
性格って直せるのか?
「家族」という生まれて最初に属する「小さな集団」の中では、「生まれもったまま」「素のまま」の性格でスタートする
「三つ子の魂百まで」で、この「小さな集団」において祖父母・両親からの「躾け」が加わって「生まれ持った性格」が変化していく
「ありがとう・ごめんなさい」をちゃんと言える子、知らない人に会っても「おはよう・こんにちは」が言える子、嘘をつかない子、好き嫌いせず食事のできる子、さまざまな「躾け」がある
ようは、祖父母・両親の思う「理想の子」に仕立てたいわけだが、「そうはいかない」
「最小の集団」から保育園、幼稚園と「集団の規模」が大きくなるにつれ「自我」が目覚め、「知恵」もつく
しかし、どんなに「躾け」をされても「生まれ持った性格」とは完全には消えないものだと思う
「気まま」な部分は私が「生まれ持った性格」で、「難しい子」は「集団」の中で「変化していった性格」じゃないかと自身は思っている
幼少期は共働きの両親の代わりに祖母が面倒を見てくれていた
保育園・幼稚園の迎えも祖母、祖母自身が家族から「気まま」と言われていたので「気まま同士」で祖母に懐いていた
お迎えの後は、近所の祖母の友達宅について行き「よくわからない大人の話」をよそに好きに遊んで、お菓子などを食べさせてもらった(そうやって間食するから夕飯が入らない)
祖母は私には「甘かった」と思う 性格も似ていたが顔も祖母に似ていたから
「内孫の下の子」ということもあったし
だから母に叱られて大泣きしても、祖母に甘えて宥めて貰う
小学校に上がると祖母にお小遣いもらってるのに、両親にもお小遣いをもらう(笑 と言っても1日50円〜100円なので最大1日200円で、友達と駄菓子屋へ走り間食するから当然夕飯が入らず叱られる
私の「偏食」は「食わず嫌いと間食でお腹が膨れている」ことが原因で今となっては「ゲテモノ」以外はほぼ食べる
小学校は女の子といるよりも男の子と遊ぶ方が多かった
高学年になっても男子に混ざっていたので「いつも男子の中にいる」と女子から陰口?を言われることも
なぜ「男子といたか」については、「女子って面倒」だったのだ
「いつも男子の中にいる」という陰口然り、当時社会問題になりつつあった「いじめ」も女子の方が陰湿だ
私は女子のグループに属してなかったので「いじめにあっている子」が寄ってくる とはいえ、「いじめている側」とも普通に接するどっちの味方でもない
すると見えてくる「いじめの世界」
「いじめ」のターゲットになるのに「大きな理由」はなく、「ボス的存在」が「なんか気に食わない」というだけでターゲットにされる
そのターゲットは「いじめられている間だけ」私のところへやってくる
そして「いじめは良くない」というのに、他の子がターゲットになると「いじめる側」にまわる 中学になてもその繰り返しだった
挙げ句の果てに「どっちもつかず」の私がターゲットになった
(前述の「前日まで仲良くしていた友達が急に無視し始めた」話はこの時のこと)
この頃に「性格を直そうと思ったら直そうと思った時の年齢の倍の年月がかかる」と姉に言われたことが、その後の自分の在り方に影響したと思う
本来の性格の部分は「直す努力」により「自分のこうなりたい」へ近づけたとしても、何かの拍子に顔を出してしまうものだ
それでも「良い方向へ変わろう」とすることは無駄ではない
「性格を直そう」と思ったのが中学の頃、14歳として直るまでに28年かかる
ということは42歳の私はどうだったかな 少なくとも50歳の私は今、「自分がネックと思っていた部分」については「生きやすくなった」と感じている
ただ、その分「集団」においては「自分よりも他人」「誰かのために」が強くなって「自分を後回し」にしていたとも思う 「秘書」という職業柄も大きかったと思う
今は「生きやすくなった」部分は生かしつつ、ますは本来の「気ままな自分」で日々過ごすことを心がけている
「自分が幸せであること」が結果的に「他の誰か」を幸せにする
「自分が枯渇」しているのでは「他人に与えることはできない」、自分が充分に満たされて「溢れた幸せ」が「他の誰か」を幸せにするんだと思う
だから「心のおもむくままに」、自分が「喜びや幸せ」を感じることをしていきたい
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