「・・・と思う」ってよく使ってしまうと思う話

みなさんこんにちは!おぎーです!

今日は、自分は断定的に言わないことが多いという話をします。


「『=』は同じっていう意味だよ」でいいか

例えば

「1+2=3」です。

これは断定的にいえます。

また、

対象 a, b について a = b が成り立っているときはいつでも b = a も同時に成り立つ。(ウィキペディアより引用)

というルールもあります。

しかし、ここで右辺と左辺を入れ替えて、

「3=1+2」

とするとどうでしょう。「確かに量的には、3と1+2は等しいものだけど、そもそもなんで3を1+2に分解するんだ?どういう背景があるのだろう。特に背景がないのなら、何も言わずに3は1+2と決めつけてしまうのはおかしいのではないか。」という違和感は生じないでしょうか。

「常識」は「その人の常識」

今から500年前までは、天動説は当たり前の価値観でした。地球が何もかもの中心であるという考えは覆されて、太陽を中心に地球は回ってることがわかりました。では、太陽が何もかもの中心であるのでしょうか?そうではなく、太陽は銀河系の中心を回っています。

昔、小学生のころ、1つ上の学年の人に「太陽は銀河系の中心を周ってる」って言ったら「違うよ。太陽は周らないよ。」と自信満々にいわれたことがありました。そのとき、自分は「銀河系を周ってることをしらないのに何で断定的に言うんだろう」と思ってしまいました。今考えると、シンプルにその人の知っている範囲内では、私が言った「太陽が周っている」ことを違うと思い、「違うよ。太陽は周らないよ。」といっただけでそんなに誰が悪いといった話ではないような気がしますが。。。

しかし、「地球が周っていると言ったガリレオ」も「太陽が周っていると言った私」も当時は間違っていると思われていたけれど、実は「間違っている」と思っていた人が間違っていたわけであり、間違っていると思われていた人は新たな知見を伝えようとしただけなのです。そして、「新たな知見」が「常識」によって間違っていると捨てられてしまうことはもったいないことだと思います。

おそらく1000年前、今でいうスマホのようなものが作れると言っても、当時の常識では「ありえない」ことでしょう。でも、今の常識ではありえます。これは、「地球が太陽を周っている」いった昔だったらありえないと思われた「変な人」の意見を、「いや、ちょっと待てよ。よく考えたら正しいんじゃないか。」と検証し、とりいれた人がいるからできることです。すべての人間がその状態での常識に絶対的な自信を持っている状態ではイノベーションは生まれません。

ときには断定的ないい方をしながら、自分の常識に絶対的な自信は持たないでおきたいと思う

上の2例で挙げたように、ものごとに対する常識的な見方は背景や時代や環境によって変わることは多いです。そのため私は、「=」って何と幼稚園生に聞かれたら「『=』は同じっていう意味だよ」ではなく「『=』は同じみたいな意味だよ」というようにいってしまいますし、いろんなことに対して自分の常識が間違っていることがあることを前提にあいまいないい方になってしまうのです。

しかし、そういう言い方はわかりにくいと思われてしまうこともあります。先日、仕事で「・・・と思う」とか「多分」とか「だいたい」とかそういうあいまいな返事が多いと注意され、ときには自信がなくても断定的ないい方がよいのかなと思ったところです。。。

ただ、自分は「自分の常識」が覆されるようなことに触れるのは好きですし、「非常識」が「常識」になっていく人間の世界が好きなので、自分の常識に絶対的な自信を持たず、日常会話はnoteでは「・・・と思う」を多用していきたいと思います。(笑)

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