだ。
無理矢理全部捨てさせて、ミニマリストにでもさせた途端、この人は急にボケるんじゃないか?とさえ思う。
父がこれまで観てきた映画は父の中に何十年と溜まっていているのと同様、溜め込んできたモノたちは父にとっては生きた証なのではないか。
モノを捨てるのと同時に何か気力を失ってボケてしまって、生き字引である父でさえ映画にまつわる思い出が全部わからなくなってしまうのではないか?
「生きてるウチはもう無理にモノを捨てないでいい、死んだらボクが処分するから」
自分のできる精一杯の親孝行のつもりでこう言ったら、父は何だか嬉しそうだった。肩の荷が降りたようだった。
多分父は死ぬまで映画を観てるんだろうなぁと思うし、なるべくもっと映画の思い出を作って死んでいってくれたらいいなと思う。
ちょっと前まで寄稿していたらしいので以下のサイトを載っけておく
息子は息子で細々とアーティストをやっております
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