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ADHDの取説③

ADHDの人にも、ADHDではない人にも知っておいてほしいこと。

東洋経済の下記のような記事がありました。

28歳「発達障害」の彼が3度仕事辞めて移る先 - 家業を継ぐが「影響力を持つ人間になりたい」 http://toyokeizai.net/articles/-/213254

この記事を読んで、人それぞれ感じることが違うと思います。


多くの健常者の人が読むと

「かわいそう…」

と思うか

「こいつ、ダメ人間だな…」

と思うと思うんです。


一方で、ADHDの当事者がこの記事を読むと…

「こいつ、ダメ人間だな。」

という感想になります(笑)


まあ、ちょっと言葉は悪かったですが、ADHDがみんなこうだとは思わないでね、という思いもあります。

言ってしまえば彼はダメなパターンのADHDなんです。

そういう意味では「哀れ」ではあります。

読んでいて、イラっとしつつ、切なくもなります。

でもこれはADHDの人が陥りやすい思考パターンの1つでもあって

ある意味で「ADHDあるある」でもあります。

記事内にもあるとおり、彼はおそらく「ASD(アスペルガー)」も併発しているパターンで、かなり社会生活に支障をきたしてしまっています。

明確な社会不適合者。

「ホリエモンにあこがれている」と言いながら、ホリエモンの何が凄いのかを理解できていない。

ホリエモンの書籍を読んだことがないのか、読んでも読解できていないのかもしれません。

そして、自分が成功できないことを社会のせいにしているふしがあります。

こういうパターンに陥ったADHDは最悪の場合は世を恨んで犯罪に走る可能性すらあります。

もちろん、記事の彼を「犯罪者予備軍」扱いするわけではありませんが、彼を正しく導く人の存在が必要だと感じます。


私が思う彼の最大の不幸は、彼の身近にADHDの人がいないことなのではないか、と思います。

健常者の中でADHDが生きる道は「突き抜ける」ことなのですが、残念ながら彼は外から見てわかるような突き抜ける何かを持ち合わせていない。

こうなるともう、周りから見たらただの「できない人」なんですよね。

実はこういうタイプのADHDの人をカバーできるのは、比較的社会性の高いADHDの人間なのです。

例えば私は同じADHDとして「ADHDの症状」の部分と、「彼自身の甘え」の部分を切り離して見ることができます。

彼は「ADHDは個性だと思っている」と言っており、これは私も同意しますが、ADHDは明確に「障害」でもあります。

つまり、「できない(著しく苦手)ことがある」わけです。

これは「ADHDの症状」です。

これを自覚し、できないことをどう補うのか、できないなら他でどういう価値を提供できるのか、そういった思考が必要です。

一方で彼は「ITの仕事がしたい」と言いながら「技術的な面でついていけず退社」したり、「能力が不足しているから契約社員で」という提案を拒絶したりしている。

これはただの「甘え」です。

そのことに気づいているのか、気づいていないのか…。

健常者の人だとADHDの思考が理解できなかったり、腫れ物にさわるように扱ったりする傾向がありますが

身近にADHDの友人や先輩なりがいれば「甘えるな」と一蹴できるんですがね。


当たり前ですが、仕事として対価を得る以上は相手に価値を提供しなければなりません。

対価に見合った価値を提供できなければ、健常者だろうが障害者だろうが仕事にあぶれるのは当然なのですよね。

別にできないことができるようになる必要があるわけではなく、できないことの代わりに何ができるのかということです。


ここまで書いてみて、ADHDアカデミーのような設備の必要性は感じますね。

別にハコモノである必要はないので、それこそSNS的なものでも良い気がします。


今回のまとめ

ADHDが障害であることの自覚は大事だが、障害者であることに甘えてはいけない。

以上です。

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