最近ようやく気づいたのがですね、 成功するには潜伏期間が割りかし必要かなと。 あとは勢いよく行動した後にコツコツ粘り強く修正できるかどうかですかね。 あとは才能だったり、活躍できるフィールド探しですね。 会社だと評価基準が自分が納得いくラインのもがあるか?上司がリスペクトできるかどうかなど。 あとは自然体で7割以上いてそれを承認してくれる環境であるか。安心感が全然違うからね。
どうやったら物事を継続しやすいかは マイペース8割、外部からの刺激2割くらいで出来ることじゃないかな? 裁量権があって、やってるプロセスが楽、楽しい、面白い。どれかが当てはまる領域がいいです。 自分は学生時代2003年からボイトレに通い、2022年まで約20年近く続きました。 続いた理由としては先生との相性が良かったのもあるかもですが、歌が得意、好き、探究心が20年続いたというかかな。 先生が引っ張ってくれた10年と自分が提案した 10年。最後の数年は関係性はあまり良く
自分は才能があると思う分野は人生生きてきてあっただろうか? 花が開くには才能を見つけてそこを磨くために努力をする。それが大切だとよく言われているが果たしてそんな単純なものだろうか? いくら良い種を植えて、肥料や水やりをしても日当たりが悪かったもしくはよすぎたら伸びない、もしくは枯れてしまいますよね? 日当たりというのは場所を指定する、ある意味でポジショニング、戦略の部分だから努力という部分に相当するだろうが、お日様、天気自体は気まぐれでこちらで予知できるものではないので
2013年頃はソロ活を始めた時期で色々なライブハウスやライブバーを巡ったりしてました。 オリジナル曲をたくさん作り、夢に燃えてました。 ライブを年間50回やると決めて実際年間55回のライブを達成したりしていて目標を決めてそれに進む。 いわば有言実行という感じで突き進んでましたね。 1人でできることは全部自分でやるというスタイルでやっていました。 口だけ人間というのはたくさん居ますから、自分は有言実行もしくは不言実行で行くと。 ただいくら頑張ってもファンがつかない。 曲も
アブリルラヴィーンといえば、学生の頃やフリーターの頃よく聞いていた女性ロックボーカルでは洋楽で一番好きなボーカルかもしれない。 クールで元気で個性的なパンクシンガーという感じで売り出してましたが、パンクというジャンルで唯一好きなボーカルかもしれない。 スケーターボーイ、コンプリケイティッドなどが世界的にヒットし、10代にしてスター街道一直線で、20代の頃は女性ロックボーカルといえばAvril lavingeでしたね。 日本の女性ボーカルもtommy feburaryとかが
HR/HMというのは洋楽のハードロック、ヘヴィメタルバンドの事を指すみたいですが、 自分も大学時代は友人の影響かHR/HMにどっぷり浸かっていた時期があります。 特にハイトーンが出したくて沢山のボーカルをコピーしていた気がしますが、最初はbon joviとdeep purpleを学校の友達の影響で聞いてました。 当時は全く無知でbon joviがどんなバンドすら知らなかったんですが、日本でいうとB'Z的な立ち位置でしょうか? 1980年代半ばから台頭してその後も安定して1
xjapanも自分のボーカルスタイルに影響を与えたアーティストの一人で、作曲のスタイルでbpmが速い曲を作ろうとしちゃうのも紛れもなくx japanの影響ですね。 初めてx japanというバンドを知ったのはlast liveでした。 親は二人ともx japanを全く聞かない家で育ったので、中学2年の時初めて存在を知りました。 その頃既に神格化されていて、同じクラスのメンバーもyoshikiファンが多かったのですが、自分が初めて聞いたのは解散後でした。 その頃はtears
自分が音楽にハマったきっかけはL'Arc〜en〜Cielだった。 小学生の頃はほぼ音楽に興味がなく、親が聞いていた90年代JPOPを車のカセットで聞く程度で。 中学2年の頃野球部のみんなが音楽の話をしていて、 その輪に入れなかったというのがきっかけでした。 GLAY?黒夢?XJAPAN? 全然知らない音楽ばかりで会話に入れず、中学3年になった時に思い切ってTSUTAYAで色んなロックバンドのCDを借りたんですよね。 B'Z、GLAY、LUNA SEA、L'Arc〜en
ソロ活動を始めて以降、沢山色んな曲が作れるようになった気はするけど、10代の頃は作曲なんて全くできなかったし、変な曲を数曲作った程度でどんな曲かすら覚えてないです。 昔ハードロックバンドを20歳前後の時にキーボードの家に行って、ギターの人と自分で作った記憶があり、その頃はコード進行すらわからなかったので鼻歌で歌ってその頃好きだったドイツのバンドFAIRWARNING調の曲を遊びで作ったのが初めてだったかもしれないですね。 その後大学3年ごろに東中野の作曲塾って所に半年ー1
高校時代はJロック、大学時代は友人の影響と自身の適性でハードロックにどっぷり浸かりましたが。 フリーター時代に突入してハードロックとは違う売りが自分にもあるんじゃないかと思いピンときたのがU2でした。まずはベスト盤を聞き、それから色々なアルバムを聞きpride、i will followなどの曲にハマっていきます。 エネルギッシュでシャウトしながら、美しさや繊細さ、北欧地域特有のクールな感じがドンピシャで、 カフェ店員で働いてた頃に、心を打つ音楽をやりたいと思い、ギターを始め
大学時代は高校時代の退屈な日々と比べるとかなり自由で色々な事が体験できた4年間でした。 大学1年の新歓コンパみたいのも楽しかったですし、 たくさんのバイトを経験したり、クラスメートにも恵まれ、一緒にテニス、スノボーサークルに入ったり、大学三年の頃はサークルを作ってたくさんのメンバーを集めたりもしてました。 その中でも熱が高かったのがバンド活動で ようやく友達とバンド組めてステージに立てたというのも良い経験でした。 当時洋楽志向だったメンバーと bon joviのlivin
2022もそろそろ終わりですが、今年も終わりなので、1年を振り返りたいと思いますが。 音楽の活動としては今まで作ったけど、 途中までで止まっていた曲を何とか最後まで完成させ、歌詞をつけ、歌を歌い、レコーディングをし、 ミックスをし、それに映像をつけて、youtubeにアップというのをテーマにしてました。 まあ1曲が形になるのはなかなか大変で、 歌詞に関しても大抵がtake7くらいでようやく形になり、そこから歌練始め、レコーディングで聞けるレベルまで落とし込むのに2ヶ月半、
中学時代は色々自信喪失して、バカなやつというレッテルを貼られ、自分もそう思い込んでた節がありました。 中学の時の担任教師がいわゆる典型的な体育会の教師で平気でお前はバカだと言っちゃう人で、 愛のある松山千春とかじゃなく、好きでもないせいとにも平気で言っちゃう人だったので、言われた生徒側は自分ってバカなのかもと思い込むようになります。 人間確固たる自信がないと外部からの言葉を無意識のうちに飲み込んでしまうんだなと。 自分の場合つい最近まで自分の事をあまり頭が良くないと思い込ん
中学時代はこれまた環境も変わって、前からやりたかった野球をやりたくて、書道を辞めて野球部に入りました。 文武両道の学校で、頭も良くて運動もできる。 運動はできなくても頭はずば抜けてる。 そんな人達が集まっていて、自分は劣等感に苛まれます。 小学校の時は勉強と運動は頑張れば2位になれてたのに、勉強に関しては頑張っても下から5番目。 野球部では自分より運動能力が高い人達がうじゃうじゃいるような、努力してもしてもダメな時期でした。 この頃自分が賢ければ身の丈に合った学校を
幼稚園時代はまあ音楽のかけらもなくてね。 姉の近所の友達の家に行ってジャニーズのポスター貼ってあるなくらいしか思わなかった。 かけっこもまあまあ速くて、でも1番にはなれなかったという。スポーツは何を頑張っても1番にはなれず、得意だった水泳でも2番とかでしたし。 でも水泳は4ー9歳の6年間続けました。 小さい頃から絵を描くのはそれなりに上手で マクドナルドのドナルドやドラゴボールの絵をトレースしたりしてましたね? ドラゴンボールのおかげでマッチョの体を描くのは上手かったです
人生もまだ道半ばですが、そろそろ振り返るのもいいかなと思い、生い立ちから振り返りたいと思います。 生まれも育ちも神奈川県横浜市。 当時東神奈川に父と母と姉でアパートで暮らしていたらしくそこに長男として真夏の7月に産まれました。 体重はデカかったらしく4100g有ったみたいで、小学校では当時一番大きかったみたいです。 その後、自分が産まれたのもあってか引っ越します。まだ0才の時は母親の母、自分の祖母になりますが、東京の蒲田に住んでいたのでそこで約8ー10ヶ月くらい世話を