ゲスト:小野晃蔵さん(後編)

OBCラジオ:『SIBERIAN NEWSPAPERのしゃべり庵』
2022年1月12日放送分より

工業高校を卒業後、大阪市交通局に入るも3年で退職。40~50種のバイトをやりながら自分がやりたいことは何なのか探す日々。偶然、貸しスタジオの求人を見つけてスタジオ付きのアシスタントとなり、アメリカにて世界的な写真家との啓示的な出会いを経て、カメラマン一筋となった小野さん。

遅咲きでのイギリスでの語学留学を終えたのだが、特に何の土産話もない自分に気づく。そして、自分らしいスタジオをと物件を探したところ、出てきたのが堺市七道にある旧紡績工場跡だった。

前編のおさらい

阿守:明治時代の建物って、中は不便なところが多いんじゃないですか。

小野:不便ですね。階段は急やし、皆さん機材を持ち上げるの大変って。まあ、それも味わってくださいって感じですね。

スピニングミルを購入してまず最初にしたことは解体です。前の状態のとき現在のホールの中に部屋が作られてあったんですよ、区切られて和室があったんです。

で、端っこの天井がアールになってたので、ひょっとしてここはホールじゃないかなと思って、和室の押し入れを開けたら証明を飾るレリーフが見えたんで「やっぱりホールやん、つまり、この和室を潰せば広い空間になるな」と考え、これはいけるなと。

普段は小野さんの仕事場でもあり、イベントスペース、レンタルスペース、結婚式やフリマとか、映画の上映会、コンサート、町内会のカラオケ大会という具合に、『スピニングミル』の使用用途はとても広範囲。

藤田:小野さんの人生ってさ、人に夢を与えるんやね。別にどこかの御曹司ってワケとかじゃないじゃないすか。だけど、頑張ったからスピニングミルのような物件が手に入るし、人が集まるような空間を作れたんよね。スタート地点は裕福なところじゃなかったとしても、こうなれるという見本になってるやん、人生自体が。

阿守:前編で言われてた『決める』ことの大事さ。その決めるが何なのかを今こうして学ばせてもらってる感じ。

小野:最近そういう機会があり、言うことは――。

『キミが無理と思うことは100%無理や。だから、その逆張りで行け』

みんなが「ダメ」って言っても、「いや、できるで」って言った方が絶対に楽しい。できない理由を10000個集めても、1個集めても「できない」。であれば、できる可能性を1個でも2個でも探る方が絶対面白い。

みんな「う~ん・・・、わかってるんですけどね」って言うんだけど、それはわかってないんだよと。

阿守:小野さんのお子さんも、地元で明治時代のスピニングミルの子どもやって有名になるんじゃないですか。

小野:なりますね。笑

藤田:小野さんがそれについて以前、僕に話してくれたんです。小野さん自身がオーナーなので「あそこの子どもですか」って周囲の人から納得してもらえるような行動をしようってね。

小野:やっぱりね、目立っちゃうじゃないですか。変な建物に引っ越してきたから、多分、色眼鏡で見られるやろなと思って。それやったら、その色眼鏡の色を濃くしたろう、放っておけない人になったろうと思って、自分が思いつくまま色んなイベントを企画して、声掛けて、そこに完成度は求めなかった。

だって、イギリス留学したときの英語と一緒でやったこともないもんを今からやっていくから、段々と上手になっていくと思うねんけど、「とりあえずこんなん企画するから来て」っていうところ。反省点も一杯あるけど、それは日々のアップデートで対応していく。

もしも、それが無理やったら・・・。今、iPhoneでも13とか14でアップル社でもそんなんやで。ほんじゃあ、『小野晃蔵は今、バージョンなんぼ』みたいなね。そうやってバージョンアップしていけば良いだけの話しだから。現状が不味くても大丈夫、誰も気にせずに次に行こ、次へ。

「失敗」とか「間違う」ことに恐怖心を覚える人がいてるけども、誰でもするよと。

スピニングミルで企画を発信し続ける小野さん。あるとき、ダウンタウンブギウギバンドでキーボードを担当していたベルリン在住の千野さんが日本へ帰国するとの報があり、スピニングミルで演奏したいというリクエストをもらいました。

小野:是非やりましょうって返事しました。そのときに千野さんとウッドベースのトリスタンさんが来てくれて演奏してくれたんですよ。そんときの模様をYouTubeで流したら、それを見たヨーロッパのミュージシャンが「ツアーで日本に行った際にはスピニングミルで演奏したい」って言ってきたんです。

僕からすると「誰?自分、知らんけど」って感じやね。一方で、僕はそういうの大好きやから。自分の未来に必要だったことが、これ(スピニングミル)やったと思った。そういった人たちを受け入れられる場所を持つこと。

コンサート当日に初対面で会って「演奏したいって言うてきたんはキミたちね」って感じ。そっからは今日のライブ終わって泊まるとこあるの?ないんやったらウチに泊まりやとなり、その人たちをアテンドして次の日もご飯食べさせながら「わかってるやろうな、デンマーク帰ったら、ここの宣伝するんやで」って。

それ以来、コロナ禍になるまでは毎年どっかから来るようになった。

藤田:小野さんが若かりし頃、アリゾナの三好夫妻から招いてくれたことを、そのまま受け継いでやられたんでしょうね。回していくんやな。

阿守:うまく「スピニング」に繋げたな。笑。
沢山のイベントを企画するっていろんな人との繋がりも増えていくし、耐力も忍耐も必要になり大変じゃないですか。小野さんがそこまでしてやりたいことって、何なのか知りたいです。

小野:間違いなく、人の繋がりかな。こうやって藤田さんを連れてきたのは宮田さんでしょ、あそこで僕が何もしてなければ出会ってないし、ラジオ番組のゲストとして座ってない。そうやって場所を持つことの素晴らしさ、「これか」みたいなものを凄い感じるんですよ、『スピニングミル』やってから。

結局は『人』ですよね。自分一人じゃなくって。

僕は元々は長屋出身の子だったこともあり、近所の長屋のおっちゃんやおばちゃんたちが第2のお父さんやお母さん。みたいなコミュニティで育ったんです。今や核家族でなかなか自分のお爺ちゃんやお婆ちゃんに会う機会も少なくなってきてる。

結果的に『知恵』をバトンで渡すことが少なくなってるんじゃないかな。僕の『スピニングミル』での最大の目的はジェネレーションを縦回転させたい。

阿守:ジェネレーションを縦に回す、詳しく教えてください。

小野:お爺ちゃんお婆ちゃんから、赤ちゃんまでがそこに集って、いろいろなことを伝えられるような、そういう場所にしたいなということです。

藤田:思い出したエピソードがあって、確かスタジオジブリの宮崎駿さんと解剖学者の養老孟司さんが対談してて、その二人が理想郷だと言ってたのが「ホスピス」と「幼稚園や保育所」が同じ場所にあるというアイデアだった。小野さんと言ってること一緒やと思って。

阿守:長屋があった頃って人間同士の境目ってそんなになかったじゃないですか。密接にすぐに異業種の人とかと知り合えたりしてたけど、今って分断されてるじゃないですか。

例えば、身体に刺青が入った人は「もう完全に大衆浴場に入れません」とか、あと自分たちが食べるものが殺される場面を見る機会もなくなってますよね。うちの親父世代とかだと目の前でニワトリをさばく光景を目の当たりにして、ショックを受けるとか。今やと、スーパーに並んでるもんを調理して口に入れてるだけやから、そういうのってどう子供たちに教えればいいのかって思います。

藤田:阿守と同じことを養老孟司さんも言ってて、日本の文化が廃れたのは水洗トイレができたからだって。水洗トイレのおかげで汚いものを見ずに済ます文化ができた。葬式にしても以前は家でしてたけれど、今は斎場に行けば全部システマティックにされていて、そうしたものを見ずに済んでる。

それが、文化と人との関わり合いが薄くなっている理由じゃないかって。

阿守:そういう意味においても、スピニングミルのいろいろなジェネレーションが集まってやっていこうという目標っていうか、希望を小野さんが持っておられるのはすごく共感しますし、是非そうであって欲しい。

藤田:オレが小野さんが好きな理由がわかるやろ?笑

阿守:わかるわかる。笑。
もう時代は令和で「明治っていつの時代?」とみんなが思うかも知れんけど、ちゃんと明治時代のもんが受け継がれてきてるから、今後もずっと受け継いでいきたいですね。シベリアンでも何か協力できることがあればあせていただきます。

藤田:いや、もう決めてるんですよ。

阿守:そうなんですか

藤田:演奏することは『決めてます』『決めてます』

阿守:あなたは決めてるかも知れないけど、僕は初耳ですよ。

小野:笑。

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